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よくわからない不思議な力の話





新社会人になってから今回退職をするまでの間、病院職員としてたくさんの人とかかわってきた。職場に三下り半を突き付けて辞めたわけではないので、いたって円満。ごくごく普通に勤務最終日を迎え、有休消化という長期休暇が始まった。そして今に至る。








部屋の片づけや引越しの準備をしつつ、のんびり過ごしていると今まで働いて出会ってきた人たちのことを思い出す。命の最前線にいたから、言われることもそんなに多くなかったような気もする。でも振り返るとたくさんの感謝の念を伝えられていたな。たくさんの人のやさしさに救われていたな。そんなことを思う。






在職中はずっと自分に自信がなかった。と思えば妙に自信に満ち溢れているときもあったり、すごく不安定だった。









そんな不安定な気持で仕事をしていると、ミスもする、いらないことを言う、そんなことを繰り返していた。人を助けないといけないのに、人を傷つけたこともあった。安心できた日なんて1日もなくて、呼び出し待機が始まってからはさらに不安定で不安な日が多かった。

それでも「来てくれてありがとう」「助かったよ」といってもらえることもあった。それだけが救いだった。













この仕事をしていると、なんで???どうして???と思うことに遭遇することもある。
それが大なり小なり積み重なると、とんでもないストレスになる。

私は元来、自分に自信がない。その上に人からの悪い評価が重なったりするとすぐに疲弊し、でも誰かに話すのも...となって結果ため込んでしまう癖がある。そのとんでもないストレスと戦い続けた。上司に泣き言を言って怒られたり、かと思えば限界まで追い込んで大泣きしたり、いろんなことがあった。













上司たち、そして同僚たちに辞める話をした後のことである。




せっかくだから飲みに行こうと職場の近くの居酒屋に行った時のこと。すぐ下の後輩が私にこんなことを言っていた。


「ししょーさんがいなかったら、とっくの昔に辞めてましたよ」









正確には私と私の同期、ではあるが。

「そんな大したことしてないよー」と言ったけど、いや本当に、たくさん話聞いてもらったんで、あれがなかったら本当に辞めてましたと何回も何回も言っていた。諸般の事情でその後輩とは最終出勤までの1週間は会えなかったが、上司伝えに私にあいさつできないことを悔やんでいたと聞いた。





退職ということで、自分の部署以外にもお世話になった人にはご挨拶をして回った。
挨拶をしたときに泣き出してしまった人、ひどくショックを受けている人もいた。そのたびに「お世話になったね」とか「いろいろありがとう」とたくさんの言葉をもらった。もちろん自分の部署でも前向きに送り出してもらった。








辞める直前、上司から「自分の影響力も分かったんじゃない?」とも言われた。同時に「自分らしくがんばれ」と背中を押してもらった。







脱線するが、私には3人上司がいる。3人とも私の身を案じてくれた。言葉は違えど、そろって送り出してくれた。その3人から同じようなことを言われている。この人たち、ホントに...とは思ったけど、内心はうれしくて仕方がなかった。本人には言ってないけど。












自分が辞める時になって気付いた、自分の存在でいろんな人の心を自分が救っていた。

ついでに、自分もたくさん救ってもらっていたことにも気づいた。



気付くのが遅すぎたのかもしれない、でもすぐに調子に乗る私からするとこのタイミングがちょうどよかったかもしれない。














そういえば飲みに行った帰り、別の後輩がこんなことを言っていた。

「僕も、ししょーさんみたいな先輩になれますかね」

こいつ負けず嫌いだし、今、ちょうど壁にぶつかってるところだもんな...自分もそんな時期があったな、と思い返しながら、ふと口をついて出た。







「悔しいこともつらいこともいっぱい経験して、乗り越えてきてるんだから、なれるよ」




昔の自分に言い聞かせてるみたいだなと思いつつ、がんばれよ、とも思いつつ、でも無理だけはしないでほしいと案じながら、そんなことを言っていた。








やさしさってなんだろう。と思っていたけど、それは知らぬ間に誰かの支えになっていることかもしれない。そんなことを思いながら、明日からまた学生以来の長期休暇を過ごしていこう。







#やさしさにふれて

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