レコード神社「azadi!?」ヤポネシアンボールズファウンデーション

ロックの民藝化


もちろんのこと、はっぴいえんどが日本語ロックの民藝化に成功し
その後のポップミュージックの良質な基礎となった。

ルーツミュージックへの回帰と歌謡性のアップデートを繰り返すことで
今日のポップミュージックが形成された。
この図式ははっぴんえんどに影響を与えた
バファロースプリングフィールドにも当てはまる。
バンド解散後に組んだPOCOの音源を聴くと
アメリカ人が趣向する<ルーツへの眼差し>と
現代的なポップ感覚が絶妙に配合された音楽だと感じる。
ちょっと斜めな言い方だが、
理想とするアメリカンミュージック、
求められるアメリカ像に寄せている感じがする。
カントリーロードが実際にその土地で住んだ人の歌ではなく
理想とする故郷を主題とした歌だったという話も踏まえて
ここでは
<音楽のルーツへ向かう動き>に注目したい

ルーツとなる音楽、ルーツへ向かう音楽

人間の欲求、音楽を作り出すには必要な欲求。
その先に何を出現させたのか。
その先あるものは、
新しいの国なのではないだろうか?
国と言うとちょっと物騒に聞こえてしまうかもしれない。
個人個人が理想とする場所とも言える。
たどりつきたい理想の場所はどこにあるのだろう、
ビートルズでいえばストロベリーフィールズフォーエバー
はっぴいえんどでいえば風街
浅井健一さんでいえばブランキージェットシテイー

大衆に受け入れられる音楽には
「新しい世界を予感させる期待」と
「半歩先の共同幻想」が含まれている。
POCOやはっぴいえんどの音楽に
内在された都市性には、<理想とする国家>の姿とともに
近代化されることで亡くなるであろう村の姿が
うっすらと立ち現れてくる。
過去と現在、未来をつなぐ産道のように。

そして、ロックンロールとは

ルーツ志向が音楽の自然な特性だとすれば
ロックンロールは『何かに抗おうとする魂の軌跡』と言えるのではないだろうか。
ルーツへの志向が高い音楽家なかに<社会システム>抗う人もたくさんいる。
例えばFERA KUTI 、BOB MALERY

ここで本日のアルバムを紹介したい。
ソウルフラワーユニオンとヒートウエイブによる合体バンド
ヤポネシアンボールズファウンデーション。
ロックンロールのカバー曲とオリジナル曲から織り成される
このアルバムの魅力は
同時代性なのでは無いだろうか、
言い方を変えるとリアルに感じるのだ
他人事ではなく時代の痛みを自分の痛みとして抗う姿が
音楽に感じる。

エンパイアステートビルに飛行機が突っ込んだ時
震度5の揺れを感じた時
その時自分は何ができたのだろうか、
何をすべきだったのだろか
<今、ここで自分は何を果たすのか>という問いに対して
真摯に向き合うことができるロックンロールが堪能できる。
ロック=行動であることを再認識させられる貴重な一枚。
震災後に展開される二人のさまざまな行動に
励まされた一人として、一人のロックファンとして
断言出来ることは、
ロックンロールにしか出来ないことが実現しているアルバムです。
政治、医療、市役所、学校、福祉が実現させることで世の中が
回っていることもよくわかるし、それなりに税金納めてるけど
信じれるものはロックンロールなんだと

久しぶりに内田裕也さんの政見放送を見たくなってきた。
メリークリスマス。


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