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差別問題で思うこと

男女差別とか外国人差別とか…様々な差別問題について、誰でも気楽に意見を述べることが増えてきたと思う。いいこと。
人の多様性を認めなくてはいけない。それは世界的な常識となってきた。これに対して、少なくとも公的には、異を唱える人はいない。けど、多数派と少数派は常に存在する。
マジョリティとは、自分の属性を普段は意識しなくても平気な人々、マイノリティとは、常にそれを意識せずにはいられない人々…と、社会学者の方のTwiiterで拝見してなるほどと思いました。社会学者の方々の共通認識になっているよう。
確かに。差別されるマイノリティは、絶えずそのことを意識せずにはいられない。そして、差別問題の解決は、マジョリティがカギ。
男女差別で考えるとよくわかる。マジョリティである男性側に、“誰もが人として平等に尊重されるべき”と主張する人が増えてきたことで、問題解決がかなり進んだと思う。私が小学生の頃1970年代は、子供向けの漫画にウーマンリブを揶揄するシーンがあった。子供心に、“何かよくわからんけどウーマンリブというのはプラカード掲げて乱暴な感じのかわいくない女の集団のことなんだ”と思い込んでいた。マイノリティが主張するだけでは、差別問題解決への道は遠いのです。差別された経験者がないマジョリティにも、差別される辛さを想像力で補ってもらって“自分事”にしてもらい味方につけなきゃいけない。
女性、外国人、障害、学歴、職歴、容姿…様々な差別問題について、昔に比べれば、誰もがよく語るようになったとは思う。差別は社会全体の問題という意識も広まってきた。
けれど…差別問題の中で部落差別は、未だに、マジョリティに知らん顔されている。
研究者を除き、部落出身者以外がこの問題を発言することはとても少ない。TV番組で取り上げられることはほとんどなし(NHK Eテレでたまにある程度)。とてもデリケートなことだからと、報道に慎重になっていること自体が差別的と感じる。
私たちの日常会話でも、部落差別が話題になることは稀。当事者でないから容易に発言できないと考える人も多そう。でも差別問題は本当は皆が当事者。もし友人知人が、部落への差別発言をしたら即座に強く戒めたいし、そういう姿勢を多くの人が持ったら状況は良くなっていくはず。草の根運動大事。“どんな差別もタブー視しない社会”への一歩。
昔、ノンフィクション「被差別の食卓」(上原善宏著)を面白く読みました。こうしたエンタメ要素の強いもの…気負いなくさりげなく、たくさんあってほしい。自分のルーツを気軽に話せないなんて…そんな歪で非道なこと、絶対あってはいけない。
“自分は関係ない”スタンスでいられる人が差別の痛みを想像しないのは、大きな罪と思う。

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