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最初に撮るのは母と決めていた

写真を始めた。上手に写真を撮りたくて、一眼レフのカメラを買った。カメラの設定でニックネームを入れることになった時、祖父の名前にした。祖父は、フィリピンで戦死している。あったこともないのだが、祖父が遺したたくさんの写真があり、どれもレンズを覗く祖父の想いが写真にあふれ出ていた。その眼差しが私はたまらなく好きだ。

話によると自作の竹製の椅子で、アメリカの雑誌を広げてこれはセルフィの祖父

その祖父の名前を冠にしたカメラで最初に撮るのは、母と決めていた。祖父が見ることの出来なかった娘を私は撮ろうと思った。私が手にしたカメラは母をそっと見守る。さすがに80を過ぎた母は戦争がなかったとしても祖父には撮れなかったかもしれないが。

写真教室で、ある新聞社の写真展への応募が話題になり「提出することに意義があるですよね!」なんて言って私はみんなの提出を後押しした。まだ始めたばかりの私は、応募する資格はないと思っていたが、「提出することに意義がありか…」散々みんなを煽って応募を促した手前、自分が出さないなんて…と思い直し出すことに決めた。風景写真と母の写真2点を提出した。インスタグラムではせっせと毎日スマートフォンの写真を投稿していたものの、果たしてどうなのかな?という思いもあり、他者からの評価をしてもらいたいという思いはあった。

祖父の名前のカメラで、撮りたいと思った母の写真で評価されたら特別に記念になる。でも私は入選しなくてもそれを出したことにそれこそ意義が大ありだと自己満足していた。こっそり撮っていたので、実は母には内緒だった。出すといえばいやだというだろうし、応募票には許諾の有無の欄があるのだが、もちろん聞かずに「有」で提出した。提出することに意味がある。

取り敢えずどこへ行くにもカメラを持って

結果が忘れたころにやって来た。「えっ⁈」友人からのSNS、メッセンジャーで。慌てた。掲載されているという新聞は取っていないので確認できない。2点出したのだがどちらが通過したのだろう?早速新聞を購入して確認すると確かに新人賞部門に名前があった。どちらの写真かは書いてない。どうしよう。でも、母の写真だといいなとにわかに思った。そうすれば祖父の名前のカメラにとってもこんなに嬉しいことはない。

ほどなく届いた新聞社からのハガキには、「母の喜び」とあった。嬉しかった。祖父もきっと喜んでいるだろう。私は喜びながら少しだけ申し訳なさそうに母に伝えた。「ひゃーっ!あきれた!どの写真ね?」と当然ながら写り具合を気ににする。でも嬉しかったようだった。「写真ばかり撮っている」と日頃不満を言われていたので、何かしら評価されて少しは認めてもらえたようだった。母は早速孫である私の息子に報告の電話をしていた。実をいうと入選した写真は、春から大学生になり離れてしまった孫と携帯電話で話している母の写真だった。

きっと祖父も喜んでいるだろう。カメラを始めた私にも、そして幼い時しか撮れなかった娘の、孫と喜ぶ顔にも。私には出来過ぎた着地だった。こんな感動的なことに出合わせてくださった、先生と写真仲間の皆さんに心から感謝いたします。
ありがとう
2023.9.14


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