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おだいじに(ミニ小説)

※椎名林檎『おだいじに』のオマージュ小説です


あ、今日は晴れだ。

朝目を覚ます時、今日の天気がわかる。
お空のではなくて、心の。

ごろんと寝返りをうって、お気に入りのガーゼ質のシーツに頬を擦る。赤ちゃんに使うような真っ白なそれは、汚れが目立ちそうで一瞬購入を躊躇ったのだけど、あまりの触り心地の良さについ買ってしまったもの。

空調の効いた部屋は心地よく、カーテンから漏れる朝日が部屋の中の有様をぼんやりと映し出している。真綿の部屋。

晩夏、とよばれるこの頃だけど気温はまだまだ高いまま。高音のアスファルトの上を忙しなく歩き回る人々を画面越しに眺めては、コーヒーを啜るのが最近の午前中の日課だ。

つい半年前まで、自分もまたあのアスファルトを踏み鳴らす群れの一員だったというのに。

世間と隔絶された部屋は、最初こそ焦燥を覚えたものの、慣れてしまえば居心地がよいものだ。

部屋の中を家事のために僅かに動きまわる自分の身に、「まだ動けるね」と自嘲しながら、ゆったりとした時間が流れていく。

目に映るものに一気一憂していた刺激的な日々と、何一つ目に映すことなく凡庸にすぎていく安穏な日々。そのどちらのよさも知れたのは、怪我の功名というやつか。

隣の芝生は青く見えるもの。そう毎日自分に言い聞かせるほどには、競争社会の中で生きていた。大手化粧品メーカーの営業。一月毎に業績が明示される世界。職場のメンバーは仲がいいものの、いうてライバルだ。

去年結婚して今時めずらしく寿退社を決めた同期は、「なんか、はじめて心の底からおしゃべり楽しめた気がするー」と笑っていた。たしかに、無意識にいつも何かしらのマウント取り合戦だったのだろう。ただ今思うと主婦になって旦那さんとの惚気を宣った彼女こそ、もっとも青々しく見えていたりして。

仕事漬けでも充実した日常の中、心の不調は突然のタイミングで訪れた。

ある日、前触れもなく玄関で足がすくんだ。
何かが怖くて…。何が怖かったのか。
きっと何もかもが怖かったのだろう。

ずっと胸が痛かった。涙も止まらなかった。
まるで小さな少女のように傷つきやすい自分の存在が自分の中に在ったことに、今まで気づかなかった。

半年前のその日、その女の子は突然胸の中で大声をあげて泣き出して、それから出て行ってほしいとどんなに頼んでも、心臓の深いところにずっと居座り続けている。

それからは彼女のご機嫌を伺いながら、ただただ無為に時間を潰す日々だ。

青さが気にならないなあと思うようになったのは、彼女のギャン泣きがしくしく泣きに変わった頃のことだった。

働き詰めていた日常。趣味がないわけではないけれど、その趣味を差し置いて眠ることが趣味がなんて味気ないことにはなっていた。
余計なことを頭の中でぐるぐる考える前に眠ってしまう。起きれば、どこかスッキリして。芝の青さに目を眩ませることは無くなった。

再び、肌を柔らかく包むガーゼに頬ずりして安寧を噛み締める。小さな赤子に戻ったように。

きっと今のこの状況は逃避と言える。
白い優しい嘘に包まって、現実から逃げ出す。わかってる。でもこの甘い罠に今は自ら捕まってしまいたい。

それは頑張り続けていたかつての自分への裏切りのようにも思えるが、過去の己を無視して小さく笑う。

人生たまには楽したっていいじゃないか。

深呼吸。胸に空気が入る。今日も生きている。
毎日が過ぎていく。

気だるい身体を起こして、床に足をつく。
テレビを付け、キッチンに向かう。

さあ、コーヒーを淹れよう。お湯を注げば静かすぎる部屋を香りが包むはず。ケトルに水を注ぎながら歌う鼻歌は、思春期の頃ハマっていた洋楽のサビ。

もう少しだけ。
今は自分をおだいじに扱うことにする。


あとがきと、歌詞解釈

椎名林檎のおだいじにの1番の歌詞を元に、書いてみました。

うん、いまいちだ(笑)ただのポエムっぽくなっちゃうな…

2番の歌詞もすごく好きだけど、これ以上長くしたらなんか違う気がする。

難しい…。元の歌詞が素晴らしすぎて小説化したら蛇足に感じてしまうのね。

これが完成形で最高の形なのよ、と改めてまざまざ感じさせられることになってしまいました(笑)

1番と2番の歌詞を並べてみると、対句が凄くて圧倒される。芸術だー。

以下『おだいじに』の歌詞の自己解釈です。椎名さんの歌詞は聞く人の想像力を最大限に掻き立たてるので、多分十人十色解釈が変わるだろうなと思います。正解はきっとない。

おだいじに 椎名林檎 (1番2番比較)

1 目に映る良さ、映らぬ善さ
2 手にする貴さ、出来ぬ尊さ

対句だらけのおだいじにの歌詞の中でも、目につきやすい対の歌詞。

目にすること手にすることの経験自体と、
目にしたもの手にしたものの対象についての2つの意味を掛けているところもすごい…。漢字も意味深。

目に映ることは良くて、映らないことは善い?
良さは目に映りやすくて、善さは映りにくい?

手にできることは貴く、できないことは尊い?
手にしたものは貴く、尊いものは手にできなかった?

想像膨らむ…。諸行無常。

1 青く見えたら できるだけ睡るのさ
2 内緒の地圖で 雨の中を出掛けやう

周りが気になったら眠っちゃえー。って綺麗な旋律で歌われる贅沢(笑)一方、2番では眠ってられなくて雨の中出かけちゃう心境とか。

なんていうか、もうほんと、優しい。
迷える子羊を『わかってますよ』と包み込むような歌詞。

"眠る"の対に"出掛ける"を選ぶセンス、すげえ。
そうだ。眠るの対は起きるじゃないわ。出掛けるだわ。

1 肌を包むガーゼは 白い嘘  甘い羂
2 背中を湿らすのは 赤い疑念 辛い罰

肌を包むのは体全体のようなかんじ、
一方、背中を湿らすのは一部分。
こういう全体と一部とかの感覚の対表現も好き。

"白い嘘"も捉え方色々できちゃう表現。
白々しい嘘、それとも、潔白の嘘?
白々しいけど優しい嘘って解釈が好き。

甘い羂と辛(から)い罰。ここに味覚入れてくるのすごい。五感に溢れてる歌詞。綺麗すぎる。

自ら   裏切るなら  楽をするに限るさ
憂き世に 居た堪れない 悲劇が溢れたとしやう

"楽をする"と"悲劇"、"限る"と"溢れる"。
ここでの使い方の意味では対じゃない気もするけど、漢字は対。面白い…

"自ら"と"憂き世"はこの歌詞全体の中心に蔓延る対な気はする。

自分と世間との関係でちょっと疲れちゃってる主人公。

その関係性をどう捉えて行けばいいのか、悩みながら、ゆらゆらしてる。対はゆらゆらする。真ん中を探してる気がする。中道。

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現代の杜甫かな。といつも思う。

どの曲の歌詞についてもそうだけど、絶妙な対の表現がすごく好き。単純な対義語とかじゃなくて、意味で作るのが秀逸すぎて。

全てを対にするんじゃなくて、ところどころ違うのも好き。違うところはそれこそ対を凌駕して伝えたい意味がある部分な気がする。
ただただすごい歌詞だなあと。改めて思う。

最後の守るは、何を守るんだろう。
人生の中で、自分が一番護りたいものってなんだろなあと、聴くたびに考えてしまう一曲。

ずっと椎名さんの歌詞のオマージュ小説を書いてみたいと思ってたんだけど。

だめだこりゃー。
曲が、歌詞が、あまりに完璧すぎて。
オマージュなんてしたらただただ自分の愚作具合が際立つ(笑)
改めて凄すぎる作品に脱帽するのみの結果に終わってしまった。それでも懲りずにまた別のものいつか書いてみたいけど(笑)

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