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生きづらさの扱い

先日、ある人が
「生きづらさを引きずって生きる」
と表現していた。

生きづらさという言葉は、メンタルヘルス界隈では認知度が高くなっていると思う。

そこでたびたび目にするのが、生きづらさの扱いである。

生きづらさは切り捨てることができないものだ。
克服というのもなかなか難しい。
小さくなることはあるだろうが、また大きくなることもありそうだ。

だったら、生きづらさと折り合いをつけて生きていくしかない。

折り合いのつけ方は人それぞれだろう。

だが、言葉で表現するとなると、バリエーションはそう多くないように思う。

「生きづらさをもちながら」
「生きづらさがありながら」
「生きづらさを抱えて」

なかには

「生きづらさを抱きしめて」

というのもある。


抱きしめてどうするんかい。

ちびまる子ちゃんばりのひきつり笑いが出てしまう。

わたしにとっては、生きづらさなんてないに越したことはないからだ。


「生きづらさを引きずって」

わたしにとって、生きづらさとの付き合いはまさにこのとおりだ。 

捨て去りたい。
置き去りにして、自分は前に進みたい。
けれど、生きづらさは、後ろから腰に手を回して抱きついてくる。
振り払おうとすると、今度は足に絡みついてきて、足を前に出せない。

しょうがないから、生きづらさをずるずる引きずって進むのである

生きづらさを「妖怪」と表現する友人もいるが、いい言い回しだな、と思う。

生きづらさの扱いは、感覚的なものだ。
おそらく年月が過ぎれば、変わっていくのだろう。

生きづらさを抱きしめることは一生ないだろうが、「生きづらさを引きずって生きるわたしを、愛おしく抱きしめる」ようにはなるかもしれない。



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