見出し画像

仲良くしたい人とそうでない人が同じグループの場合

そういうとき、皆さんどうしてるんだろう?…って、誰だって、ケースバイケースだよね。比較も参考もできない。
“好きになれない人”に対し、どの程度のわだかまりがあるかによって、そのグループの集まりにフル参加するか、ときどき参加するか、縁を切ってしまうか、が決まる。どんなに、仲良くしたい人がいても。自分の場合はそう。
以前、樹村みのりのマンガで…題名は忘れたのだけれど…大人の女性が学生時代の友人グループの集まりに参加するかどうか逡巡したあげく参加する、その会合の日を描いた作品があった。女性たちはかなり妙齢、40歳くらい? 主人公には、そのグループにどうしても好きになれない人がいる。でも、他の友人は好きだし彼女たちに久しぶりに会いたいとも思っている。
けれど、会合の当日、主人公は、その、好きになれない女性の姿を見ただけで、高校時代のことを思い出してしまう。そして思う。やっぱりこの人は好きになれないと。特別に意地悪されていたわけではないが、どうしてもその人に好意を持てない。存在自体が自分の気持ちを暗くしてしまうことを、強く自覚してしまう。
大きな事件は何も起こらないお話です。が、あーわかるわかる!って気持ちになる。
こういう気持ち、悩ましいよなあって。
大人になるにつれ、学生時代の友人以外にも、様々なグループ付き合いができる。
元同僚とか仕事仲間とか、その他諸々。友人が友人を誘っていつの間にか、何となく“いつもの”グループになっていることも、あるある、です。
人付き合いって1対1よりも、グループでってことが多いもの。もちろん仲良くしたい大好きな人とは、頻繁に連絡取り合ったり会ったりはするけれど。
昔、私は、あるグループのメンバーに、どうしてもどうしても顔を合わせなくない人がいて…そのグループ自体からばいばいしました。仲良くしたい人とは、個人的に会えばいいやと思って。
気分憂鬱になる相手と、我慢して付き合うのはナンセンス。が、同時に、人に対して厳しくジャッジしない、って気持ち忘れないようにしないとマズイとも思う。自分だって、甘く見てもらっているのだから。お互い様の、気持ちは大事。
私とグループの付き合いは、そのグループに、 “好きになれない人”がいるかどうか、よりも、その人が、自分の心に、どれほどの負荷がかかっているかにより決まる。
我慢できないか、薄目で見過ごせるか、その差はとても大きいのです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?