2018/2/18 篠田千明『ZOO』北千住BUoY



今年はスケジュールテトリスがうまくゆかず、TPAMの公演に全然行けていなくて、何でもかんでも見たいという気分だったのと、予定も合って北千住が家から比較的近いからという理由だけでチケットをとった。快快も吾妻橋ダンスクロッシングで数回見た程度で熱心な観客ではなかった。篠田千明が演出する作品を見るのは今回が初めてだった。VR空間を用いた演劇だということも、展示空間に行って初めて知った。

タイトルは『ZOO』。マヌエラ・インファンテというチリ演劇界のホープ!と言われる1980年生まれの作家が2016年に京都で公演した『動物園』の戯曲がベースになっている。これはもちろん観劇後に調べたことだ。「2013年に初演された『動物園』は、絶滅したと思われていた原住民を発見した科学者によるレクチャーという形式をとりながら、ダーウィンの『種の起源』に端を発する帝国主義、知識や文化の偏差、言語の違いから生まれるさまざまな齟齬を舞台上に上げる」(京都エクスペリメントwebサイトより)

観客は20センチ四方程度のフライヤーを渡される。片面には解像度の粗い葉っぱが生い茂った写真、その裏は会場の見取り図になっている。「FREE MOVE 自由移動」とか「Photo OK あなたは撮影できます」とか、google翻訳にでもかけたようなカタコトの日本語と英語が併記される。場内はフラッシュなしで撮影可能であること、会場は固定した席がなく自由に動けること、人間の展示がされていることなどが明記されている。観客が会場に入るとまず、HMD(ヘッド・マウント・ディスプレイ)とヘッドフォンがひとつだけぶらさがっている空間に通される。HMDを覗くとVRの映像を見ることができ、イヤホンからは前代未聞の展示をしていること、それは「ヒト」であるということが、やはり機械翻訳にかけられたような言葉で流れてきて、VR空間の中にもその文字が突き抜けている。

最初の部屋には「WARTER 水」とあり、小さな噴水みたいなものが据え付けられている、正面には腰の高さくらいで1500mm四方の柵があり、中には上半身裸でHMDを付けた男性の俳優(福原冠(範宙遊泳))が一人。どうやら彼がつけているHMDの映像が周囲の壁や、会場内にいくつか設置されたモニタに映し出されているらしい。囲いの左隣には15cmくらいの高さの舞台が設置されており、「人間です(猿です)」とフライヤーにある。その奥はすだれのようなもので仕切られていて、袴姿の男性(竹田靖)が茶を振る舞っていた。その舞台の背後には人工芝の上に小さな舞台が設置されている。さらに奥へと進むと、ここは銭湯だった場所なのか、洗い場のような名残があり、そこがPAのスペースになっている。会場内では、2人の女優(増田美佳、Yamuna Bambi Valenta)が案内アナウンスをしている。

最初は、部屋の中をぐるぐるする。まさかこの展示だけ?と一瞬思ったが、さすがにそんなことはなかった。

名前もつけられておらず「ヒト」と呼ばれる数名の男女が、その生態を紹介される。2人の女優は間に置かれたカゴにボールを蹴り上げてゴールする。「ゴールに入れるためには、ただ蹴るのではなく足の甲にそっとボールを乗せて優しく蹴り上げる」(台詞は正確ではない)といったように、その一挙手一投足を自分で説明しながらボールを蹴る。と思ったら、ペンギンパレード(旭山動物園の映像が流れることで、これは動態展示をしているのだと暗に示される)が始まるというので、道を空けさせられる。観客は自由に場所を移動しながら見られるが、演者が場所を変えて演技をするため、鑑賞場所を固定「できない」のだ。さながら動物園のように、動いているものを見に観客は場所を移動し、時に立ったり座ったりする。しかも、撮影も自由だ。観客と生身の演者の間にスマホのカメラが介在する。HMDを付けた「ヒト」が見ているVR世界を観客はスマホを通して見る。「見る/見られる」という関係が、逆転するだけでなく、幾層にもレイヤーが重なったおかしな構造になるのだ。

動物園っていう設定や、ヒトを動態展示するということから、いわゆる見せ物小屋的な動物VS人間の「見る/見られる」の逆転を短絡的に想像していたら肩透かしを喰らってしまう。

HMDを付けた男は、ペンギンパレードの時には観客の一人になったりもするし、ミュージックビデオを見ながら歌って踊ったり、猫のようになったりもする。猿の鳴き真似をしたりもするし、あれ? こいつはヒトなんじゃなかったっけ? それすらよくわからなくなってくる。エサやりの時間だ。観客に「エサをやってみませんか?」と羊羹みたいなゼリーみたいなエサが配られる。それをHMDをつけた男にやると、口でそれをむしゃむしゃ食べる。何故手を使わないんだろう。意識が退化してしまっているのだろうか。柵外にいるヒトも床に這いつくばって、皿に盛られたゼリーを口で直接食べる。ここまでは、ヒトの動態展示ということにそこまで意外性を感じなかったが、このシーンが一番気持ち悪くなり見ていられなかった。食べ物を与え、それを喰らうという関係性に、支配/被支配の関係を見せつけられてしまったからだろうか。

すると今まで何もアクションをしていなかったすだれの中から、袴を羽織った男が猿の面を被って登場した。和太鼓のドンドコドンドコいう音に合わせ、狂言回しが始まった。個人的には一番盛り上がったところで、そうかHMDは同じくあちらの世界を見ることができる能面だったのかと思い至る。狂言師は走っていって、男のHMDを奪い去る。すると面を取られた男は柵から出て、洋服を着て観客の中に紛れ込む。

ひとつ残念だったのは、最後に展示されているヒトは数少ない生き残りであると近未来の設定が明らかになるところ。それ言わなくてもいいのではと思った。HMDをつけてる人が見てるVR空間は、確かに先進的なものかもしれないけどそこまで先の未来には見えなかったし、それを明かされることでの驚きはあんまりなかったので。

あと、最後に気になったのは、ヒトの言葉遣いのところ。Yamuna Bambi Valentaが何カ国語かの言葉で喋っている台詞は、日本語→壊れた日本語(日本語とドイツ語とイタリア語みたいなのが混じった感じ)→ドイツ語→イタリア語→英語のように国の言葉を変えて語られていたけど、あれはなんだったのかなあ。そういえば、最初にHMDの男がアナウンスを読み上げているシーンで「、」や「。」を「てん」「まる」とそのまま読み上げているのを聞いて、音声の自動入力を思い出した。食べ物の食べ方も然り、未来の人間は動物園に入れられて、おかしな退化の仕方をしたということだろうか。ちょっと解せない。

終演後にもらったフライヤーの中に2016年に公演した時の評(→ページ下方にテキストあります http://tokyozoo.tokyo/)には、原作の『動物園』との対比や、観客と演者との関係の脱臼、また見せ物小屋と劇場の関係や、狂言の歴史的な背景、「仮面」や「ペルソナ」についても書かれていて非常に興味深かった。マヌエラ版の『動物園』も機会があったらぜひ見てみたい。

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keiko kamijo

これはメモです

美術、舞台、映画、読書、漫画などの覚書。見てすぐに書くものもあれば、過去に見たものを思い出しているものもあります。
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