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言語コーチング講座募集で学んだこと、反省メモ

言語コーチング講座の初回募集が終わり、夏の募集がはじまりました。いやぁ、大変でした。またとない、というか正直、繰り返したくない体験だったので、反省点を含めて学びの記録を残しておこうと思います。

1.スタートは早めに

時間は前にしか進まない。それを痛感しました。普段の私はどちらかというと行動が速いほうなのですが、今回はいろんな事情で最初の一歩を踏み出すまで時間がかかりました。それも反省の一つですが、いちばんの反省は、自分以外の人が使う時間を考慮に入れていなかった点です。たとえば日程の提案をしてから承認、決定まで数ヶ月を要する、とか。組織に属していれば常識かもしれないことが、ひとり事業主の私の頭からはすっぽり抜けていました。とほほ。

後ろへ後ろへ倒された予定のしわ寄せは、募集期間の短縮へ。ようやく募集が始まったのは、締切の3週間前でした。

2.日本向けの情報発信は、日本語が話せる人の手で

ヨーロッパから、今回はじめて言語コーチングを日本へ持ち込むことになったわけですが、スタッフの中に日本語を話せる人がいないことが思ったより大きく影響しました。たとえば登録フォームなどシステムの一部が日本語非対応だったり、日本語の問い合わせに対していきなり英語の長文を送って驚かせてしまったり。検索ワードやフォントの感覚にも興味深い違いがあり、久しぶりに「言語の壁」を感じました。彼らがユーロ圏内の多言語話者で異文化に慣れていることが裏目に出た面もあります。彼らにとって日本は遠い国、「極東」だということに、私も遅ればせながら気づきました。

時間も人手も不足する中、本文を日本語に訳す以外に手がまわらず、デザインや構成は英語版のまま募集ページを公開しました。その結果、「読みにくい」「ほしい情報が見つからなかった」などのフィードバックをいただきました。ご迷惑をおかけしました。

3.「日本語で」のインパクトの差

これは募集開始後にわかったことですが、どうやら「日本語で受講できる」は売りにならないみたいです。本部のムードとしては、「最初は英語しかなかった講座が、スペイン語、ドイツ語、フランス語、ブルガリア語、アラビア語へと広がってきて、とうとう日本語にも!」ということに盛り上がっているのですが、日本のみなさんにとってはどうでもいいこと。そもそも講座が日本語で提供されるなんて珍しくもないので、アピールされる意味がわからなくても仕方ありません。対照的に、ヨーロッパの人々には「母語で学べるありがたみ、喜び」が大きく見えがち。両者の間にいる私は温度差を感じます。

あるいは、翻訳などの作業がしんどいせいで、”数々の困難を乗り超え、ようやくお届けします” 的な暑苦しさがにじみ出ちゃったのかしら。だとしたら申し訳ないことです。受け手側からすれば「知らんがな」「頼みもしないのに、そっちが勝手に持ち込んだ」ですもんね。笑

…というわけで、この経験を踏まえ、修正できるところは修正して、7月開講の募集ページをつくりました。ふー。

前回に比べると少しはマシになったでしょうか。ぜひまたフィードバックをお寄せいただきたいです。

新しいページの目玉は、『受講生の声』です。言語コーチとして活躍する仲間たちに寄稿していただきました。藤野るり子さん、日野ゆう子さん、田中朝子さん、コティー朱美さん、ご協力ありがとうございました。

そんなこんなで、やや苦しいスタートでしたが、なるほどなーと思うこともありました。たとえば、すでに英語で受講した人たちから「日本語で受けられるなんてうらやましい」「再受講したい」と言っていただきました。コーチングは理論やノウハウだけでなく、セッションで使う言葉を身につけ、学習者の言葉に対して敏感になることも重要ですから、「実際に日本語でどんな言い方をするのか」を学ぶためには、最初から日本語で受講しておくのが手っ取り早いというわけです。

そういうニーズがあると聞いて、教材の翻訳にやりがいを感じられるようになりました。将来的には、日本語で言語コーチングを提供できる人たちの知恵を集めて、フィードバックや質問の具体例、表現集を共有する仕組みをつくってもよさそうです。

そして、募集をやってみてなによりよかったのは、「言語教育や学習者に対する想い・考えが近い、志を同じくする人がいる」とわかったことです。もちろん想像はしていましたが、やはり実在する人物からお問い合わせを受け、コミュニケーションをとり、受講のお申し込みをいただくと、「ああ、本当にいるんだ」と実感がわき、その向こうには学習者の気配も感じられます。「しっかりやらなくちゃ」と、襟を正しました。

Photo by Nick Morrison on Unsplash

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