Snow falls on...

一.

「父さんがお前ぐらいの頃、一度だけ見たよ。
 周りの音が消えて、皆が落ちてくるそれを見つめてた。
 あまりのことに、少し遅れて歓声が上がったもんだ。」

 12月に入ると父さんは決まってこの話をする。もう何十回も聞いているけど、僕はその度、まるで初めて聞くかのように目を輝かせた。
 部屋に戻ると、両親からもらった小さなノートパソコンを開いて、いつものサイトを見る。

 政府の公式情報によると、気候の変化によってわが国にいわゆる「雪」というものが降らなくなったのは随分前のことで、特に僕の住む街では30年間、降っていないそうだ。父さんの記憶とも大体一致する。この街ではもう誰も見ることがないかもしれないものを父さんは見たんだと思うと、正直言って羨ましい。

 僕は続けて、ちょっとした日記ぐらい長いURLを打ってもう一つの「いつものサイト」にアクセスした。これも公的機関のサイトだけど、普通ではアクセスできない場所にある。パスワードは毎日変更され、本来は内部関係者だけに明かされた法則性で管理されているけど、僕はアクセスを試みた初日にその法則を解読してしまった。

 公式かつ非公開の情報によると、僕のような人間を関係筋では「セカンド」(次の人類)と呼んでいるらしい。20世紀の末頃から既に研究者の間では存在が取り認識されていたそうだ。一口に「セカンド」と言っても様々で、僕のように幼少期から成人を上回る知能を持つ者もいれば、並外れた身体能力を持つ者、中には遠くの景色を模写したり、手を触れずに物体を動かしたりと、映画に出てきそうな能力も確認されている。原理は不明だが、無機物にまで干渉できるのだとすればとても興味深い。

 珍しく、隣の部屋で両親が言い争うような声が聞こえてきた。僕がまだ子どもだからとか、この街でなければダメだとか。引越しを検討しているのだろうか?僕はよその街で暮らすのでも一向に構わないが、できれば雪が降る街がいいな、とは思う。


「今、何かほしいものはないの?」

 8歳という微妙な年齢の僕に対して、母さんはサンタを匂わせることもなくストレートに訊いてくる。街中が少しずつ浮き足立つ空気を感じて、僕も少しソワソワしていた。「雪が見たい」と言いたいところだけど…それが不可能だってことは両親以上に良く分かっている。僕は父さんと母さんが大好きだし、どうにもならないことで困らせたくはない。

「うん。毎日楽しいし、それ以上のことはないかな。」

 そう答えると、母さんは笑顔で、でも少しだけ寂しそうな目をして、僕を抱きしめた。

 その晩も、両親の部屋からは少し揉めているような声が漏れてきた。どうも最近、こういう事が多い。僕の気持ちがどうとか、クリスマスまで持たせたいだとか。そういえば最近、父さんは留守がちだ。


 その日、僕は両親に連れられて、坂の上にある商店街のカフェに来た。街で一番見晴らしの良い場所にあり、大きなガラス窓の向こう側には、空の青、海の青、そして坂の下の街並みがひとつの大きな絵画になる。もっとも、天気が良ければ、の話だが。この日は特に寒かったし、日も陰っていた。

 ここに来るのは一年以上ぶりで、前は貸切で親戚を呼んで、僕の入学を祝って食事やケーキを食べた。...そんな店だから、特別な事情があって連れて来られたことは容易に想像できた。僕は父さんと母さんが大好きだけど、僕のために自分の人生が歩めなくなることは望まない。たとえ一緒に暮らせなくても、二人が笑顔でいてくれる方がずっと嬉しい。だから、何て答えるかを含めて、僕の中ではもう、あらゆることがシミュレート済みだった。

「テッド、最初に謝っておきたい。」

 父さんがそう切り出した時、僕の想像は残念ながら確信に変わったけど、僕は何も思い当たらないような顔をした。

「本当はクリスマスにここに連れてきたかったんだ。父さんもそうなるように努力した。だがどうしても、力が及ばなくて…。」

「ちょっと」横で母さんが苦笑した。

「あ、ああ、すまない。そんなのはどうでもいいんだ。さあテッド、外を見てくれ。」

 何だか様子がおかしい。シミュレーションの狂いを頭の中で修正しながら窓の外に目を向けた瞬間、僕は全ての思考を失った。夕空を、大きな埃の塊のようなものが、ひとつ、またひとつと舞い降りてくる。多分、5秒は続いたであろう金縛りを振り払って、僕は勢いよくテラスへのドアを開けた。視界の端で両親が笑顔を見合わせているのが確認できた。

「雪だ!」

 今思えば「子どもらしく」そう叫んで、僕は生まれて初めて、白い結晶を手のひらで受け止めた。

 後で分かったことだけど、両親は僕と同じ「セカンド」だった。父さんは一定範囲で気圧や気象に干渉する能力を持っていて、この街で降雪の条件を作り出すためにあちこち移動していたらしい。どうしても世界規模での気象の流れまでは変えられず、クリスマスに合わせることができなかったそうだ。

 母さんはと言うと、これが傑作で、人の考えていることがおおよその映像イメージで分かってしまうそうだ。僕の頭の中なんて、すべてお見通しだったってわけ。もっとも、母さんのそういう能力のせいで父さんは時々やりきれなくなって、口論してしまうこともあるらしいけど。

 大人が考えることは、常識では考えられないぐらい滑稽で、非効率的で、そしてとても一途だから、僕もそんな大人になりたいと思う。

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 二.

 こんなこと、誰にも頼んでいないのに。僕は苛立ちながら帰路についた。チリンチリン。自転車のベルが聞こえるが、僕は表情も変えず歩き続けた。ぶつからずに通れることは分かっている。実際、何ということもなく自転車は僕を追い越していった。家に近づくと僕は身震いをして肩をすくめ、右手で耳を覆いながら門を開けた。それを待っていたかのように、隣家の犬が驚くほど大きな声で吠え始める。そう、「普通なら驚く」ほどに大きな声で。

 僕にはいわゆる「予知能力」がある。簡単に言うと、未来に起こることが脳裏に映像と音で飛び込んで来る感じ。すごく便利じゃないかって?とんでもない!僕の能力は10秒後の出来事を感じ取る。たったの「10秒後」なんだ。

 何かの論文で読んだけど、人間には多かれ少なかれみんな「第六感」のようなものがあって、特に数秒後の映像を感じ取る力はよく知られているらしい。それが俗に言う既視感~デジャヴュ~に結びつくんだって。僕のはそれが特に強いケースなのかもしれない。

 けど、たった10秒で一体何ができると思う?爆弾処理の仕事でもしていれば、青と赤、どっちの線を切ればいいか分かるかもしれないけど、そうでもなければ何の役にも立たない。宝くじが当てられるぐらい先のことが読めればいいのに、とにかく10秒より先のことは微塵も分からない。特に悔しかったのは、競馬場に行った時だ。ゴール前の競り合いでみんなが盛り上がってる間、僕はもう諦めて馬券を投げ捨てていた。せめて10分後のことが分かれば、馬券を当てられるのに!

 この能力が身について損した気分になることはあっても、得したことは一度だってない。さっきの犬の鳴き声だって、予め飛び込んで来たイメージに沿って予定通り嫌な思いをしただけのことだ。そりゃあ、いい出来事があれば二度体験できるっていう利点はあるけど、僕の人生にいい出来事なんてありはしない。

「私の話、聞いてた?」

はっと我に返ると、僕は「もちろんさ」と、慌てて電話口のメリーに告げた。

「まあ、別にいいけど。切るね。」

 付き合い始めて2年。僕は彼女にゾッコンだが、最近の彼女の態度から、明らかに僕への興味の欠落が感じられる。10秒後の予知なんてどうでもいい能力よりも、容姿をディカプリオに変えられる能力があったら、どんなにか、本当にどんなにかいいだろう。…もう勘弁ならない。どうして僕だけがこんな不運に見舞われるのか。こうなったらこの予知能力を最大限に使って、彼女へのプロポーズを絶対に成功させてやる!

 こうして僕は今、レストランで彼女と食事をしている。
 これまでの流れは悪くなかった。最初は明らかに退屈そうな彼女。まずはエスコートで僕を見直させる。後ろからベルが鳴る前に、自転車側から彼女を遠ざけ、スマートにかわした。勿論、犬に吠えられるような道は回避。映画館では後ろのおっさんがクシャミをする瞬間、ハンカチを広げて彼女の頭をかばった。不謹慎ながら一番ラッキーだったのは、レストランまでの階段で彼女が躓いたことだ。僕はそっと彼女の肩を持って体を支え、それから手を引いて起こしてあげた。彼女の目の色が変わってきていることを実感する。もうひと押し。もうひと押し何か、ドラマチックなことが起こってくれないだろうか。

 その時、店の外で子どもが叫ぶ声が、僕の脳裏に飛び込んできた。僕は静かに席を立ち、窓際で彼女を振り返った。

「これからもし小さな奇跡が起こって、それが君の心を動かしたなら…
 その時はどうか、僕と結婚してもらえないだろうか。」

 怪訝な彼女の表情が、しかしすぐに驚きに彩られた。この街で生まれた僕らにとって、書籍やウェブでしか見ることがないはずのものが、窓の外を降りてくる。

 僕自身がそれをひと目見たかったが、今はクールに奇跡を演出する時。僕は彼女の前に跪き、手を差し出した。勿論、その時の僕にはもう、彼女の答えが手に取るように分かっていて、今にも駆け出したい気分だった。

「すごい…これが雪なのね。言葉も出ない。」

「...でも、ごめんなさい。実は私、時々10年後の自分が見えてしまう特異体質なの。何度見ても隣にいる人はディカプリオみたいなイケメンで、あなたじゃないのよね。」

 僕は静かに立ち上がり、彼女に微笑みを向けてから、勢いよく店の外へ駆け出した。

「雪だ!」 

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 三.

 久しぶりに地上に出た私は、いつものように塵を集め始めた。
 私はこの塵集めがいっとう好きだ。長い休みを経て、体はほぐれ、空も飛べるほどに軽くなっている。

 我々の仕事は、両手も背中も、とにかく体中が塵で一杯になるまで、ただひたすら集め続ける。辛い作業に見えるかもしれないが、年の瀬、この地域でこの仕事ができることは、存外の幸運だ。時期や場所によっては、重労働の末、道行く人から苦々しい顔をされ、恨み言を聞かされることさえあるのだから。

 あたりが急激に冷え込んできた。集めた塵を身にまとうが、塵もろとも体が凍りつき始めた。こうなると私はもう動けず、ただうずくまって成り行きに任せる。やがて完全に体が凍結すると、私は私であるようで、別の何かである気がしてくる。

 気づけば私の体は重さに耐え切れず、少しずつ、少しずつ、落下していた。時折吹く風にあおられて体が舞い踊り、あちらこちらで仲間とぶつかるが、そこに私の意思はなく、ただ灰色の空を淡々と、確実に落ちてゆく。
 どれぐらいそんな時間が過ぎただろう。夕暮れの空の下に、ぼんやり灯る光が見えた。光がどんどんと近づくにつれ、改めて思う。

 ああ、私はこの塵集めが、いっとう好きだ。

 街をゆく視線が私たちに気づいて足を止め、空を見上げる。夕空に霞む私たちの体を灯りがほんのり照らすと、人々の表情が崩れ、あたりの空気が柔らかく変化する。この瞬間がたまらなくいい。

 人間は私たちを美しいと感じるようだが、しかし本当に美しいのは、いっせいに宙を向く瞳の群れ。そこに抱く光だ。この景色を見ることは、私たちだけが持つ特権なのだ。
 澄んだ瞳に吸い込まれるように、私はひとりの少年の手のひらに落ち、そして溶けた。

(了)

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昨年、海見みみみさんの「水銀燈」プロジェクトに参加したのですが、
諸々の事情で納期を守れず、皆さまにご迷惑をおかけしてしまいました。
その時に書いたものを少し編集して、今回公開させていただきました。

本当はnoteアドベントカレンダーにも参加したかったのですが、
文章にしろ音声にしろ、また納期を破ってしまいそうな人なので、
皆さまの作品を楽しませていただきつつ、別軸でアップしました。

皆さまの年末が、温かく、健やかで、光に満ちたものになりますように。

メリークリスマス。


きーん

お読みいただきありがとうございます。 未熟な人生からの学びを人の役に立てたいと思い、言葉を綴っています。サポートいただいたお金は調査・体験・執筆の資金として社会に還元させていただきます。