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頭髪に関する倒錯した考察

釈迦坊主と山田ギャル神宮の髪型が似ているという話題はヘッズ達の間では既に語り尽くされているが、その結論は概ね「山田ギャル神宮は釈迦坊主を意識して髪型をパクっているのではないか」というものである。
しかし、先日のニートtokyoで山田ギャル神宮はこの話題について大きな一石を投じた。
今回はそんな2人の髪型に関する議論に私も加わってみようと思う。

私は釈迦坊主の髪型ではなく山田ギャル神宮の髪型に憧れている。
私は釈迦坊主について詳しくは知らないのであくまでも個人的な所感というか妄想でしかないが、釈迦坊主は恐らく、例えば“釈迦坊主っていう名前なのに黒髪ロング”というような明確なコンセプトを持って黒髪ロングにしていると思われる。
対して山田ギャル神宮は「一番エロい髪型ってなんだろうってなったらやっぱり黒髪ロングだった」と述べている。
山田ギャル神宮本人的には独自のギャルロジックに基づいた究極の髪型なのだろうが、傍目からは釈迦坊主よりも些かテキトーであるという印象を持たざるを得ない。
が、そのユルさが良いのだ。
私は釈迦坊主のような、明確なコンセプトを持ってかっちり生きていくタイプの人間ではない。なんとなく目標を持ってはいるが全力で努力すると言うよりは、そこに向かって流し流れるままに生きているタイプだ。山田ギャル神宮は、前述した髪型のコンセプトから、私に近いタイプの人間であると推察できる。理想のギャル像を持っているが、全身全霊を捧げてそれを目指すという訳ではなく、こっちに行けば理想に近づけるだろうと感じた方へなんとなく向かっていく。その姿勢に親近感を抱くのだ。だから私は山田ギャル神宮に憧れる。
というか、正確に言えば応援している。

以上が私の釈迦坊主と山田ギャル神宮の髪型に対する考察もとい感想である。
私の好きな漫画、BLEACHの名言に「憧れは  理解から最も遠い感情だよ」というものがある。初めて読んだとき私は、対象の素晴らしさを理解しているからこそ憧れを抱くのではないかと思っていた。しかし、今回2人の髪型に対する想いを考察したことで、少し考えを改めた。
憧れ故にねじ曲がった理想を盲信し、理解したと勘違いすることもあるのだろう。
この名言を吐いた藍染惣右介はそれを咎めていたのではないだろうか。そこに考え至った私は、彼への憧れを強め、彼の名言をより深く理解、した気になっている。
やはり憧れは理解から最も遠い感情なのかも知れない。

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