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占いに心を売らない気分

占いの類を視界からあえて外している。

昨年末から今年の頭、不安なことが続き、占いをよく見ていた。実際に対面で占ってもらったりもしたし、webの星座占いなんかもチェックした。フジテレビ系列「突然ですが占ってもいいですか?」もよく見ていた。

導いてくれる言葉が欲しかった。従って楽になりたかった。

そこからの心境の変化のきっかけは未知のウイルス。

どんなに考えて準備をしても直前でダメになることがままあり、またこれまでなら伴ってきた結果もついてこない事態に直面した。やり方を変えていなくても人々の反応が変わってしまったのだ。

だから夏には、良い意味で、考えすぎるのをやめた。備えはするけれど、これまで通りに物事が運ばないとよく解ったから。潔く諦めたり、逆に何でもチャレンジしたり。あたらしい在り方を模索する。ある意味で、期待をしすぎない。

そうして新たな正解を探していく中、特に占い番組で疑問を覚えることが増えた。過去の出来事をどんどん言い当てていくことに最初はただ「凄いなぁ、」と感心していたのだけれど、「この年に何か無かったですか?」という占い師の問いかけに「うーん…そういえば!」と捻り出す客に対して不思議に思うことが多くなった。

大体どんな年も良いことや悪いことがあるのではないか?
何も無かった年なんてあるのだろうか?

たしかに物事の大小はあって、毎年結婚や離婚を繰り返す人は滅多に居ないだろうし、仕事だって毎年昇進したり転職したりする訳でもないだろう。それが合致していくのは驚くし、その後の未来に向けた言葉も響きやすくなる(信憑性が増す)。

ただ番組に出てくるのは殆どが20〜30代の人たちで、私も20代後半だからこそ思うが、そのくらいの年数の人生なら毎年なにかしらの出来事はあるように思えるのだ。これがもっと長く生きてしまえば何も無い年もあるのかもしれないが。

そして未来のことを言われる/書かれる時、やはり合わせて動いてしまうから「結果的に当たった」ことも無いとは言い切れないのではないか。来年結婚する、とか。逆に「23日がラッキーデー」とか言われてラッキーだった試しが無い(笑)。

それでも救われる人が居るのは事実だろうし、そのこと自体を否定する気は毛頭無い。生きていくことを助けてくれるものはいくつあっても良いのだから。

たぶん今は、強い言葉に惑わされてしまうくらい不安定。そして期待した通りに進まないのは仕事だけで充分。だから占いとはすこし距離を保ちたい。当たればラッキー、くらいの軽やかさで向き合えるようになるまで。




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