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僕と新入社員キラーとミッキーマウスと


芸人になる前、僕は社会人をしていた。

20歳で地元の福岡を離れ、関西の方へ赴任した。

僕が通っていた高校は少し特殊で、5年制の国立の学校だった。
高校1年生から5年生まであり、高校1年生のときから大学並みに校則が緩かった。
いわゆる高専というやつである。

なので、20歳で高専を卒業し、そこから就職か大学への編入がせまられる。
もちろん僕は就職を選択した(ハタチで受験なんかやってられるかと思った)ので、ひとりで関西へと旅立った次第である(最初の研修は東京だったけど)。

僕が通っていた高専は、割と頭が良く(なんと偏差値66!!)、専門的な分野に特化していたので、就職率が毎年100%だった。

僕は、2つ上の尊敬する先輩(僕たちの代で知らない人はいない)がそこへ就職したという理由だけで、ある食品会社の面接を受けた。

その食品会社は、誰もが知っているであろうメーカーで、まあ平たく言うと大企業だった。

大企業というだけで、僕は面接を受けるのに内心びくびくしていたが、いざ受けてみるとその会社の面接はとても雰囲気が良く、圧迫面接とは程遠いものだった。
圧迫の対義語はないらしいので、適当に開放面接とでも名付けておこう。

そして、難なく内定をもらった僕は、2016年4月1日、晴れてその会社に入社したのである。

入社したときは、27歳でこんな最底辺の芸人をやっているなんて想像もしていなかった、良い意味で。

僕が入社したときは、会社の同期は60人ぐらいで、東大や京大など高学歴のやつらばかりだった。
でも大丈夫、僕のクラスからも同級生が東大に1人行ったぞ、大丈夫大丈夫、とあたかも自分も東大に行ったかのように自分を鼓舞した。

ほとんどの同期は、工場内の「製造」という職場についたが、僕は高専卒ということもあってか「工務」という職場についた。

「製造」はなんとなくイメージつくと思うが、「工務」では何をするのかというと、まあすごく平たく言うと工場内のなんでも屋さんである。

ユーティリティ設備の保全や点検の他に、どこかしらでなにかしらのトラブルがあると工務へと連絡が入る、当番の者がすぐに現場へ駆けつけて対応する、僕たち工務が対応できなければ工場が止まってしまう、言わば工場内の最後の砦である。
しかも、トラブル対応は時間との勝負、早くなんとかしないと製品がダメになってしまう。
加えて工場は24時間稼働、夜勤帯は当番が1人なので、重大トラブルも1人で対応しなければならない。

そんな大役を1年目から任された。

しかも、工務は少数精鋭のチームで構成されていたので、一人一人に対する仕事の負荷が大きかった。
専門的な設備の知識を要するので、ひたすら勉強し、ひたすら体で覚えた。

工務は職人気質な人が多く、他職場よりも圧倒的に見た目が怖かった。
僕が入社したときの主任はほぼ哀川翔で、副主任はほぼ宇梶剛士だった。

Vシネの帝王とブラックエンペラーの総長が一堂に会している職場に、入社一年目の僕はびびりにびびった。

特に、宇梶の方は会社内では全国的に有名で、工場内では超超超有名な新入社員キラーらしい。

僕が入社すると、色々な他職場の人たちから心配の声が寄せられた。

「あの人のせいでもう新入社員3人はだめになってるから」
「あの人はまじでやばいから気をつけて」
「何かあったらすぐ言うんだよ」
「がんばってね、僕は応援してる」
「あの人の言うことなんて気にしなくていいから」


こんなことをみんなジャブを打つように言ってきた。
今考えると、これらを言ってきた全員に対してひとこと言いたいことがある。


「いや、うるせえよ」


宇梶といっしょに働いたこともないくせに、工務で一回も従事したことないくせに、余計なお世話である。

何を思うかは僕がこれからいっしょに働いてから決める、だから外野は黙っとけと、そう言いたい。

いやまあみんな僕のことを思って言ってくれていたのはたしかなのだろうが、今考えると、今考えるとだけどうるせえしかでてこない。


でも、僕は宇梶に会う前から宇梶にびびりまくっていた。
だってみんなすごい心配してくるんやもん、すごいびびらせてくるんやもん、こわすぎるってもう。

みんなの噂や心配の声のせいで、僕の中の宇梶はもう角が生えたムキムキの鬼と化していた(まだ一度も会ったことないのに)。

そして、宇梶との初対面の日、宇梶は出社予定時刻より1時間早く現れた。

想像以上にムキムキだった。

てかでかかった。

そりゃみんなビビるわと思った。

そして、その日僕は宇梶に空気のように扱われた。

宇梶は僕の方を見向きもしない、僕も宇梶の威圧感で中々話しかけることができない(最初の挨拶をしたかどうかは覚えていない)、とにかくその日は宇梶がこわすぎて記憶がほぼない。

最悪のスタートを切った僕は、仕事終わりにひとり河原でうなだれた。

そして、1週間ほど僕と宇梶の冷戦が続いたある日、宇梶の方から急な注文が入った。

「そこの本棚を明日までに整理しとけ」

僕は、言われるがまま、2mぐらいの本棚を2つ整理した。
あんまり何も考えず思うがままに整理した。

次の日、宇梶から呼び出された。

ん?何か言われるのか?こわいぞ?本棚を綺麗にしただけよね?他に何もやってないよね?

恐る恐る宇梶の元へ近寄ると、本棚を見つめながら宇梶が言った。


「中々やるなあ」


予想外の言葉に声が出なかった。

いや本棚整理しろって言われてしただけなんやけど、中々やるも何もないんやけど。

続けて宇梶が言った。


「今までのやつらよりはマシやな、うん、でもここをもっとこう並べるといいぞ」


なんやマシて、何様なんこいつは、てか本棚を綺麗にするのにあんま力量の差ないやろ、どんだけひどかったん前のやつらは。

僕は、頭に浮かんだ言葉を押し殺し、

「あざす!」

と元気よく返事した。

そこから僕と宇梶の戦いは始まった。

言い方はきついし口も悪いしみんなに厳しいし何より見た目がめちゃくちゃ怖い。
でも、そんな宇梶は誰よりも仕事ができた。
誰よりも仕事ができたし仕事に対して妥協をしなかった。
自分に厳しい分周りにも厳しかった。

必ず出社予定時刻の1時間前に来るし、めちゃくちゃサビ残するし(あんまり良くないけど)、上司に媚びは売らず、昇進に興味はなく、仕事に対してめちゃくちゃストイックだった。
誰よりも仕事をするし、何より仕事が綺麗だった。

僕は、そんな彼に認められたかった。

多少理不尽なことを言われてムカつくこともあったけど、心の中では彼をすごく尊敬していた。

宇梶からこれやっとけとかこの資料作っとけとか注文が入る度、僕は注文以上のものに仕上げようと頑張った。

彼に認められたい一心でなんでも頑張れた。

他職場の人が彼を悪く言うような話をする度、僕は嫌な憤りを感じた。

(宇梶がおらんとこで宇梶の悪口言っときゃあいいって話じゃねえんぞ!いっしょの職場やねえくせに知ったような口聞くな!)

僕は、いつも心の中で叫んでいた。

というかたぶん本人にも言っていたと思う(もっと柔らかな口調で)。


それからも、宇梶は相変わらず冷たく孤高の人だったが、僕はそんな宇梶に認められたい一心で、日々の業務を精一杯がんばった。

そして、入社して3〜4ヶ月経ったある日、びっくりするくらい急に宇梶が明るく話しかけてきた。

あんまりよく覚えてないが、たしかディズニーランドの話をしたと思う。
なんか毎年家族とディズニーランドに行ってるとかなんとか、とにかく今までにはないぐらい気さくだった。

それからというもの、あの厳しかった宇梶が別人のように僕に接してきた。

もちろん僕以外(特に若手)にはひどく厳しかったが、なぜか僕には優しかった、というか友達のように接してきた。

それからというもの、僕と宇梶は仲良く仕事していた。
哀川翔からはトムとジェリーというあだ名をつけられるほどに。

そんな僕たちを見て、工場中(400人くらい)からは称賛の声が上げられた。

特に職制からは偉く褒められた。

「よく宇梶に認められたな!あんな風に若手に接する宇梶を見たことがないぞ!すごいすごい!すごいことだこれは!」

みんなこぞってそう言ってくれた。
全国の勤務地に僕の噂が広がるレベルで。
又聞きだけど本当にそういう噂(宇梶から認められた若手が関西の工場にいるらしい)というのを聞いたことがある。

でも、僕はわからない。

何がきっかけでそうなったのか、何がきっかけで認められたのか、さっぱりわからないのだ。

何か大きな仕事をしたとか大きなトラブルを対応したとかそんなタイミングじゃない、ほんとに急にそんな風になったのだ。

ほんとにさっぱりわからない。

でも、たぶんだけど、予測でしかないけど、一つ言えるのは宇梶に対して物怖じしなかったのがよかったんじゃないかと思う。

正直、宇梶はめちゃくちゃこわい、若手が簡単に喋りかけれるような人ではない、でも物怖じしたら負けというかそこまでというか、とにかく僕はわからないことがあれば宇梶に聞いたし理不尽めいたことがあれば態度で示した。

それがよかったのではないかと、そんな若手今までいなかったのではないかと、そう思う。

話しかけるのに勇気はいるけど、些細なことでも質問したらちゃんと答えてくれるし、理不尽めいたことも単に言い方がきついだけで、宇梶はとても不器用で周りから勘違いされているだけなんじゃないかと、僕はそう思っていた。

びびるだけなら簡単、びびってからどうするかが勝負、僕は今でもそのことを意識している。

そして、僕が入社して半年が経とうというとき、僕の耳に驚くべき言葉が入ってきた。


「宇梶、関東へ転勤」


うそや、宇梶はもう20年ぐらいこの工場なのに、なんでこのタイミングで、せっかく打ち解けられたのに、なんでこのタイミングなんだ。

僕は、運命を呪った。

なんのために仕事をしたらいいのかわからなくなった。
と同時に、僕が宇梶イズムを受け継ぐんだ!と仕事に対するやる気も芽生えた。


送別会の日、僕は宇梶にディズニーのハンカチをあげた。
寂しくて泣きたいときがあればこれで拭いてねと、そういう思いを込めて。


そして、それからは宇梶が抜けた穴を埋めようと必死で頑張った。
若手の中では圧倒的に仕事をしていたと思う。
自分で言うのもなんだが、類を見ないぐらいの躍進ぶりで、100年にひとりの逸材と言われた(もちろんお世辞も込みだと思うけど)。


そして、宇梶が去ってから2年が経った頃、3年目の研修で関東に行く機会があった。
僕は、事前に宇梶と連絡をとり、飲む約束をした。

2年ぶりの宇梶かあ、元気かなあ、早く会いたいなあと、久しぶりの宇梶との再会に胸が躍った。

そして当日、集合場所へ向かった。
すると、宇梶が向こうの方で僕を待っていた。

遠くからでもわかる、宇梶の背中が。

2年ぶりの宇梶との再会は、僕の中では空気はピンク色、僕たち2人の間を蝶々が飛び交い、お星様たちが囲っていた。

まあ実際には、

「おう」

「うす」

ぐらい薄い反応と挨拶だったけど。

そして、宇梶から家に招待された。

単身赴任で一人暮らしの宇梶の家には、玄関口にとんでもないほどのディズニーのフィギアが飾られていた。

ひとつひとつの配置に意味を持たせているような、そのくらい綺麗に置かれていた。

その日は楽しく飲み、また会う日まで頑張ろうとお互い鼓舞し合った。


そして、そこから2年半が過ぎ、僕が5年目に突入するとき、僕は会社を辞めることを決意した。

そのことをいの一番に宇梶に連絡した。

すると宇梶は、

「そっかそっか、わかった、そっち行くから飲もう」


僕が辞める理由は聞かず、僕と飲むために関西まで来てくれた。

その日も楽しく飲んだが、正直話した内容は全く覚えてない。
時折見せる宇梶の悲しそうな顔が見てられず、酒をたらふく飲んでしまったからだ。

でも大丈夫、離れていても、違う職種でも、僕はずっと宇梶イズムを受け継いで生きていく、何事にも妥協せず自分に一番厳しく周りに媚びないその宇梶イズムを、僕はこれからも背負っていく。


そして、芸人として、みんなをもっと笑わせて楽しませられるような、僕がいるから周りも明るくなるような、ミッキーマウスのような、そんな存在になりたいと思う。

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