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災害直後の英語授業をどうするか

昨日たまたま参加した会で、大きな災害があった直後に予定されている英語の授業はどのようにするのがよいか考える機会をいただきました。そこでお話しした私の経験と、会のあとで考えたことをまとめておきます。

まずは、先生も生徒・学生も、休むことが必要なら休んでほしいと思います。心と身体をしっかりいたわって、学ぶエネルギーが戻ったら教室へ戻ってきてほしいです。

教室に集まれる状況なら、顔を合わせる目的で来てもらえるといいなと思います。日頃はどっぷりオンライン生活で、その便利さを存分に味わっている私ですが、こういうときは対面の方に力があるということも知っています。「アメリカ文化を学ぶ」という名目で、握手やハグを体験する時間をつくってもいいかもしれません。

2001年9月11日、私がはじめてアメリカに住むことになって10日ほど過ぎた日に、世界が驚く大事件が起き、国内は大きく動揺しました。もちろんパニックや騒動も目撃しましたが、よく覚えているのは大学からすべての学生と職員に宛てて届いた「カウンセリングの案内」というメールです。事件発生の翌日か、遅くとも数日後のことだったように記憶しています。「眠れない」などいくつかの具体例が並べてあり、「自分自身や、周りに当てはまる人がいたらここへ来てください。お話ししましょう」と書いてありました。

当時の私には心理に関する知識がまったくなく、最初の反応は「え、カウンセリングなんて大げさじゃない?」という程度でした。でも、アメリカの人々の受け止め方は違っていました。話すこと、聴くことの効果を知りました。この経験は後々コーチングを学んだり、東日本大震災の支援活動を立ち上げたりするときに生かされました。

英語の先生方から「コーチ的な関わりが有益と言われても、普段はなかなかその余裕がない」と言われることがあります。平時はカリキュラムも試験も無視できません。でも、災害があってすぐの休み明けなら、思いきり時間を割いて、生徒・学生の一人ひとりとじっくり向き合ってみてもいいのではないでしょうか。

911のとき、私は主にアメリカ人が受講する日本語のクラスでアシスタントをしながら ESL の聴講をしていました。新学期がはじまったばかりというタイミングで、私の記憶が正しければ、日本語のクラスはあえて予定を変更せずに通常授業をおこないました。特に101(初級)のクラスでは、まだひらがなも読めない、日本の地理的な位置もはっきりしない学生たちが、ほんの一時、遠い国の外国語に触れて非日常を楽しんでいました。場所と言語は裏返しですが、日本の英語の授業ではこれに近いことができるのではないでしょうか。現実から切り離された教室で、英語を話す未来があることを思い出してもらえたらいいなと思います。

ESL のクラスでは、国内の動揺とは少し距離を置いて留学生たちがそれぞれの意見や感情を吐露していました。気持ちを表す形容詞を書き出したり、普段は見かけない語彙をニュースから拾ったり。今回の日本でいうと、被災地から離れた地域での英語の授業で応用できそうです。

昨日の会のあと、主催の亘理陽一先生がこんな言葉をシェアしていらっしゃいました。許可を得て引用させていただきます。

教育者は危機を招きよせることも、 支配することもできない。彼はただ、かかる出来事が運命として人の身にふりかかるとき、それに助力者として関与し、危機の意味をはっきりと捉え最後までそれに耐え抜くことを手助けしようとすることはできる。

ボルノー(峰島旭雄(訳))(1966).『実存哲学と教育学』理想社, pp. 55–57.



Photo by Yosuke Ota on Unsplash

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