見出し画像

当たり前の重要性

心が決めるのか、脳が決めるのかわからないが、人には受け止めきれないものを流す能力がある。脳の信号で体の動きは決まっているはずなので、脳がその能力を持っているのだろう。脳に能力というのはダジャレではないのだけれど、脳の能力というものは不思議なもので、その能力というか動きを正しくすることが生きていく上では不可欠である。

たとえば、接客業などをしていると現れてくるクレーマーの言葉を全て真に受けてしまえば、心が悪いものに覆われてしまう。それを脳が、これは流さなければいけないとクレームを流すことで自分が保てる。しかし、脳をありのままに動かすことは意外に難しいことで流さなければいけないものを真に受けてしまうことがある。そうしてしまうのは、自分の心の持ちようであったり、心の状態が悪かったりするときである。私も以前は何もかも真に受けてやろうという間違った意気込みを持っていた時期があり、その時期は流すべきものも上手く流すことができず、心を病んでいた頃がある。誰かに言われた言葉が呪いのように頭から離れなかった。自分が好きなことや嫌なことの区別もつかなかった。あのどうしようもない感覚が心の不具合で、自然でないことだったのだろうと今ならわかる。

自然でいることは本当に大切である。しかし、ずっと好きなことばかりしていければいいが嫌なこと理不尽なことは生きていれば必ずやってくる。そんな時に、真に受けない技術というか真に受けないように体を、心を使うというのが重要だなと考える。何もかも受け入れる必要はなくて、いらないと思う情報は捨てていいし、嫌を避けられるところは避けた方がいい。嫌なことを、嫌なところへと昔の自分はドMを爆発させていた気がする。今でもそんな気があるが、それは筋トレの時くらいでいい。当たり前のことに当たり前の反応をするような脳力、心の動かし方ができるようにぼちぼちやっていきたいと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?