レコード神社「WorldStandard」

祖父は木こりだった。
田んぼも作って、炭焼きもやって
ガス屋もやっていた。
動物園の檻を作る仕事などもやっていた。

私は祖父のことが好きだった。
考え方が似ているとか、そんな頭で考えた理由じゃない。
獣が狩りの仕方を学ぶように
自然の中に生業を見出した人から吸収することが
生き物として正しいことだと体が反応した。

生き物としての喜びは
実感と経験の反復の中で、その命の輝きを増す。
『ロックンロールの魅力は繰り返すことやけん』
by鮎川誠
管理された社会に、野生を取り戻すための雄叫びとして
人間としての原点回帰の狼煙として
ロックは時代に合わせた徒花を狂い咲かせてきた。
本日皆さんと狂いざきたいのは
<徒花>の方ではなく<反復>の方をレッツゴー!

反復と祝祭を掛け合えあせればFELA KUtiを考えたくなる
反復というキャンバスに環境が滲み出れば
高橋幸宏さんがロングバケーションに旅立った後
METAFIVEを聴くというのも
本当にその通りだと思います。
MATAFIVEに集約されたもの、
その到達点をもう一度ゆっくり噛み締めたい
気持ちに駆られます。
慈しむことができるとしたら、
それは音楽を聴くことなんじゃないかなと
幸宏さんの音楽は囁きかけます。
同時に
今後の世界を考えると
warldstandardの音楽の軌跡に興味が惹きつけられます。
そこにあるのは
懐かしむと同時に新しく体験する(既視感)

皆さんも
車窓からの風景や
運転中に風景と音楽が妙に噛み合う瞬間
を味わうときがあるだろう。

タバコを燻らせながら、込み上げてくる
祈りに似た気持ちに包まれる
感情が音楽に溶け合ったのか
その理由を断定することはできないが、
幸宏さんの音楽やYMO関連作品を耳にしたとき
<人類における大いなる反復>を感じざるを得ない
それは音楽そのものに
慈しむという機能が備わっていることを
朗らかに表している。
あるべきとこに在る
故郷の名もなき山のように。
反戦の手段としての音楽ではなく
音楽が人類に対して備わっている機能で在る
<大いなる反復>を思い出すために
私は音楽を聴き続けたい。
生活の中にある平和的手段であるという
思いを握り締めながら。



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