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10代の貴方へ、31.August in der Nacht

これを読んでくれる10代の方がいるのなら
まずは初めまして、KedamaMiと言います。
29歳、ギリギリ平成元年生まれの双子座、女。
人付き合いが上手じゃないし、性格は明るくないです。
一人でひっそり、絵を描いたり、漫画を描いています。
もしかしたら貴方のお母さんと同い年かもしれないです。
私は今、ドイツの首都のベルリンに何年か住んでいて
そういえば去年、スイス人の男の人と結婚しました。
もじゃもじゃの犬もいます。

何から話せば良いかわからないので、
大人がやりがちな「私の経験」に沿って話をします。
それで、こういう時、私はこうすれば良いと思うよ、
というお話をしようと思います。
でももし、貴方が私の事を「こいつ、好きじゃない」
って思ったら私の言葉に耳を貸さないで下さい。
好きじゃない奴の言葉に耳を貸さず、Youtubeで
Kemioくんの動画見て笑って下さい。
笑うと脳みそからハッピーなホルモンが出ます。



私は、小学校1年生の頃から学校が大嫌いでした。
仮病を使ってはどうにか休みました。
アナログの体温計って見た事ありますか?
あれって逆さにして振る事で自分の体温を偽れます。
私はいつも37.5度にしました。
もし保健室でいまだにアナログの体温計を使っていたら
早退したい時はそれを使えばいいです
居たくない場所に、居なくていい。

小学校1年生のとき、学校が嫌いだった原因は
多分、大人たちの気を引きたかったんだと思う。
6歳の頃、引っ越しをしておじいちゃんおばあちゃんと
一緒に暮らすようになってから私には
パパとママの思い出がほとんどありません。
私はパパとママに構ってほしくて仮病を繰り返したのかも。
もし、同じようにパパとママともっとお喋りしたいのなら
一度でいいから、「寂しい」って伝えてあげると
パパとママにもわかりやすいんだと思います。
大人って、貴方が思うほど何もわかってないし
時としては貴方の方がよっぽど賢いです。
だから、きちんと言葉にして伝えてあげてください。
もし、伝えても、理不尽な反応が返って来たり
改善されなくても自分を責めたり、
パパやママに復讐してやろうとか思わないで下さい。
パパとママは、今ちょっと手が離せないんです。
パパとママが「はっ」と我に返った時こそ
貴方は沢山寂しかったという愚痴を聞かせてあげて下さい。
そうこうしている内に貴方は貴方で必ず、
その寂しさを笑顔にしてくれる、とても素敵な出会いがあるから
大丈夫ですよ。

小学校6年生から学校には「たまに」行くようになりました。
6年生の時に他の学校から来た女の先生が担任になったんです。
大嫌いでした。クソババアでした。人気者の生徒にだけ優しくて
他の生徒にはとても冷たい。
自分で言うのも変な話ですが、私は人気者でした。
陸上の短距離走の選手で、図工も得意で、学級新聞の
漫画を皆が楽しみにしていてくれました。
その先生のネチャネチャした猫なで声で話しかけてくる感じが
大嫌いでした。クソババアうぜぇんだよ、って思っている内に
私は優勝候補として参加した陸上の大会で2位になりました。
クラスメイトの期待がはずれました。「挫折」ってやつです。
クソババアと挫折。何もかも憎かったです。

私は6年生の1学期が始まって1ヶ月程で学校に行かなくなりました。
毎朝、ママとの戦いが始まりました。
絶対に学校へ行かせるマン・ママ
V.S.
絶対に学校へ行かないマン・私です。
戦いは五分五分、時には行くフリをして公園のトンネル型の
遊具の中でじっと、ママが仕事に出る時間まで待ちました。
残念ながら当時は「不登校」だとか「登校拒否」って
言葉がようやくニュースや新聞で大々的に取り上げられるようになった頃で
まして私は田舎に住んでいました。誰も理解者はいませんでした。
そういった子を支援してくれるセンターは当時もありましたが
とても薄暗い雰囲気だし、何より働いている大人たちの
胡散臭い笑顔が気に入りませんでした。
(きっと本当は本当に優しい大人たちだったかもしれない)
(あと、遠かったから、忙しいママは乗り気じゃなかったです)
6歳の頃から少しずつ育っていった
私の中の「大人」へ対する信じられない気持ちが
何をするにも、億劫な気持ちにさせました。

大学病院にもよく連れて行かれましたが、小児神経科の先生に
いつも30分ぐらい責められるような質問ばかりされて大嫌いでした。
大人の中にはいつでも必ず、人の痛みに鈍い人がいることを
忘れないでおくと良いと思います。大人に沢山の期待を持ってしまうと
今度その期待をまさかの形で裏切られたとき、貴方は必要以上に
傷ついてしまうから、心の準備をしておいて下さい。
でも必ず、貴方が信頼できる人は世の中に存在します。

もし、信頼できるお医者さんやカウンセラーとお話できる
機会があったら、時間をかけてもいいから自分の思っている事を
話してあげてほしいです。話しててつらくなるのなら手紙にして
持って行ってあげると良いですよ。
泣いても怒ってもいいから、貴方の正直な気持ちを、
できる限り、他の誰かがわかりやすいように言語化する。
これがとても難しいし、いっぱい疲れるし、逃げたくもなる。
いつでも逃げだして良いです。でも理解者が誰もいない10代は
暗くて冷たい時代になってしまうから、少しずつ、
自分の言いたい事を信頼できる人に伝えてみて下さい。

言語化する上で一つ、有効な手段は、本を読むこと。
「この気持ちをなんて言うんだろう?」
「これをどうやって伝えたら良いんだろう?」
本を書く人っていうのは少なからず、繊細な部分を持つ人が
多いですから、そういう人の言葉を借りられるようになると
貴方の気持ちを人に伝えやすくなるかと思います。
難しい文字ばかりの本じゃなくても良いんです。
漫画でも絵本でもラノベでも、好きなものでいい。
好きなものから借りた言葉はいつか必ず役に立ちます。


無理に学校に行く必要なんて本当は何一つないのに、
私のママは「意地」になっていました。
私のママも若かったから、世間知らずだったのです。
学校で何を学ぶかが大事なのではなく、
学校へ行く事自体が大事だと思い込んでいたのでしょう。
祖父母と別居したあと、
うちは共働きで、お姉ちゃんは6歳年上で高校生で
遊びたい盛りだったから家は誰もいませんでした。
「勉強しろ!」とは言われるけど、やり方もわかりませんでした。

だから私はどんどん学校の勉強についていけなくなって
たまに、ママとの朝の戦いに敗れて学校に行っても
何もわからなかったです。それがまた恥ずかしくて
どんどん学校に行けなくなりました。

でも、小説とHTMLの本は読みました。
当時はインスタもフェイスブックもピクシブも無かったから
好きだったゲームのファンサイトを作る為に自分で
HTMLタグを打ってホームページを作る必要がありました。
そのうち、同じゲームが好きな同い年の女の子と
知り合って、イラストの交換をするようになりました。
すごく楽しかったのを覚えています。

小説はブギーポップシリーズが大好きで新刊が出れば
すぐに買いに行っていました。芥川龍之介も好きでした。
お姉ちゃんが沢山CDを持っていたから宇多田ヒカルと
椎名林檎も好きになりました。そのうち、
アメリカのバンドGarbageが来日するという小さな新聞広告を見て、
そのボーカルのシャーリー・マンソンの美しさに度肝を抜かれて、
お小遣いを前借りしてBeautiful Garbageという
アルバムを買いに行きました。
シャーリー・マンソンは見た目が綺麗なだけじゃなくて、
繊細で脆くて、でも最高にかっこいいし、歌声も素敵な
今でも私のアイドルです。

学校に行っていない間、私は私で私の世界を彩るものに「出会い」ました。
まして今時、ネットに繋げばいくらでも情報は入ってくるから
どんどん「出会い」を探した方が絶対にお得ですよね。
でも大人達の中には何かの理由をつけて貴方の素敵な「出会い」を
邪魔する人もいます。

大人になるといろんなものが怖くなります。
「これをやったら楽しそう!」という純粋な想いが
だんだん薄れてきます。中には
「これをやったらこういう問題が出てきそう」
と考える人も大勢います。私もその一人だし、
大人の世界に汚いものや怖いものが多いのも事実です。

例えば貴方が寂しさに任せて売春をする為の出会いを求めて
ネットを使ったり、誰かの恨みを買うような出会いの求め方をするなら
それは止められて当たり前。…なのはきっと貴方にもわかるはず。
でも、何かやりたい事があって、やろうと思っているのに
根拠のない理由や理不尽な理由でそれを邪魔する大人の事は
無視しても良いんじゃないでしょうか。

子供っていうのは、大人のおもちゃじゃないし、
生まれた瞬間から子供にも権利と人格があるから、
いくら血の繋がった親でも、分かり合えない部分なんて
本当にたくさんあります。
残念ながらママともパパとも貴方はテレパシーで
繋がっていません。

貴方が私みたいに口下手で、大人に上手に
説明ができないんだったら、伝えなくていいんです。
実行すればいい。横からぐちゃぐちゃ言ってきたら
言えばいいんです。「今はこれがやりたいからやらせて」って。
1回だけじゃなくて、10回でも100回でも言い続ければ
うるせぇ大人も黙ってくるものです。
残念ながら私はそれができなかった。5回目ぐらいで
「あ、私がやりたいことは間違っている」と思い始めてしまった。
少なからず「大人たちの邪魔」の影響はあったけど、
誰かと自分を比べては
自分には才能なんて無いんだって思うようになってしまった。
絶対に、自分がやりたい事に対して、
自分でケチつけないで下さい。
1位にならなくてもいいし、金賞もらえなくてもいい。
そもそも日本の学校は何でも、「競争」にしますが
これは世界から見ても珍しいものなんです。
すごく得意な事もあれば苦手な事があるのが普通です。
もしかしたら貴方のパパやママが貴方に1位になれと
言うかもしれない。貴方は一生懸命1位を目指すかもしれない。
でも、1位になれなかったからと自分に失望しないで下さい。
一生懸命になれた過程があったのなら、貴方はそれだけで
十分、価値のあることをしたんですから。

世の中に「才能」という言葉だけで片付けられるものは無くて、
何事も続けたり、好きでいる事がとても大事なので
貴方を応援してくれる大人や友達の意見を沢山聞いて下さい。

「言霊」って知っていますか?
言葉に宿る力のことです。突然スピリチュアルな話…?
って思うかもしれませんが、これは本当の話で、
ポジティブな言葉を使ったり、聞いたりすると貴方の脳みそ自体が
ポジティブになるのに対して、ネガティブな言葉はネガティブな
脳みそを作り上げていきます。自分を褒めろとは言わないから
せめて、たまには「良くやってるじゃん」と声に出して
自分や友達や、家族を労わる事はとても大切な事です。


夏休みが終わって、学校に行きたくない。って思ったら、
行かなくていいよ、って私は何度でも言います。
もしかしたら日本の大人達は私を嫌うかもしれません。
でも、別に、いいじゃないですか。

そして貴方は、なんで行きたくないのか、
「ダルいからサボる」にも理由は必ずあるから
貴方はせめてその理由を探してみた方が良いですね。
「自分の心に問いかける」ってやつですよ。
パソコンもスマホも置いて、座って、目を閉じて
10分間、綺麗な森の中をズンズン歩いていく
イメージをしてみてください。
終着点にはどこでもドアがあって必ず帰ってこれるから
安心してズンズン進んで森を堪能してください。
これをやると、ちょっと心がホっとするはず。
そのホっとした心の状態で自分の心に問いかけてみると
無闇やたらに苦しくならないと思います。
これを人は座禅とか、メディテーションって言います。

「嫌いな先生がいる」なら
大人の事は大人に任せた方がいい。パパとママに相談して下さい。
パパとママがそれでも学校に行けと言うなら、
スクールカウンセラーや保健室の先生、貴方が少しでも
信頼できそうな人に「学校に来たくない」事を伝えてみて下さい。
「いじめられている」なら、もうそんなクソみたいなところに
いじめられに行かなくていいですよ。誰かを傷つけて自分の
ムカムカを発散するようなクズみたいな奴と
友達でいようとしなくていいんですよ。
そういうクズみたいな奴にもいじめる理由はあるんですけど、
そういう奴も自分の心に問いかけてくれる日が来ると良いですね。
貴方は間違ってない。
そこに行かなくても素敵な友達との出会いもあるし
貴方の家族は貴方にガッカリしたりしない。

世の中の6割ぐらいの大人は口を揃えて言うと思う。
「学校に行かないとロクな大人になれない」

安心してください。
そんな事を言う大人も学校にはちゃんと行ったけど
ロクでもないから。

私はお金持ちじゃない。
美人でも可愛くもないし、
特別な才能があるわけでもないし、
友達も少ないし、
NINTENDO Switchも持ってない。
でも少なからず、傷ついていてどうしていいか分からない
10代の、一番難しい時期の若い人に、そんな言葉
私なら投げかけません。

一緒に美味しいおやつ食べて、おしゃべりする時間を
貴方とシェアするぐらいの余裕を持つように常に心がけている、
それが「ロクな大人」だと私は信じています。

中学、高校(親にどちゃくそ怒られて進学はしました)も
相変わらず、行ったり行かなかったり。だから29歳の私には
「学生時代」の仲の良い友達が一人もいません。
その時その時でクラスメイトとはそこそこ遊んだりしましたが
繋がりを保てた友達はいません。だって共有した思い出や
時間が圧倒的に欠けていますからね。
それより、高校を卒業した後、働き出してから職場の
先輩や、お客さん、上司とは仲良くなりました。
今でも定期的に連絡する人もいれば、私が日本に一時帰国
した時に一緒にお酒を飲むという関係の人もいます。

あと私は、当時、女の人しか好きになれなかったので
恋人も女性だったし、レズビアンのイベントに参加した際に
知り合った人と仲良くなったりしました。
レズビアンだった事で、中学・高校と嫌がらせを受けた事は
ありましたが、私には「学校に行かなくても良い」という
選択肢があったし、そういう嫌がらせをする奴は
「頭悪い奴」と無視をしていたのであまり辛くなかったです。

私が生まれて初めて「ロクな大人」と出会えたのは
なんと21歳のとき。もう10代ではありませんでした。

23歳の時、ドイツへ「ワーキングホリデービザ」というものを
使って旅立ちました。1年だけ行くつもりが気づけば何年か
居ます。沢山面白い人と出会いました。日本人の料理人や画家、
ポーランド人のアーケードゲーム収集家、ロシア人の考古学者
アメリカ人のシアター経営者、アルゼンチン人のサックス奏者、
イスラエル人のモテモテなレズビアン、韓国人のモデル、
スイス人の元売れっ子DJで変なプログラマー

嫌な奴も沢山見ました。嫌な事をされたり言われたりもしました。
でも、その分、「私はああはなりたくない。」と思って
気をつけました。だから、私が胸を張って私の友達だよ!
と言える人たちは、何とも素敵な人ばかりです。
そんな素敵な人や友達との出会いを経て、私は小学校6年生の頃
思い描いていた夢をもう一度追う事に決めました。25歳の時です。
あの頃は、「私なんかが漫画家になれっこない」という
呪いを自分にかけていましたが、今は
「続けてれば、まぁ…いつかはなれるんじゃない…?」
と思っています。やりたい事をやれる今の自分の事、
私は「良くやってるじゃん」って思ってます。


「私」という、貴方からしたらどこの誰かわからん29歳が
大して学校に行かなかったけど、好きな人と大切な友達と
幸せな暮らしを送っているという「例えばの話」を
私は知って欲しいです。
ほんの一例だし、私は有名人でもなければ
いまだに夢を追っている「いい年したおばさん」だけど
こういう私でも、普通に幸せに暮らしてます。

決して、今を絶望したりしないで欲しいです。
絶対に楽しい時はやってくるから、腐らないで下さい。
自分を責めて、奥へ奥へと塞ぎこまないで下さい、
折角訪れた出会いのチャンスを見逃してしまうから。

15年以上前の私も、絶望しては、自分の腕、手首、腿を
切り刻んで、いつも生傷が絶えなかった。今も消えません。
自殺も17歳の時に、一度だけ考えました。
寂しくて寂しくて、でもそれを紛らわす「好きなもの」や
「やりたいこと」が無かったから。行き場がなかったのです。
いつだって私のその生傷に気づいた
大人たちは精神科を勧めましたが、
私の仲の良かった友達が、最初は通っていた精神科医から
ろくなカウンセリングも受けずにもらった向精神薬、
ネットで処方箋もなしに買った更に強い薬、
果ては違法な薬を経ておかしくなっていったので
私は薬がとても怖かったです。
必ず、気持ちを落ち着かせる薬は、きちんと話を聞いてくれる
貴方が信頼できるお医者さんから受け取って下さい。
薬は使い方次第で貴方の大事な人生を狂わす毒にもなります。
ヤケクソにならないで下さい。

沢山自分をいたわって、自分の為に時間を使って
自分の信頼できるもの、好きなものに耳を傾けて
毒に飲まれないで、野菜を沢山食べて、
甘いものばかり食べないで、
全身全霊かけてラジオ体操すると
明日、良い出会いがあるかもしれない。
(体がこっているとイライラもするし悲しくもなります)
頑張らなくて良いんです。周りに合わせようとしなくて良い。
土台、無理なんですから。みんながみんな一緒なんて無理。
北朝鮮のマスゲームじゃないんだし。ねぇ。

10代って人の目がすごく気になるけど、
案外、周りの人も自分の事ばかり気になってて
貴方のこと、良くも悪くも見てないから
見て欲しい時は自己主張をして、
見て欲しくない時は全力でシャクレ変顔して意思表示して
貴方自身のその小さなアクションがきっと、いつかの
素敵な出会いに繋がると、私は確信しています。



出ました妖怪長文BBA。
私いつもこんななんですよね…
これ、校長先生が朝の朝礼で話したら
生徒7人ぐらいバッタバタ倒れちゃいそう。
話の長い大人っていうのも、ロクな大人ではないですよね…
…私も精進します。

もし最後まで読んでくださった方、特に今を悩む10代の方
…時間の使い方を見直しましょう(大きなお世話)
嘘です。読んでもらえて嬉しいです
ありがとうございました。

生きてれば必ず良い事あります。

KedamaMi

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