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もしかしたら、壮大な茶番劇ですか?

作品の感想はおおむね好評です。しかし、なにか不自然な感じがするのです。
この映画はお蔵入りになって公開されない可能性もあったようで、既に撮影が終わっていたにも関わらず、情報が全然伝わってこない期間もあって、なかなか公開に至りませんでした。
製作費を出した側と揉めていたとの話も、流れて来たりしてました。

今作は見るからにお金がかかっています。合戦のシーンの馬も多数で、兵士も群衆で大迫力です。しかし、いくつかの見せ場はあっても、基本的にお話は大きく盛り上がることなく、年表に書かれた事を順番に見せているような、単発のエピソードで描いている感じがしてしまいました。お話的には『歴史で有名な炎上する裏切り事件』で盛り上がるのかと思えば、どこかあっさりと流れてしまった印象で、そこから最後の合戦までが長いように感じてしまいました。。


今作ではいったい何を描いていたのかというと、『ある天下を治めていた男が倒されて、別の男が天下を取るまで』ということになるのでしょうか。
でもこのような内容を「こうなってこうなってこうなって、最後はこうなりました」と起きた順に並べて描いたとしても、観る側になにかの思いがズッシリと伝わってくることはなかったりします。
私の場合今作では、あまりに多くのことが詰め込まれていて消化しきれず、観終わってから「なにが一番伝えたかったのか」が、よくわからなくなってしまいました。

一番に伝えたかったのは「天下を取ってる男に逆らった男の無念さ」なのか、「暴力で皆に言うことを聞かせるというやり方の末路」なのか、「天下を取るための世渡りの仕方」なのか。
作品の中で『なにかを伝える』ためには、伝えたいことに関連した内容を増幅するように、過去も現在も関係なく並べ変えたり、関連する部分を細かく密度を濃く描いたり、そんなに関連してない部分をバッサリ省略したりして、観ている人にわかりやすく伝わるように描いたりします。そうしないと、「こうやってこの男は天下を取りました」というお話の結論みたいなものが大きく印象に残ってしまい、途中で描いていた事はあまり残らなくなってしまいかねません。


はじまりはシリアスなドラマであったのに、後半はお笑いコントみたいになっているのは何故なんだろうか? はじめから計算してこのように作っていったのだろうか? もしかしたら途中でなんらかのトラブルがあって、結果このようになってしまったのかもしれないです(※憶測_おくそくです=確かな根拠もなくいい加減に推し量ること)。

「これじゃまるで茶番じゃないか」と言う人が出て来てもおかしくないと思います。もしかしたら最初は問題なく作っていて、途中で製作費を出す側から無理難題(どうしても受け入れられないような事)なんかを押し付けられたりして、「バカヤローッ、こんな茶番やってられっか!」とかなったりしたのかもしれないです(※憶測_おくそくです=確かな根拠もなくいい加減に推し量ること)。

この監督は今までの作品を順撮り(シナリオの冒頭から順を追って撮影を進める方法)をしてきたようなので、後半くらいからもう完全にやる気無くすぐらいに、こじれてしまったのかもれないです(憶測_おくそくです=確かな根拠もなくいい加減に推し量ること)。

登場人物によって映画のジャンルが変わるような作り方を、あえて狙ってやるでしょうか? そのジャンルは例えば、本格時代劇的だったり、アニメ的だったり、テレビコント的だったりしているように見えました。
こんな作り方をすると、作品を観ていて大きなノイズになりかねないでしょう。それを作品中の大きな仕掛けとしてやっていれば成り立つかもしれないですけど(作品にとって効果的に機能するのが前提)、今作は途中でいつの間にか別の作品に切り替わってしまったような、違和感がある印象でした。


出てくる登場人物の行動の茶番、作品を作っている途中でのお金を出してる側と作り手との茶番、巨額な製作費をかけた作品がいつのまにかコントになっているという茶番、完成した作品を観た人がおおむね好評という茶番。そんなこんなを全部ひっくるめて、今のエンターテイメント世界という茶番。

もしかして、こういう茶番を意図して誰かが仕掛けていたのだとしたら、きっとその人は今ごろ、踊らされた人を見て笑っていることでしょう。こんなことを書いてしまっている私も含めてですけど。

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