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あたらしい憲法のはなし~五 天皇陛下

新憲法ができたばかりの頃、政府は新憲法をどう思っていたのでしょうか。

当時の文部省が、中学校1年生用の社会科の教科書として発行した『あたらしい憲法のはなし』を少しずつ、じっくり読んでいきたいと思います。
太平洋戦争終結後の1947年8月2日に発行されたものの、1950年に副読本に格下げされ、1951年から使われなくなったそうです。

全部で十五章ありますので、一章ずつ青空文庫から転載していきます。
今回は第五章『天皇陛下』です。
(まとめ部分を太字にしました)


五 天皇陛下

こんどの戰爭で、天皇陛下は、たいへんごくろうをなさいました。なぜならば、古い憲法では、天皇をお助けして國の仕事をした人々は、國民ぜんたいがえらんだものでなかったので、國民の考えとはなれて、とう/\戰爭になったからです。そこで、これからさき國を治めてゆくについて、二度とこのようなことのないように、あたらしい憲法をこしらえるとき、たいへん苦心をいたしました。ですから、天皇は、憲法で定めたお仕事だけをされ、政治には関係されないことになりました。
 憲法は、天皇陛下を「象徴」としてゆくことにきめました。みなさんは、この象徴ということを、はっきり知らなければなりません。日の丸の國旗を見れば、日本の國をおもいだすでしょう。國旗が國の代わりになって、國をあらわすからです。みなさんの学校の記章を見れば、どこの学校の生徒かがわかるでしょう。記章が学校の代わりになって、学校をあらわすからです。いまこゝに何か眼に見えるものがあって、ほかの眼に見えないものの代わりになって、それをあらわすときに、これを「象徴」ということばでいいあらわすのです。こんどの憲法の第一條は、天皇陛下を「日本國の象徴」としているのです。つまり天皇陛下は、日本の國をあらわされるお方ということであります。

 また憲法第一條は、天皇陛下を「日本國民統合の象徴」であるとも書いてあるのです。「統合」というのは「一つにまとまっている」ということです。つまり天皇陛下は、一つにまとまった日本國民の象徴でいらっしゃいます。これは、私たち日本國民ぜんたいの中心としておいでになるお方ということなのです。それで天皇陛下は、日本國民ぜんたいをあらわされるのです。
 このような地位に天皇陛下をお置き申したのは、日本國民ぜんたいの考えにあるのです。これからさき、國を治めてゆく仕事は、みな國民がじぶんでやってゆかなければなりません。天皇陛下は、けっして神様ではありません。國民と同じような人間でいらっしゃいます。ラジオのほうそうもなさいました。小さな町のすみにもおいでになりました。ですから私たちは、天皇陛下を私たちのまん中にしっかりとお置きして、國を治めてゆくについてごくろうのないようにしなければなりません。これで憲法が天皇陛下を象徴とした意味がおわかりでしょう。


あなたは、これを読んで何を感じましたか?
そして、何を思うでしょうか。

自民党草案では

天皇を「元首」と明記

第一条に「日本国の元首」と明記されました。
元々、大日本帝国憲法では、第四条で「天皇ハ国ノ元首」と明記されていたものを、現行憲法では削除してあったのです。それを戻すことになります。

大日本帝国憲法に戻すのではない、単に元首とは国家の首長のことを指すにすぎないではないかと考える人もいるかもしれません。内閣総理大臣が国家元首なのか、天皇は元首とは全くいえないのかというと、実は明確な定義はなく、解釈のしようによるようです。
今の象徴天皇だって「元首」であり単にそれを明記しただけだ、と思っていると、憲法が変わった後で「元首」の定義が変わってしまうということが起こり得ます。

天皇としての行為範囲の拡大

また、自民党草案の第五条では「この憲法に定める国事に関する行為を行い」となっています。ほぼ、現行の憲法と同じです。

現行憲法の該当箇所である第四条に記載されているのは「この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ」です。たった2文字の違いですが、自民党草案の憲法になれば、憲法に定められた国事以外を行っても、憲法違反にはなりません。第九条の修正により可能になった戦争へ行く兵士を見送ることだってできます。
このたった2文字の違いを「お前が細かすぎるだけだ」と笑う人がいたら、その人は、この2文字をなんとしてもねじ込みたい人ではないでしょうか。

戦争にならずとも、天皇をかついでやりたいことは自民党草案の中にあります。それが第二十条の3です。(太字筆者)

国及び地方自治体その他の公共団体は、特定の宗教のための教育その他の宗教的活動をしてはならない。ただし社会的儀礼または習俗的行為の範囲を超えないものについては、この限りではない。

さらに、自民党草案第八十九条にはこうあります。

公金その他の公の財産は、第二十条第三項ただし書に規定する場合を除き、宗教的活動を行う組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のために支出し、またはその利用に供してはならない。

現在は、天皇が行う宗教行事は全て国家の象徴としての行為ではなく、私事です。それを憲法が認める行為として行いたい、国事として行いたいという意図はあからさまで隠そうともしていません。私の説明など全く不要で、ただ自民党草案を読めば分かることなのです。
こんなことをしたら、外国との関係はどうなるのでしょう。
日本国民の生活はどうなるのでしょう。

他にも取り上げたい箇所はありますが、最後に『四 主権在民主義』でも取り上げた、自民党草案第百二条を再度取り上げます。前回は、「公務員らは『尊重』はせず『擁護する義務』だけが残りました。」と書きました。では天皇はどうかと言えば、「擁護する義務」すらなくなります。
つまり、天皇は、憲法より上になります。現在の天皇陛下がそれを望んでいるとは到底思えませんが、もし正当な手続きを経て改正された場合、それを拒否する権限は、天皇にはありません。

あなたは、憲法改正を望みますか?

参考資料『憲法に関する主な論点(第1章 天皇)に関する参考資料』

https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kenpou.nsf/html/kenpou/shukenshi076.pdf/$File/shukenshi076.pdf


世界や自分自身をどのような言葉で認識するかで生き方が変わるなら、敬意を込めた敬語をお互いに使えば働きやすい職場ぐらい簡単にできるんじゃないか。そんな夢を追いかけています。