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オフコースのオリジナルアルバムを勝手にレビューするシリーズVolume9:「We are」

忘れていたわけではない。いろいろあったので、この時期になっただけだ。そのことに特に意味はなく。
ということで、例によって例の如く、敬称略でお送りする。もはやグループ名に関する注意はしない。
とうとう、エンジニアにビル・シュネーが関わり始めた頃の作品に突入することになる。必然的に小田色が強くなるが、これはこの時期の鈴木が寡作傾向にあったからに過ぎない。という前提の下でお読みいただこう。

序説

ビル・シュネー。この人は元々、TOTOやボズ・スキャッグスなどのアルバム等に於いて、エンジニアを務めた人物である。
小田が彼を知ったのは、パチンコの景品で獲得したのがボズ・スキャッグスの「ミドルマン」というアルバムで、これを聴いていい音だと感じたらしくて、気になったという。
その結果、スタッフを見るとプロデューサー兼エンジニアとして彼の名前があったからだ、という。
そして、連絡を取ったところ、他にも候補はいたらしいが、彼が最もレスポンスが早かったという。

彼の仕事には実際驚かされたらしく、音楽センス・手際も彼らの経験値にはないものだった。また、その行動感覚の鋭敏さにも学ぶところが多かったという。
それだけ聞いていると、ビル・シュネーはオフコースにとっての中興の祖、ということが言える人物だと思う。
ただ、その一方で、まあ、何というか、オフコースの音楽の「商品としての価値」が高まった反面、その高まった価値と引き換えに無くしてしまったものもあるんじゃないか、などと考えもする。

オフコースも人間が運営している音楽グループなのだから、当然小田や鈴木をはじめとするメンバーたちは、その歴史の中で学習もするだろうし、進化だってするはずだ。
その中で、得たものだけではなく、止むなく棄ててしまったものも少なからずあると思う。それを進化や成長のために必要なものとするなら、受け入れるべきかなあ、とも思う。

詳しくは各曲の項に譲りたいが、少なくとも、このアルバムのオープニングナンバーである「時に愛は」と、例えば前作「THREE and TWO」の冒頭を飾る「思いのままに」のテイストはかなり異なる。

どっちが良い悪いの話ではなく、このダイナミックな変化を受け入れられるか否かの問題だろうと思う。

私は長年本作を聴いてきたが、最近「このアルバムに於ける比類なき成長はオフコースという音楽ユニットを本当に幸せにし得たのか?」という根源的な疑問に突き当たってしまっている。
何故なら、本作から2年半程度の後に、鈴木康博は脱退してしまい、最終的は本作から約8年程度あとに解散してしまう。

オフコースという音楽家集団のポテンシャルを高めるためには、とても重要な変化だったと思う。ただ、その変化は結果としてグループの寿命を短くしてしまったような気がしてならない。

あくまでも個人的な見方だが、そう思える。

さて、収録曲をご紹介しておこう。

1:時に愛は
2:僕等の時代
3:おまえもひとり
4:あなたより大切なこと
5:いくつもの星の下で
6:一億の夜を越えて
7:せつなくて
8:Yes-No
9:私の願い
10:きかせて

割合としては小田6曲(1・2・4・8・9・10)、鈴木3曲(3・5・6)、松尾1曲(7)だ。ビートルズで言えば、小田がポール、鈴木がジョン、松尾がジョージ、という感じだろう。
松尾はシングルのカップリング曲から始まって、本作の前に出たライヴ盤でアルバムの中の曲をモノにしている。

1:時に愛は

小田の作品で、アルバムのリリースからさほど間のない時期に、次曲「僕等の時代」をカップリング曲としてシングルカットされている。
このように、2人期から5人期に於いて、シングル両面が同じメンバーの曲になるのは珍しいケースである。
ギターソロは、間奏が松尾、アウトロは松尾→鈴木の順番で演奏されているという。ギタリストが二人いることで実現した掛け合いだ。
シングルのジャケットはソフトケースとハードケースの2種類が存在しているが、収録されている音源は両面共にどちらも同じ。
(作詞・作曲:小田和正)

2:僕等の時代

「時に愛は」の項でも述べたように、シングル「時に愛は」のカップリング曲でもある小田の曲。フジテレビで毎日曜日の朝にやっている番組とは無関係だが、同名のTBSドラマの主題歌になっている。
ライヴではスタジオ盤と異なり、バンド風のアレンジをされない。アコースティックなアレンジが施され、なんと清水仁までもが歌唱に加わるのだという。普段歌わない清水の歌唱は人気を博したようだ。
清水は後に4人期にリードヴォーカルを担当する曲が登場するが、5人期ではライヴでしか披露の機会がなかった。
松尾の高音部も最終ヴァースの前に登場する。
(作詞・作曲:小田和正)

3:おまえもひとり

オフコースの曲にはごくまれに「俺」という一人称の曲が登場するが、これもそうした作品の一つ。
この曲のタイトルにも含まれる「おまえ」は比較的オフコースの初期の曲に登場することもあるが、「俺」は珍しい。
「俺」が登場する理由は、作詞者の一角に清水仁が加わっているからだろうと思うのだが、彼が作詞に加担した他の曲に「俺」という一人称は登場しない。
その一方、彼が歌った曲(1987年リリースの吉田拓郎作詞の「逢いたい」)には登場する。
ギター(特にソロ)の音色が特徴的で面白い。特徴のあるベースラインもビル・シュネーが強調するようなミックスをしている。
鈴木はかつて「昨日への手紙」を書いた時にも、詞がうまく書けずに山上路夫に頼もうとした経緯があるように、詞に詰まることが多いようで、この時期もそういう時期だったのだろう。
(作詞:鈴木康博・清水仁、作曲:鈴木康博)

4:あなたより大切なこと

ピアノのリフから始まる小田の作品。こういう作品のベースを強調しつつも整理されたアレンジメントを聴くと、ビル・シュネーがもたらした音楽的な進化は、かなりのものがあったのだろうと思える。
基本的にシーケンシャルサーキット社の名器・プロフェット5の音色がコーティングされてはいるが、間奏前半部のくぐもったようなギターの音色がたまらない。
(作詞・作曲:小田和正)

5:いくつもの星の下で

この頃は作詞に苦労することの多かった鈴木が、ここでは単独で歌詞を書いている。
本曲は曲そのものを作るのにも苦労したそうで、自分でも判断がつかずにスタジオで音を出したところ、メンバーから賞賛されたことで自信になったという。
ベスト盤「SELECTION1978-81」に収録されているほどだから、如何にこの曲がグループ内で高く評価されていたかがわかるというものだ。
テイスト的には「汐風の中で」に近い感じもするが、その世界観を一歩も二歩も推し進めたような感じもする。
(作詞・作曲:鈴木康博)

6:一億の夜を越えて

冒頭にシンセの単音リフのバックに登場するのは、松尾か大間の嬌声であろう。非常にロック色の強い曲。
キーのトリックがあり、イントロがB♭メジャー、Aメロやサビ前はGマイナー、サビでGメジャーに替わる。
作詞はオフコースが関わることも多かったシンガーソングライターのあんべ光俊が、本名で提供している。彼はその後「夜はふたりで」にも歌詞を提供した(名義は鈴木と共同)。
ベスト盤「SELECTION1978-81」にも収録されたが、何故か冒頭のシンセの短音リフがまるごとカットされている。
一方、テレビ番組「NEXT」のサウンドトラック盤には何もカットされずに収録された。
(作詞:安部光俊、作曲:鈴木康博)

7:せつなくて

作詞を秋田時代からの盟友である松尾と大間が行い、作曲は松尾が1人でやっている。
とはいえ、実際にはクレジットこそないものの、特にサビの部分などは小田の助力もかなり仰いだようだ。
このように、オフコースのスタジオアルバムに於いて、初めて松尾の曲がフィーチュアされた作品である。ベストアルバム「SELECTION1978-81」にも収録された。
(作詞:大間仁世・松尾一彦、作曲:松尾一彦)

8:Yes-No

本作のリリースのおよそ5ヶ月前にシングルリリースされたが、冒頭の富樫要によるフリューゲルホルンの部分がカットされ、後半部分に大間のカウベルが挿入され、フェイドアウト部分も短めに編集されたヴァージョン。
後に「SELECTION1978-81」にも収録されたが、そこではシングルヴァージョン冒頭にあったフリューゲルホルンとオルガンの部分が足されただけのアルバムヴァージョン(当然、カウベル入り)である。
シングルヴァージョンとは音圧が異なる。シングルが5分20秒、SELECTION版が5分1秒、そして本ヴァージョンが4分32秒と、普通はアルバムヴァージョンが最も長いはずだが、反対になっている。
シングルのジャケットは「LIVE」のフォトセッションで撮られた別テイクのものだろう。
中間部でテンポが落ちる部分があるが、ライヴの際にそこで合いの手のように手拍子を入れる行為が流行って定着した。俗に言う「タンスタタン」であり、小田はそれを意図しておらず、ファンが始めて定着した。
小田に言わせると、歌詞や「タンスタタン」の合いの手も含め、ファンのアンテナに引っかかったから流行った、という認識のようだ。
なお、シングルのカップリング曲は鈴木の「愛の終る時」で、こちらもシングルヴァージョンの方が長い。
(作詞・作曲:小田和正)

9:私の願い

イントロ無しに曲が始まる小田の作品。これはオフコースでも有名だが、元ラッツ&スターの鈴木雅之がカヴァーしたものが大変に有名で、彼はこれをシングルカットまでした。鈴木雅之のものは小田がプロデュースした。
後年の小田を想起させる柔らかいムードに包まれた作品。人気も高く、小田に弾き語りでやってほしいとするリクエストも多いという。
(作詞・作曲:小田和正)

10:きかせて

小田の作品。大間ジローによれば、彼自身でさえ「よくぞここまで」と思うほどには無駄を省いたドラミングなのだという。実際、大間の言にも納得が行き、前半部は本当にあらゆる無駄を削いだ感じすらする。
ドラミングばかりに耳がいきそうだが、小田のリードに絡んでくる鈴木のカウンターヴォーカルが最高で、後半部で鳴りまくる松尾のハーモニカと共に曲のアクセントになっている。
(作詞・作曲:小田和正)

アルバム全体の短評

本作はビル・シュネーを迎えて、音がより研ぎ澄まされた。それは誰が聴いても明らかだろう。

ここでも言ったように「『製品』としての完成度が高いオフコース」を聴きたいなら、このアルバム以降のアルバムを聴くべきだ。
ただ、オフコースはそれだけのグループではない。例えば、私は「Yes-No」のアルバムヴァージョンより、シングルヴァージョンの方が断然好きなのだが、両者には明らかな違いがある。
シングルヴァージョンは、カップリングの「愛の終る時」込みでビル・シュネーが関与する前の作品だが、アルバムヴァージョンにはない、こういう言い方が正しいかどうかは知らないが、毒々しさが感じられるように思う。
つまり、音が整理整頓されていない分、ある種の押し出しが強く、だからこそ毒々しささえ覚えてしまうのである。アルバムヴァージョンが出ていなかった頃には、もっと強烈な印象があったように思う。
どちらが良いとか悪いとかの話ではない。このクオリティの高さはむしろ、オフコースに必要なものだった。だから最終的にはそっちに乗ったのだろうと思う。
ただ、私のような偏屈者は、「Yes-No」の整理の行き届いたアルバムヴァージョンより、荒っぽさや危うさの感じられるシングルヴァージョンの方が好きだ、というだけのことだ。
オフコースは5人期の間は、シングルに関しては一部を除いて、ビル・シュネーが介在しない形で音を作っていたようだが、その方がむしろ良かったのではないか。そんな気がする。
この後、「Over」や「I LOVE YOU」で更にクオリティが向上するのだが、音のクオリティの向上と引き換えに、説明は難しいが、徐々に何かをなくしていったような気がしてしまう。
繰り返すが、本作以降、音質的、何よりも音楽的にもクオリティが大きく向上したことは言うまでもない。
オフコースは押しも押されもしないビッグネームになったが、そのことがもたらした栄光に、やがて鈴木の脱退などを経る形で、オフコース自身が苦しめられることになるように思えてならない。
この「We are」という作品は、結果としてその端緒になってしまったような気がしてしまう。
恐らく、オフコースのメンバーやオフコースカンパニーの人々自身が意図しない形で、知らないうちに様々な思惑に乗って、結果的にパンドラの匣を開けてしまったのかもしれない。
このアルバムのリリース後のツアーから始まった、鈴木の脱退を巡る話や、そこから派生したグループの解散話など、様々な事柄に発展して行ってしまう。
そう考えると、何だか複雑な気分のするアルバム、という言い方はできるのかもしれない。新時代の幕開けとなる快作ではあったのだが。

基本的に他人様にどうこう、と偉そうに提示するような文章ではなく、「こいつ、馬鹿でぇ」と軽くお読みいただけるような文章を書き発表することを目指しております。それでもよろしければお願い致します。