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秋田八丈  秋田県

秋田地方での織物の始まりは、18世紀の頃と伝えられています。奥州伊達郡木原の人で、号を遊蚕と称した石川竜右衛門が移り住み、この地方に養蚕を広め、その絹糸を使って畝織、竜門織、秋田平などの袴地を織り出したのが始まりとされています、

秋田八丈は、この絹織物を奨励し、より発展させるために、時の藩主は、今の群馬県桐生市から蓼沼甚平を招いて、上野馬場小路(今の秋田市川尻町)に住まいを与え、染色機織りの業を営ませたのが始まりです。

蓼沼甚平は、ここで黄八丈に倣って、八丈格子を製織したのです。この絹織物が有名になり「秋田絹」の名で呼ばれるようになりました。さらにこの秋田絹の糸染めの染料に工夫を加え、この地方の海浜に多く自生するバラ科の落葉性低木で「浜茄子(ハマナス)」と呼ぶ植物の根の皮の煮出し染め汁を用いたのです。

秋田八丈  (北秋田市ホームページより引用)

すると独特の色調が出て、その優美な色が江戸や京阪の人々に喜ばれ、秋田八丈の名で多くの人々に着られるようになったのです。これが秋田八丈の起こりです。

従って秋田八丈というと、まず浜茄子で染める鳶八丈(とびはちじょう)<とび色に染められたことで名付けられた>によって代表されるのです。さらにこれを基にして、山躑躅(やまつつじ)や刈安(かりやす)、楊梅(やまもも)などで染めた秋田八丈なども織り出されるようになりました。

現在は北秋田市の「秋田八丈ことむ工房」の代表である奈良田登志子さんが、この技術を継承している唯一の生産者で、次世代に繋げるべく地道に織り続けています。
きものファンにはぜひ知っていただきたい東北の宝の1つです。

参考資料
北秋田市ホームページ

秋田八丈ことむ工房
https://kodawariakita.com/maker/akitahachijoukotomukoubou/

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