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謎解き『ナイン』(2)(井上ひさし) ――英夫「悪人」説――

 今回は、『ナイン』の主人公、英夫についてお話しします。
 かなり厳しい内容なので、英夫のファンの方は読まれないほうがいいかもしれません。

3 「英夫」はどんな人間か
 前回、『ナイン』のあらすじを詳細に紹介しました。
 それは、英夫の正体を明らかにしたいと思ったからです。
 口ぶりからお気づきでしょうが、私は英夫について、かなり否定的にとらえています。
 はっきり言えば、「悪人」だと思っています。
 この「悪人」というのは、もちろん犯罪者という意味ではありません。
 倫理的に見て、問題だらけの人間だという意味です。
 『ナイン』の読者の大半は英夫に共感しておられるでしょうから、このように言えばかなりの反発を受けるかもしれません。
 が、それもやむを得ません。
 今から、「英夫=悪人」説の根拠を述べます。

① 英夫は父親に金銭的・社会的損害を与えていながら、そのことを反省していない。
 まずは、正太郎が中村畳店に対して働いた詐欺事件に関して、です。
 正太郎が昔の友達から寸借詐欺をして歩いているという噂を、中村さんは何度も耳にしていました。
 英夫も知っていたに違いありません。
 正太郎に騙されることは二人とも十分予想できたはずですから、彼に騙されたことも、二人(特に英夫)に過失がなかったわけではありません。
 依頼を断るのが一番ですが、それができなくても、正太郎が勤めているという不動産会社に確認の電話を入れるぐらいのことはできたはずです。
 正太郎が中村畳店に来た時、中村さんは疑いましたが、英夫は「正太郎を信じてやってください」と言って、中村さんに仕事を引き受けさせました。
 これは、英夫が正太郎という人間を保証したということです。
 英夫は当然、正太郎について責任を負わねばなりません。
 中村さんは正太郎のためというよりは、息子のために一肌脱ぎました。
 結局、それで当時の額で85万円もの被害を被ったことになります。
 英夫は父に与えた被害額を弁済しているようですが、父に被害を与えたという意識はないようです。
 正太郎のために実際に働いたのは中村さんです。
 英夫はこの時、まだ半人前ですから、おそらく大した仕事はできていません。
 中村さんは同業者からも畳をかき集めています。
 同業者への支払いはしているでしょうが、この時、中村さんは幾分か社会的信頼を失った可能性があります。
 英夫がこの時の自分の重大な過失について反省していないことは明らかです。
 彼は「自分が本気で仕事をするようになったのは、正太郎に騙されてからである」と述べています。
 つまり、騙されてよかったというような認識です。
 自分のせいで父に苦労をかけておきながら、英夫は父に謝罪も感謝もしていないことでしょう。
 父を脅しているくらいだからです。

② 英夫は父親を脅迫している。
 中村さんが被害を警察に届けようとしたら、英夫は「この家を出て行く」と言って父親を脅しました。
 相手の弱み(息子に出て行かれたら中村家が困る)につけこんで、自分の言い分を相手(自分のために一番働いてくれた父)に飲ませるのは悪質で卑怯なやり方です。
 しかも自分の身を人質にしているのだから、子どもっぽい脅しです。
 それに、中村さんの言う通り、正太郎を警察に突き出しておけば、常雄の被害もなかったのです。

③ 英夫は常雄のことを何も理解していない。
 常雄は会社の金と自分の妻を奪われ、自殺未遂までしました。
 常雄が警察に届けたとしても当然です。
 しかし、なぜ届けなかったのでしょうか。
 英夫は、「常雄にしても、正太郎を憎みながら、感謝しているところもあるだろう」と言います。
 「正気ですか!?」と英夫に言いたい気分です。
 常雄は会社から大金を持ち逃げされ、妻まで奪われたのです。
 しかも、正太郎はその妻をもてあそんでいます。
 妻は「ぼろぼろになって」帰ってきているではありませんか。
 常雄は自動車学校の社長の婿です。
 妻を離縁することなどできません。
 常雄は自殺未遂までしているのに、なぜのうのうと「常雄は正太郎に感謝している」などと言えるのでしょうか。
 英夫は、「正太郎は一見悪のように見えるけど、今でも僕らのキャプテンであり、結局は僕らのためになることをして歩いているんだ」などとうそぶいています。
 しかし、繰り返しになりますが、400万円余りを盗み、常雄の女房をもてあそんだ正太郎が、常雄のためを考えているはずがないでしょう。
 英夫は何を寝ぼけたことを言っているのでしょうか。
 常雄の自殺がもし成功していたら、英夫は同じことが言えたでしょうか。
 英夫は常雄の妻のことも「家付き娘を鼻にかけた高慢ちきな女だった」と言い切っています。
 他人の妻のことを別人の前でなぜそんなにも悪しざまに言えるのか、私には全く理解できません。
 まして、相手は埼玉在住であり、常雄夫婦の日常など英夫にわかるわけがありません。
 仮に常雄からその妻について聞いていて、そのことが事実であったとしても、もう少し言い方というものがあるのでしょう。
 常雄の妻を罵倒することが、常雄のためになっているとでも思っているのでしょうか。
 そんな馬鹿なことはありません。
 要するに、英夫は思いこみの激しい男であり、他人の気持ちが全く理解できない魯鈍な男だということです。

 私は、次のような疑惑を持っています。
 常雄は、日ごろ英夫から有形・無形の圧力を受けていたのではないか。
 正太郎を神のようにあがめる英夫が、常雄に正太郎を警察に訴えないように強く求めた可能性が捨てきれません。
 理由は二つあります。
 一つは、英夫は父にも同じことを求めた点です。
 しかも、父を脅す形で。
 英夫には、なりふり構わず正太郎の権威を守ろうとする所があります。
 理由の二つ目は、英夫が常雄の夫婦関係を知っており、常雄の気持ちを推測している点です。
 英夫の判断や推測が正しいとは思いません。
 しかし、常雄と何らかの接触をしていなければ、英夫は最近の常雄のことを何も知らないはずです。
 英夫は知った顔をして常雄について話しています。
 ナインの一人だから、英夫は服毒自殺を試みて失敗した常雄のお見舞いにも行ったのでしょう。
 その時、英夫は常雄に何と言ったか。
 英夫のいろいろな発言を見てください。
 ほとんど「決めつけ」ています。
 同じ調子で常雄にも話したことでしょう。
 正太郎への恩義とチームの絆を盾に取られ、常雄は泣き寝入りせざるを得なくなったのではないでしょうか。
 英夫には、「正ちゃんは…やはり僕らのキャプテンなんですよ」という発言もあります。
 大人になっても子供時代の序列に忠実です。
 大人に序列がもしあるとしたら、それは大人になってからの功績や実力で決まるものであり、子供時代の序列は関係ありません。
 しかし、子供時代に決まった序列を絶対視する英夫なら、常雄にもその序列を守るように迫ることは十分考えられます。
 正太郎はキャプテンでしたが、英夫は投手であり、チーム内で№2の地位にあったと思われます。
 実際、パレードの際も、正太郎とともに先頭にいます。
 常雄は、左翼手、8番バッターでした。
 子供の頃に力をふるった者たちの言うことを、気の弱い常雄は大人になっても聞くしかなかったのではないでしょうか。
 ……以上は、私の「思いこみ」であり、「決めつけ」に過ぎないと批判されそうです。
 そうかもしれません。
 ただ、私は英夫に決めつけられた常雄のことを思うと、気の毒でなりません。
 「いじめ」は他の人の目に見えないところで行われます。
 そして、いじめている本人にはその自覚がありません。
 周囲の者には見えなかったり、あるいは見えていても見ぬふりをしたりするものです。
 これは子どもも大人も同じです。
 常雄が英夫から受けた「いじめ」の可能性について、私は指摘しておきたいと考えます。

 中村さんは言います。
 「あの常雄が薬を飲む光景を思い浮かべると、そのたびに涙が出てしかたがない。あいつは弱虫の8番打者でねえ、死ぬということをいちばんこわがっている子なんだ。その子が死のうとした。よほど辛かったにちがいない……。」
 中村さんのほうが英夫よりよほど常雄のことがわかっていますし、人の気持ちも理解できる人間です。

④ 英夫は「わたし」のことも「父」のことも理解していない。英夫は、「人がお互いに理解し合う」ということ自体が理解できていない。
 「わたし」が英夫の話を聞いて「うーん、わかるような気がする」と言うと、英夫は「わたし」を見据えて、言下に「おじさんにはわかりません」と言い切りました。
 「わたし」は英夫の気持ちに寄り添おうとしています。
 しかも、「わたし」はまだ多くを語ったわけではありません。
 それなのに直ちに相手を否定するのは、正常な態度と言えるでしょうか。

 日常の人間関係というのは、相互に理解し合えない部分を含みつつ、それでも互いに理解し合おうという姿勢の中に生まれるものでしょう。
 人との交流の中で、たとえ少々の誤解があったとしても、相手を直ちに拒絶しないのが普通というか、健全であると思います。
 「わたし」は英夫の言うことを理解しようと歩み寄っているのに、それを直ちに遮断するような英夫に、果たして他人を理解し、他人と交流する能力があったでしょうか。
 「わたし」を「見据える」英夫の目には、何か相手に対する底知れぬ軽蔑すら感じます。

 英夫は「父にもわかりません」と言います。
 「父は土手の木陰で試合を見ていただけですから」というのがその理由です。
 何をかいわんや。
 正太郎に畳を騙し取られた時、畳を工面するのに走り回っていたのは中村さんであり、「英夫はそのそばで父が畳を作ったり、同業者からかき集めたりするのを、指をくわえてみていただけ」ではないですか。
 第一、英夫は「父にもわかりません」という前に、なぜ自分の気持ちを父に話さなかったのでしょうか。
 あれから、もう20年近く一つ屋根の下で暮らしている父です。
 あの試合のことを大切な思い出にしている父と子です。
 親子で膝を交え、新道少年野球団の思い出話をすることなど、何度もあったはずです。
 中村さんは、パレードの際ナインが泣いたのは「よほど悔しかったのさ」と述べています。
 つまり、この20年ほど、英夫は自分の本当の気持ち(うれしかったから泣いた)を父には話さなかったことになります。
 元下宿人に過ぎない「わたし」には、問われもしないのに語ったくせに。
そして、他人に過ぎない「わたし」に向かって、身内の父を悪しざまに言う。
 英夫は父に何か恨みでもあるのでしょうか。
 英夫は、例の詐欺事件で、父にずいぶん助けてもらっていたはずです。
事件の後、英夫は「本気で仕事をするようになった」そうですが、おそらくその仕事の大半は父に教えてもらったことでしょう。
 それなら、英夫が第一に感謝すべきは父です。
 それなのに、英夫は「正ちゃんのおかげ」などと言います。
 こういう人間を、冷酷、恩知らずと言います。

 英夫からすれば、この私(投稿者)も「12歳の子供が炎天下に投げ続け、正太郎の命令で日陰を作ってもらった時の感激」は理解できない人間なのでしょう。
 しかし、そんなことを言えば、難病にかかり、治療の苦しみや死の恐怖におびえる子供の気持ちも、私にはわかりません。
 日々、戦争の恐怖に震え、ある日突然家を焼かれたり、家族を殺されたりした人の気持ちも、私にはわかりません。
 もちろん、共感したり同情したりする気持ちはあります。
 しかし、当事者に「あなたに私たちの本当の気持ちがわかるはずがない」と言われれば、「はい、そうです」とうなだれるしかありません。
 難病や戦争など、極端な経験に限りません。
 当事者以外は、すべて傍観者か赤の他人です。
 当事者の気持ちが本当にわかるのかと問われれば、「100%わかります」と答えられる人はいないでしょう。
 こういう考え方をしていたら、人間の相互理解そのものが不可能になります。
 相互理解においては、まずは他者を排除しないことが肝要です。
 相手が無理解なら、排除はその後でいいのです。

 英夫のような態度では、誰からも理解されません。

⑤ 英夫は、自分の一時的な経験や狭い仲間関係を絶対視している。
 少年野球の決勝戦は、確かに限界状況の中で行われたものなのでしょう。
 人は限界状況に陥ると、往々にして理性的な判断ができなくなります。
 耐えきれないほどの暑さの中、正太郎がみんなに命令して英夫のために日陰を作ってくれたのだから、それは嬉しいことだったでしょう。
 この時、英夫は「このナインにできないことは何もないんだ」と思ったそうですが、大げさに見えるこの言葉も、12歳の子どもの実感であったのでしょう。
 しかし、限界状況から解放されたら、人は平静さを取り戻すものです。
 しかも、もう20年近くたって、英夫も大人になったのですから、物事を冷静に客観的に見ることができるようになっていなければなりません。
 大人になっても、子どもの時のただ一回きりの体験にとらわれているとしたら、それは一種のトラウマです。
 それなら、英夫には別の精神治療が必要です。
 限界状況を経験するのは、何も英夫だけではありません。
 仲間の絆だって、誰しも一度や二度は経験します。
 自分の経験だけを絶対視してはいけません。
 英夫はもっと広い心、柔らかな心を持つべきです。

 さて、今回はここまでです。
 かなり厳しい言葉を使って英夫を批判しました。
 ご気分を害された方がおられるかもしれません。
 ただ、英夫の言動を見れば、やはりこう言わざるを得ないと考えます。
 次回(最終回)は、『ナイン』に中堅手が登場しない理由を考察しつつ、小説のテーマについて考察してみたいと思います。


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