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フィルターの話をしようと思う

教師になることを志した時があった。大学では社会科教育について学び、教育実習に行ったり、実際に授業をしたりもした。もともと教科としての社会は好きだし、かなり漠然とした言い方になるけれど、いま自分がいる社会について見て触れて知ることも好きだ。
現在は教師という職業に就かず会社員をしているが、自分の考えがあって選んだ道。いまのところ後悔はしていないし、もし教師になれたとして当時の迷いを払拭できたかというと自信はない。周りには教師としてほぼ休みもなく働く友人が多く、教師をとりまく状況を考えるとその友人たちに言いたいのは、尊敬の一言に尽きる。

それから10年くらい経っただろうか。6月末に出された課題で、当時の自分が顔を出す。

【課題】
「伝統芸能」を調べて、
あなたが見つけた魅力を説明してください。

「伝統芸能」、何ですかと言われるとだいぶアバウトに説明することはできる。歌舞伎とか、能とか、狂言とか。古く昔からあり、いまも伝わっている芸術や技能。

それだけだった。歌舞伎や能、狂言を説明することもできなければ、そもそも「伝統芸能」も満足に説明できない。そう思って最初にとった行動は、何かに使うかといらぬ期待をかけて本棚に残した、山川出版社の『詳説 日本史』を引っ張り出すことだった。

教科書をバラバラとめくるも、説明するほどの魅力は出てこない。文化そのものには時間を割かないとばかり、詰め込む知識としての単語のオンパレード。「風姿花伝」「申楽談儀」と並ぶだけでは、自分の中の伝統芸能は広がりそうもない。
「伝統芸能」とは何なのか?古く昔からあるとは、どの程度昔なのか。誰が伝統芸能と決めるのか。はい、これは今から伝統芸能ですと変わるときがくるのか。

悩み、阿部さんからのヒントをもとに次に読んだのが、今回の講師である九龍ジョーさんの『伝統芸能の革命児たち』だった。その前後でYouTubeの『神田伯山ティービィー』も観たのだが、どちらもを通じて一番惹かれたのはストリップだ。

これだと思った。自分の持っている知識の外のものが入ってくる瞬間があった。神話に登場するアメノウズメの話を聴くと、なるほどストリップは伝統芸能なのだと納得できる。ただ、小さい頃にドラマのワンシーンで観たような観ないような、カタカナの名前のものがまさか「伝統芸能」であるとは。本を読まなければ、想像すらしなかったはずだ。
とすれば、「伝統芸能」は教科書的に知っていたもので固定化されるのではなく、今後もきっとその数が増えていく。今言われているものとは定義が違ってくることもあるかもしれないし、「伝統芸能」という言い方をしないものも出てくるかもしれない。でも、伝統を持った芸能はもっと出てくるはずだ。行く末は新しく教科書に載るものも出てくるかもしれない。あぁ伝統芸能、楽しいかも、楽しみかも。

『伝統芸能の革命児たち』を読んだ自分の思いから提出したのが、今回の課題だ。正直、伝統芸能という言葉のほうばかり考えすぎて、説明したい魅力もボヤけている。時間に迫られる中で提出した感は否めない。
講義の際に九龍さんが見事に自分の状態を言い当て、PCの画面越しに少々恥ずかしくなった。

自分がこのくらいだろうと思ってやると、相手もこのくらいだろうと思う。

初回の講義にもあった「伝わる」ことを考える。もっと、もっと突き詰めて深掘りしていかないといけない。根本で、ずっと考え続けることなのだろうと思う。


自分を演算装置にする。自分のフィルターを通す。

ストリップを体験するという、実際に触れるという部分での自分フィルターを通すことはできなかった。でも、「伝統芸能」「ストリップ」というものを書籍から触れ、自分というフィルターは通った気がするのだ。社会科教育を勉強していたときの自分というフィルターだ。だからこそ提出した課題は、あのようになったのだと思う。

九龍さんが講評されたのは、そのフィルターの話だったのだと強く感じる。
部活・サークルで活用した外郎売り、住んでいる地元の地歌舞伎や備中神楽、TRPGにギリシャにステッカー。フィルターとはその人の人生やこれまでの歩みなのかもしれない。自分の歩んできた道に、「伝統芸能」を通す。そうして発信されたものは、そりゃ面白いはずだ。


社会が好きで、社会科教育のことを学んでいたときの自分は嫌いじゃない。でも自分のフィルターは、もっと増えても良いと思った。それは枚数が増えるのか、厚みが増すのか分からないけれど。
九龍さんが言われた言葉は、そういうことなんじゃないかなと解釈している。

城を建てない。面白いことがあれば、次から次にやる。

自分という演算装置をビビッドに働かせて、楽しく、モチベーション高く。自分がやりたいことを色々やって、場所を増やす。九龍さんの講義で、この思いは一層強くなった。もっともっと、フィルターを増やすのだ。
いろんな人のフィルターにも触れてみたい。同じことに取り組んでいるのに、周りの人が見ている景色や発するものは全然違うこともある。それを直接感じられるのは楽しいに違いないし、企画メシではそれができると思っている。


教師になることを志した時があった。今はかけ離れた仕事をしている。でも、それも自分のフィルターだ。
自分のフィルターが、世の中の「ないけど必要とされている」ものを発見する。そうなれるように、今後の企画メシに取り組みたい。

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