見出し画像

表現者ってなんだろう


常に情報過多状態の現代人はただでさえ慢性的に脳を疲弊させてしまうにも関わらず、
それが当たり前になってしまうことによってその恐ろしさに気付いてない。

仕事をうまくこなす上で愛想笑いをする
友達の輪を壊さないように周りに予定を合わせる
誰かに気に入られるためにその人の真似をしてみる
話に入れるように興味のないことに相槌を打つ

そんな表面的な自分が、いつの間にか潜在意識まで食い潰してしまって自分は一体どんな人間なのかを自分自身が1番理解できないのだと思う

だから人は悩むし葛藤する。
なぜ自分が悩んでいるかも理解できずに。 

そんな苦しみから無意識的に逃れようとして、YouTubeに出てくるのメンタリストやレビュアーの意見を鵜呑みにしてあたかもその人の意見が「自分も潜在的に持っていた意識、考えだ」と共感することによって自分を納得させる。
人から得た情報が自分の本質であると錯覚してしまう。
誰かにその意識や知識を話すことで自意識が満たされたような感覚になる。

要は情報中毒なんだと思う。

「わかる〜」
なんて言葉誰でもよく使う言葉だが、わかっていなかったから他者からその話を聞いた時に初めて共感できるんだ。

誰かの情報がなければ、人間は自分を形成できなくなってしまった。不安になってしまった。

沢山の情報を得る事で何が正解かわからなくなってしまい
「人の言葉に振り回される」とはよく言ったものだけれども



何故自分が
「何が正解かわからない」
のかをあなたは考えたことがあるだろうか



何故今自分は悩んでいて、何をストレスに感じていて、何をしたら楽しくて。
自分の感情の抑揚一つ一つに理由はきちんとあるだろうか

答えは自分自身にしかわからないし、それを人に共感してもらう必要はない

自分の全ての感情と理由を擦り合わせて小さな正解を見つけ続けることで自分がどんな人間なのかを理解できる。

音楽における表現の一つに、これは不可欠なことだと思ってる。

何かを表現するにはその人の表現したいものに対する意志が必要で、
人の情報で知識や意識を固めていると、自分の意思がなくなってしまうからだ

人の意識で作られた自分が表現するものなんて、結局は何かの副産物にすぎない

外部の情報を鵜呑みにしないでもっと自分を知って、受け入れて、愛してあげないと表現は育まれない

その情報をインプットした時、あなたが何を感じて、何故そう感じたか。 

その答えこそがあなたと言う人間だ
どんなゴミみたいな答えであったとして、それが自分だと受け入れることだ。または否定して課題を見つけて修正することだ。

自分の中にある「自分という人間」の答え合わせをし続ける事で、くだらない事で悩む事は一切なくなる。

何故自分がそれをストレスに感じるかを理解できていたならば、
そのストレスを回避する手段を考えることができる
何故自分がそれを美しいと思えたかを理解できていたならば、
その美しさをどう表現できるか、その美しさと類似するものは何か。インスピレーションを働かせることができる

人は好きなものに対しての理由は沢山並べられるが、嫌うにも案外理由って必要なんだ。
嫌なことだから目を逸らしてしまいがちで、考えたくなくなってしまうだけ。
目を逸らせば逸らすほど、答えは遠のいていく。
問題文を見ずに設問の答えがわかるわけがない

自分探しの方法は、人に勧められた方法なんかでは決して確立できない。
自分は唯一無二の存在だからだ。
どんな人間だって、誰かが自分に変わる事はできない。

自問し続けて、答えを探し続けて、課題を見つけ続ける

ステージに立つ人間は、そんな呪縛とも捉えられる思考の連鎖を止めちゃいけない。
ただ楽器が出来てなんとなく曲ができたからステージで演奏している。
それはそれで趣向としては全然アリだが、なら集客や曲の出来で悩まないことだ。他の演者や箱に対して文句を言わないことだ。多少の搾取にも目を瞑ることだ。
少なくともその思考は表現者のそれではない。

俺は自分を見つけ続けて、否定と肯定を繰り返して生きていく。音楽が続く限りね

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?