この世の地獄を見た

渋谷南口

ウェーブ通り近くの店で、販促のヘルプに来た。

コロナ全盛期に比べて渋谷にも多少人が戻ってきているようで、渋谷南口の店舗も売上全盛期には程遠いが売り上げが戻ってきてる。

外では飲んだくれてベロベロで歩いている中高年のおじさんがそこかしこにいて、若者が女の子を狙って早歩きで後ろ姿を追っていた。

そんな中一際目を引くのが、マークシティ下で屯する若者の集団だ。

かつてはそれほど見かけなかったのだけれども、大人数で屯して外で呑む団体が散見された。

おそらくいくつか原因はある。

コロナウイルスの影響で店舗内での飲食に気を使うようになってしまったこと。タバコが吸えない店舗がほとんどなこと。なんだかんだで自分で買って飲んだ方が安いこと。大騒ぎしても店舗内ほど他の人から注意を受けないこと。

きっと本人たちはこの惨状についてそこまで深く考えてはいない。

タバコ吸えないからーとか、一応コロナ流行ってるしねーくらいのテンションで外で飲んでるんだと思う。

居心地の良さを求めて若者がたどり着いた答えは外だったんだ。

しかし、若者達が天国を求め自分たちで作り上げた空間には地獄が広がっていた。

放置されるゴミの数々、撒き散らかされる吐瀉物。それを見せ物のように楽しむ外野、公然で見せびらかすかのように立小便をするもの、その跡地に平気で座り込むもの。吐瀉物の目の前で飯を食べるもの。
市役所の喫煙監視補導員は、喫煙禁止区域で喫煙しているものに軽く注意して終了。もっているホウキと塵取りはもはや飾り物だ。

僕は限りなく絶望していた。これでいて本人達は、とても満足げな表情を浮かべながらコールと一気を繰り返し楽しんでいた。

以前から渋谷では似たような光景を幾度となく目撃していたが、これほどまでショックを受けたことはなかった。

範囲が広範囲すぎる。且、その地獄は僕が販促を終え、退勤を押してもなお終わることはなかった。

これ程までに人の欲望とは、景観を地獄へと変えてしまうものなのか。





僕は先日、スクランブルスクエアの展望台から見渡せる渋谷の美しい光景を目の当たりにした。

二千円で買える感動に心から満足した。

この僕が見た景色の中に巻き散らかされているゴミと惨劇を、渋谷は光で覆い隠していた。

たとえこの世が地獄でも、渋谷はいつでもあなたの天国なのだな。

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