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歌舞伎の楽しみ 〜「身替り」と「首実検」〜

身替りになった人間は生まれ変わって貴い人間になる、、
歌舞伎では多くの演目に「身替り」という筋が見られます。
貴種の身替りに我が子を殺す、「熊谷次郎直実」や 「寺子屋の松王丸」また
「弁慶上使の弁慶」それに「鮓屋のいがみの権太」 全てそれに合致します。
こうした「身替り」の趣向がある演目は、いずれも義太夫狂言の、それも時代物に限られています。
身替りのルーツは古くからあるようです。
寺子屋での松王丸の源蔵に対するセリフに、
「身替りのにせ首、それも食べぬ。古手なことして後悔すな」とあります。
松王丸は身替りのにせ首を押し付けられても騙されるような俺じゃないぞ」と脅迫しています。と同時に、「身替りのにせ首」が既に「古手なこと」、つまり古臭い趣向だと指摘していることです。
人形浄瑠璃の最盛期には既に「身替り」は散々繰り返して「古手」になっているのです。
浄瑠璃の起源は中世の「語り物」にあります。そこには「神社仏閣の縁起」を語るものが多くあります。信仰厚い信者が危難に遭遇した時、神や仏がその身替りになって危難を救うというストーリーです。(古浄瑠璃の趣向)
それが、近世になると、神仏の身替りではなく、人間が身替りに立つようになるのです。(新浄瑠璃)
更に、そのにせ首が全て本物として確認され、にせ首だと見破られていないのがこの時代の浄瑠璃です。それがそのまま歌舞伎に導入されているのです。
 
 「身替り」には「首実検」のドラマがつきまとっています。それが歌舞伎の見せ場の一つになっています。
  有名な「首実検」が四つあります。
 演目     首         実検する人    実検に首を供する人
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寺子屋   菅秀才(実は小太郎)              松王丸       武部源蔵
熊谷陣屋  敦盛(実は熊谷の子小次郎)   義経        熊谷次郎直実
鮓屋    平維盛(実は小金吾)               梶原平三      いがみの権太
盛綱陣屋  佐々木高綱(実は影武者)       佐々木盛綱     北条時政
 ここで注意すべきは四つの首が全てにせ首だということです。
にせ首である以上、身替りに立つ人間の悲劇があり、首を供する側にドラマが生まれるということです。
   にせ首と知りつつ本物と認める、、、
そうせざるを得ない事情が、首を実検する側のドラマが展開されるのです。
もちろん、身替りの悲劇があるのに、首実検の場面がない演目もあります。
 「御所桜堀河夜討」の「弁慶上使」です。
普通、「首実検」は首を供える者と実検する者の両方に一つの場としてドラマが成立しています。

 典型的な身替り、首実検
   「菅原伝授手習鑑・四段目 寺子屋の場」

菅原道真に多大の恩を受けながら、はからずも政敵の藤原時平に仕えていた松王丸、、、なんとかして道真の恩を奉ずるため機会を狙っていました。
絶好の機会が来ます。これも道真に恩がある武部源蔵の寺子屋に道真の嫡子菅秀才が匿われていることが分かり、討って渡せと時平の厳命が源蔵に下ります。秀才の顔を知っている松王丸が春藤玄蕃と共に首を受け取りにやってきます。
それ以前、松王丸は自分に真意を家族に理解させ、その日の朝、自分の息子小太郎を菅秀才の身替りにするため寺子屋に入門させています。
源蔵はその事情も知らず、秀才に似た上品の顔立ちの寺入りしたばかりの新入生の小太郎を殺すことを決心します。
そして、ついにそれが決行されます。
秀才の顔を知らない玄蕃のもと、松王丸の首実験が始まります。

左が菊五郎型、右が吉右衛門型の首実検

それより前、その朝、松王丸の女房千代が寺子屋に小太郎を連れてきました。寺子屋の主人源蔵はもちろんその女房戸浪も何もわからないけど、千代はこの先何が起こるのか全部予想しています。
当時松王は、時平の家来であることを嫌になっており、わざと仮病を使い辞職を願い出ていました。「首実検が済んだら」と言われて寺子屋に来たのです。
 松王丸  道真に恩義を感じているので、何としても秀才を助けたい
 時平   菅原家を絶やすため、何としても道真の後継者を抹殺したい
 源蔵   絶対秀才は殺せない、入門した寺子を身替りにする事を思っている
寺子屋の周辺には大量の包囲網が敷かれている。
松王丸は自分の子小太郎を身替りにして、源蔵が首をはねるとすれば菅秀才は死んだことになる。その隙に秀才を逃そうと考えています。
さらに、
菅秀才を助けたいと思う源蔵なら、身替りにしそうな子供がいたらきっとその首を討つだろう、、
しかし、事態がうまくいくかどうか全く予断を許さない、一か八かの大勝負である、と考えています。

結果は、、、、源蔵の討った首はにせ首と知りながら、松王丸の「菅秀才の首に相違ない」ということでことが済んでしまいます。
しかし、悲しみはそれ以降倍増していきます。
たった一人の八つか九つの子を殺させた松王丸夫婦の嘆きは如何ばかりでしょう!
「寺子屋」の特殊性は3点あります。
①  小太郎を身替りにする源蔵の苦悩はもちろんだが、後半で事態の真相がわかる
 と共に、松王夫婦の、我が子を身替りにした悲しみが語られ、そこに悲劇が
 成立します。
②  その上、悲劇性を持つのは、身代わりを立てた者も、その身替りの首実検をし
 た者もただ松王一人というところにあります。(松王丸一家の自作自演)
③   この皮肉な設定がわかるのは後半で、前半、源蔵夫婦は松王丸を敵方と思っ
 ているので、にせ首が本物と認めるかどうかのサスペンスと緊張感は、首実検
 の時、頂点に達します。

もう一つの身替り、首実検に
「一谷嫩軍記・熊谷陣屋」があります。

西海へ落ちてゆく平家を追う義経、その軍勢は須磨の浦でも大勝しました。その時、源氏の武将熊谷次郎は平経盛の一子で、若干17歳の若武者の無冠の太夫敦盛を討ち取りました。
我が子小次郎と年恰好も同じくらい、「容顔まことに美麗」だった敦盛を一旦は助けようとしますが、雲霞の如く押し寄せる源氏の軍勢の前に、人手に掛け参らせんよりは我が手でと、思い諦め、泣きながら首を討ちました。

この心情はそのまま近世の人形浄瑠璃に脚色され、歌舞伎に導入されています。しかし、この物語はこの先一捻りされ、予想外の結末を招き、優れたドラマティックな人間悲劇を繰り広げます。
次の場以降、状況は一変します。この一件は、実は、熊谷によって周到に仕組まれたトリックであり、首を討たれた若武者は敦盛と同い年の熊谷自身の子小次郎だった事が明らかになります。
つまり、熊谷は自分の子を犠牲に討って、敵将敦盛の身替りに仕立てたのです。無論、源氏の武士たちも気づいていないし、この芝居を見ている観客も気づいていません。
  なぜ熊谷はこんな行動に出たのでしょう?
このドラマの底辺に流れるもの、、
 それは「主君への忠義のため身替りに我が子を殺す」です。
敦盛には出生の秘密があったのです。
敦盛は本来、参議平経盛の末子ということになってますが、実は、後白河法皇が、寵愛していた藤の局との間にできたご落胤で、まさかのときには春宮に立つ可能性がありました。それを知る義経はその救出を熊谷に命じたのです。
義経はまだ牛若といっていた頃常盤御前と共に平家に追われていた時、後白河法皇の命によって兄頼朝は伊豆へ流され、義経は鞍馬寺へ稚児として預けられるという経緯があって命を救われた、義経にとって法皇に大きな借りがあったのです。
熊谷にとってはもう一つ理由がありました。
敦盛の生母藤の局こそ、16年前、熊谷が局の腰元だった相模と恋仲になった折、
本来は不義の咎を受けるべきところ、藤の局はこれを見逃し、東国へ駆け落ちを許した大恩人だったのです。
そんな事情から、熊谷にとって敵方の敦盛をどう救出するか、そのために義経が熊谷に与えた方策が、「一指🟰一子を斬るべし」つまり、敦盛と同年の熊谷の実子小次郎を身替りにせよとの非情な命令、暗示だったのです。
①  熊谷も小次郎の首を身替りにするという設定は「寺子屋」の松王と同じ。
②  けれども、実検する義経には松王丸とは違ったドラマがあります。
③  熊谷が自分の子の首を討ったのは義経の暗示でした。
④  敦盛は天皇のご落胤で、皇統を守るためには家臣の子を犠牲にしなければなり
 ません。
⑤   そこの義経の冷酷さ苦悩もあり、またその暗示がうまく熊谷に伝わったか
 どうかとの不安もありました。
⑥  その場には敦盛の生母の藤の局も居ます。小次郎の母親相模も同席していま
 す。そんな中で熊谷は義経と共に首を確認しなければならない。そこに劇的
 緊張感が生まれてくるのです。

さらに「義経千本桜・鮓屋」でも、親から勘当されたならず者の「いがみの権
太」が自分の子善太を犠牲にして若君六代の身替りに、平維盛に代わるにせ首を父親が夜中に運んできた若侍の小金吾の首に仕立てています。

江戸風の権太
上方風の権太

このほかにも身内の子供が親のため犠牲になる「近江源氏先陣館・盛綱陣屋」

また、「御所桜堀河夜討・弁慶上使」では、白塗りで紅隈をとった顔、大毬栗頭の荒くれ坊主の弁慶が、たった一度の恋で出来た娘を主君義経の正室の郷の君の身替りにするドラマ、これも「身替り」をテーマにした演目です。

歌舞伎にはこういった演目は数多く見受けられます。
さア、もっとありますよ、探してみてはいかがでしょう、、?






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