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オフコースのオリジナルアルバムを勝手にレビューするシリーズVolume18:「STILL…a long way to go」

オフコースとしての最終スタジオアルバムに到達した。やっと本作に辿り着けた。

もはや、オフコースがオフコースであるという必然性が薄れた、そういう作品でもある。だから、最後のアルバムにもなったわけだが…。

序説

そもそも前作辺りから、制作スタイルが変化しつつあったオフコースは、既にバンドである必然性を失っていたとも言える。
鈴木の脱退から再開したバンドが打ち出した「若いメンバー個々が力をつけるためにも3年間は続ける」というコンセプトは、もはや形骸化し、さしたる意味を持たなくなった。そこがこのバンドの抱えるジレンマにもなった。
良い曲もあるにはあるし、決して「駄作」と切り捨てられる作品ではないのだが、このアルバムから感じるのは、妙な居心地の悪さだ。
この居心地の悪さに関しては、後ほど自分なりに解説してみたい。

ただ、一つだけ言えるのは「このアルバムが本当にオフコースというブランドネームでリリースされるべきものだったのか?」という疑念は、最後の最後まで拭い去れなかった作品だ、ということ。
打ち込みを多用したサウンドで、それが却ってそんなイメージを増幅させている。
ビートルズのアルバムで言えば「Abbey Road」でなく「LET IT BE」を最後にレコーディングして解散したような感じ(実際の録音順は「LET IT BE」の方が先であり、「Abbey Road」の方があと)にすら思えてしまう。

オフコースでなくても良いサウンドをオフコースの名前でリリースしてしまうことに、そこはかとない違和感を覚えてしまうのは、たぶん自分のようにオフコースという名前に変な思い入れがあるような人間だけだろう。
当時の彼らはそれを必然だと思ったからリリースしたのだし、別に非難されるべきものではない。
オフコースは「小田和正とそのバックバンド」ではなく、「4人のメンバーそれぞれが強い意思を持った音楽家としての集合体」であるはずだった。
実際、本人たちはそんな風に思っていたと思う。

だが、佳作もある作品としては、どこか中途半端な印象も拭えないまま、時間だけが過ぎてしまう、そんな作品に思えてしまうのが残念だ。

収録曲は以下の通り。

1:君住む街へ
2:She's so wonderful
3:I can't stand this
4:陽射しの中で
5:夏の別れ
6:STILL a long way to go -また逢う日まで-
7:多分 その哀しみは
8:逢いたい
9:悲しい愛を終わらせて
10:僕らしい夏
11:昨日見た夢

松本一起・松尾一彦のコンビで作ったのが4と10。その二人に作詞で小田和正、作曲で清水仁が加わったのが3。そして吉田拓郎が作詞し、清水仁が書いたのが8。これ以外は全て小田による作詞作曲だ。
良いとか悪いとか以前に、これをオフコースという名前でリリースしてしまうのは、どうにも何だかこう居心地が悪すぎる。
繰り返し「居心地が悪い」という表現を使っているが、このアルバムからはオフコースというバンドの色が見えてこないことが、その最たる一因かもしれない。
たまたまオフコースというユニットにいる4人が、それなりに関与してこそいるものの、それはオフコースというバンドが「いっせーのせ!」で一括して取り組んだものに見えないから、それで、居心地が悪く思えるのかもしれない。

昔はあったであろう、そのような一体感が、バンドやメンバー個々の成長に伴って、消滅していった結果なのかもしれない。
そんな気がしてしまうのだ。

全曲目紹介

1:君住む街へ

小田の作品ではあるものの、リードヴォーカルは大間以外の全員で分け合っている。
この曲のベーシックトラックは、4人揃ってレコーディングした数少ない曲の一つ。小田曰く「こういう曲が作れた」とする達成感を感じていたのだという。
元々は前作のツアーのクロージングに採用された曲であり、ライヴビデオにも収録されている。
シングルとしてもリリースされているが、カップリングにはインストゥルメンタルが収録された他、後には清水のパートから始まるanother versionなるものがカップリングされたこともある。
後に小田がセルフカヴァーした。また、この曲と同じタイトルのグループ非監修のベスト盤があり、そのラストに収録されている。
(作詞・作曲:小田和正)

2:She's so wonderful

これも小田の作品。1に続いてシングルカットされた。カップリング曲は後述の通り松尾の4。
これも後に小田がセルフカヴァーしている。それなりに一体感は感じられるアレンジがなされている。
(作詞・作曲:小田和正)

3:I can't stand this

作詞が松本一起と小田和正、作曲が松尾一彦と清水仁、というペアリングによる作品。
シーケンサーを多用していることが丸わかりな上に、打ち込みも目立つ作品であり、これをバンドサウンドと称するのはどうなんだろうなあ、と思ってしまいたくもなる。
ただまあ、清水の歌は、松尾のこういう曲には以外にフィットしているような気はする。
(作詞:松本一起&小田和正、作曲:松尾一彦&清水仁)

4:陽射しの中で

シングルとしては2のカップリングでリリースされた曲。シングル盤とアルバムヴァージョンに差異はない。
こういうのは「ソロアーティスト・松尾一彦」の作品と言われた方がピンとくる。
オフコースの作品と言われるから、首を傾げたくなるだけだ。アイリッシュのミュージシャンにChris De Burghという人がいて、その中に「Thw Lady in Red」という大ヒット曲があるが、あれを想起させられる。
そういうイメージはある。
(作詞:松本一起、作曲:松尾一彦)

5:夏の別れ

小田の曲で、オフコースの活動中に於けるラスト・シングルになった曲であり、カップリングは清水の8。
最初は11がシングルカットされる予定だったが、解散決定を受けてこちらの作品になった。
シングルヴァージョンはこちらの曲に関しては、アルバムヴァージョンと同一である。
小田が作った、ということを除けば、特筆するような曲でもないと感じてしまう。後に本人がセルフカヴァーしている。
(作詞・作曲:小田和正)

6:STILL a long way to go -また逢う日まで-

アルバムのタイトルトラックであり、小田が作っている。良い曲なのかもしれないが、オフコースというバンドでやる曲と言うよりは、小田が1人でやった方が良いのではないか。
(作詞・作曲:小田和正)

7:多分 その哀しみは

アレンジだけ聴いていたら松尾の曲のように聞こえるが、小田の曲。小田にこういうミネアポリスっぽいサウンドは似合わないのではないか。
ミネアポリス的なサウンドが流行していたので、時流に乗ってちょっと取り入れてみました、みたいな感じしかしない。それがオフコースのサウンドになり得ているのかは、きわめて微妙と言わざるを得ない。
(作詞・作曲:小田和正)

8:逢いたい

本アルバム中最大の問題作。距離を作って歌っているのは清水仁のみであるのだが、作詞はかの吉田拓郎が引き受けている。
清水が体現する、マッチョイズムのようなダンディズムが見え隠れする作品であり、一人称が「俺」なことかもわかるように、「男っぽさ」を全開にした作風と言える。
ただ、清水がこれを吉田拓郎に作詞依頼したのは良いものの、そのことが小田和正には当初伝わっていなかったということもあったという。その点については「一生懸命というのがバンドの結束とは違う面に出てしまった」と小田が述懐している。
そういう紆余曲折はありつつ、結局オフコースの作品にはどうにかなっている。
5がシングルカットされた際のカップリング曲でもあるが、シングルヴァージョンは別ミックスとなっている。
(作詞:吉田拓郎、作曲:清水仁)

9:悲しい愛を終わらせて

小田の曲。これもシーケンサーが多用されているようだ。小田のソロアルバムに収録されていたら、それなりに人気が出るだろう気はする。
(作詞・作曲:小田和正)

10:僕らしい夏

フェイドインから始まる松尾の曲。9にも感じることだが、作者のソロアルバムに収録されていたら、それなりに納得のいく作品。バンドサウンドはあまり感じない。
(作詞:松本一起、作曲:松尾一彦)

11:昨日見た夢

小田の曲。元々は5のシングルリリースはこちらで予定されていたが、グループの解散予定に伴い、ボツになった。
とはいえ、歌詞の雰囲気からしたら、こちらの方がむしろラストシングルに相応しいのではないか。とさえ思ってしまう。
後に、小田がセルフカヴァーしており、そこでは歌詞を多少端折って収録されている。1のタイトルのついたグループ非監修ベスト盤のトップに収録されている。
個人的には本作中でも最も好きな曲。この曲を最後にオフコースの歴史は幕を閉じた。
(作詞・作曲:小田和正)

アルバム全体の短評

最初の方に、これはビートルズで言うアルバム「LET IT BE」みたいなもの、という言い方をしたが、アルバムの成立過程で言えば俗に言うホワイトアルバムの方が近いかもしれない。

ただ、オフコースという名前にある種の固定的なイメージを持っているような身としては、こういう「オフコースというバンドのアイデンティティ」が見えてこないアルバムを提示されて、「どうですか?」と訊かれても困るというのが正直なところだろう。

なるほど、オだが言うように「サウンド的には統一感がある」のかもしれないし、それは否定できないだろう。

とはいえ、前作にはまだ何となく感じられた「オフコースというバンドらしさ」が見えてこない。
オフコースという名前のユニットが、結果として「メンバーそれぞれの趣向によって楽曲を持ち寄って演奏している」というように見えてしまって仕方がないように思える。

そして、だからこそ思うのは、1989年2月に東京ドームで実施されたラストコンサート「The Night with Us」は、やらない方が良かったのではないか、ということ。
あれは、映像はおろか、音源ですら私は見聴きしたことがない。というか、あれをやるなら、鈴木脱退前に横浜開催で企画されたコンサートをやるべきだったと思ってしまう。
もしあれがあったなら、「The Night with Us」の持つ意味は、全く違うものになっていたのではないか。

そんな気がしてしまう。

オフコースは長い歴史を辿ってきたし、その一つ一つには改めて敬意を表するものの、ここまで「バンドらしからぬ形」を見せてしまい、なおかつそのまま終焉を迎えてしまったオフコースを、直視できない面もある。

とはいえ、11のような曲を持って来てアルバムをクローズできるところを見ると、オフコースも最後はバンドであるという意思表示をして幕を閉じようとしたのかもしれない、と思わざるを得ない。

その後、オフコースはそれぞれに活動をしている。中でも小田和正はソロシンガーとして、特筆すべき実績を積み重ねていることは、今更ここで重ねて書き出すまでもなかろう。
松尾・大間・清水もそれぞれの活動を行っている。彼らなりにオフコースとして経験してきたことを咀嚼しながら、現在の活動に活かしていると思われる。

ともあれ、ここまでオフコースのアルバムを数多く紹介してきたが、「こいつ、何書いてやがる」みたいに思う人も多かったのではないか。
まあ、結局、個人の意見に過ぎないので、自分はこんな風に思ってるけど、それは多数を占める意見ではない、とだけは申し上げておきたい。

とりあえず、オフコースを取り上げるシリーズはこれにて幕とする。

基本的に他人様にどうこう、と偉そうに提示するような文章ではなく、「こいつ、馬鹿でぇ」と軽くお読みいただけるような文章を書き発表することを目指しております。それでもよろしければお願い致します。