【往復書簡】すべての言葉はI LOVE YOU

上の壇珠さんの記事へのお返事です。

おはようございます!!横浜は快晴です!!小生、昔は野球部だったのですが、練習が大嫌いだったものですから「雨が降ればいいのに。雨が降れば練習も休みになるのに」と毎日思っていました。台風が来た日は「このまま学校が壊れちゃえばいいのに」と、破滅願望(?)を抱くようになりました。これの名残なのかは謎ですが、おとなになっても「世界なんて壊れちゃえばいいのに」と、比較的ポップな感じで願ってしまうことがあります。しかし、世界が壊れるには第三次世界大戦が起こるしか道はないのかなと思い、「戦争は嫌だな」と思いました。そんな時に、コロナ騒動が起きました!!

コロナの凄いところは、人間を団結させることだと思います。戦争だと「国vs国」とか「宗教vs宗教(要するに人間vs人間)」になりますが、相手がウイルスだと「人間vs人間以外」になることが凄いです。人間が団結するには宇宙人に襲来されるしかないと思っていたのですが、あれ、いまちょっとそれが現実化しているぞって思ったら「うっわ、すっご!」と興奮しました。団結のチャンス!!これは団結のチャンスです!!私は、黒澤明の『生きる』という映画が大好きです。余命僅かの主人公が「私には、誰かを憎んでいる時間はない」みたいなことを言いながら、淡々と自分の仕事をする場面が出てきます。現在の心境は、彼のそれに似ています。我々にはもう人間を憎んでいる時間はないのだと、やるべきことをやることなのだと!!私にとっての「やるべきこと」とは壇珠さんにお返事を書くことだと!!やることがあるということはとても幸せなことですね!!ありがとうございます!!

これは男女脳の差なのだろうと思いました。よく言われることですが、女性は恋人と別れるときに散々苦しんだり泣いたりしていたくせに、いきなり終わったこととして心の中でカタがついてしまって、1週間後には前の人をすっかり忘れてもう他に好きな人がいたりするのに、男性は別れた直後は何事もなかったかのように過ごしていたり「ケッ別に傷つかねえし。なんともねえし」などと思っているのに、徐々にそれが深く心に刺さり、長い間傷を負ったままでいたりするのと似ていると思いました。恋をするたびに女性は記憶の上書き保存をし、男性は別名保存をするのだそうです。これを知ったときにわたしは戦慄しました。男でいるって大変だ、男を傷つけたくないと思いました。世界は何事にもバランスを保っているそうですが、つまり男性がその「別名保存の傷」を負ってくれるおかげで、女性が「残酷な上書き保存」ができるのだと思うと、マジで感謝しかないと思うんです。圭吾さんのおかげでこれを書くことができています!!超絶ありがとうございます!!

わかってくれてうれしいです!!わかってくれりゃあそれでいいのです!!わかっていただけるのであれば「女性達よ、そのまま生きてください」とか思いながら傷を引き受ける甲斐もあるというものです!!女性は呑気なくらいがちょうどいいです!!その呑気さに「イラッ」とかしながらも大きなところで救われているのが我々男性陣だと思います!!男と一緒になって女も深刻になったらこの世の終わりです!!呑気でいてくれてありがとうございます!!残酷なほどに上書きをしてくださってありがとうございます!!俺のことなんて忘れてくれていいのです!!忘れてください!!完全に忘れて自由に好き勝手に楽しく生きてください!!基本的に忘れられていながらも時折「あ」とか空を見ながら思い出していただけたなら万々歳です!!全然関係ないですが私は道を覚えられない女性にグッときます!!俺だったら絶対そっちに行かない方向に満面の笑顔で歩き出す女性を見て「すげー!」って思います!!私は、割とガチで『方向音痴は世界を救う』と思っています!!合理主義に走り過ぎた世の中は確実にギスギスします!!そこをほぐしてくれるのが方向音痴の存在です!!方向音痴こそ我々人類に残された最後の人間味なんじゃないのかとさえ思います!!ありがとうございます!!

男女脳と言えば、私は最近「自分は男だと思うことをやめてみる」という思考実験をしました。同時に「自分は坂爪圭吾だと思うことをやめてみる」という思考実験も重ねました。部屋にすわり、頭の中で「私は坂爪圭吾でもない、男でもない、まったくなんでもない存在だ」と思いながらボケーっとしてみたら、自分でもびっくりするくらい全身の緊張がほぐれていくことを感じました(やりながら舌がべろんと出ました)。この体験を通じて、自分は男だとか、自分は坂爪圭吾だと思うことがどれだけ自分をはりつめさせていたのかを実感しました。私はシェアハウスのような場所に滞在しているので、同居人の女性に「ねえねえ、一回自分は女だと思うことをやめてみてよ」とお願いをしました。すると、彼女の中から私とまったく真逆の反応が出てきました。彼女曰く「なんだかよくわからないけど、自分の中から攻撃的なものが湧き出してくる」ことを感じたらしいのです!!ちょっと興味深くないですかこれ!!自分は男だと思うことは自分を緊張させて尖らせる要素が、自分は女だと思うことは攻撃的な部分を抑える丸みの要素があるのかもしれません。性別も名前も思い込みの一つでしかないと思うので、そこから自由になることは自分の可能性を拡張するみたいで興味深かったです!!

この、「俺は俺だ」の感覚、非常によくわかります。なぜかというと、これを書くのは非常に恐ろしいのでワナワナしながら書いておりますが、わたしは今まで付き合ったり結婚したりした男性とは、必ず取っ組み合いの喧嘩になり、腕力で勝てないので「殺ってみろよ」を念じるということを何度もしたからです。 〜中略〜

「殺ってみろよ」と言うとちょっと語弊があるのですが、つまるところ「逃げねえよ?」という気持ちだといえます。退かねえよ?媚びねえよ?省みねえよ?です。帝王に逃走はないのです。

いやもう本当におっしゃる通りです!!逃げねえという態度を選択した結果、出てきた言葉が「俺は俺だ」とか「殴るなら殴れ」とか「殺ってみろよ」だったのだと思います!!最初から腹の据わった人間だったのではなく、腹なんか実際全然据わっていないのだけれど、腹の据わった人間を演じることで、結果的に「本当に腹の据わった人間になる」のだと思います。最初から自分が強い人間だったのではなく、選択の結果そういう人間になっただけ。先に自分があったというよりも、選択の積み重ねが「自分を作った」のだと思います。自分探しという言葉は嘘で、瞬間瞬間の選択が自分を作るのだと思います。その点において、漫画や映画は素材の宝庫だと思います。自分の心が「うわ、この人いいな」って思ったら、一瞬でその人になることができます。あとはもう実際にその人を生きちゃえばいいだけの話です!!

突然ですが、壇珠さんは「自分の中に相反する二人のキャラクターがいる」と感じることってありますか??私の場合、自分の中に良寛さんと一休さんを感じます(時折、孔子と老子がいることもあります)。あんまり一般的ではないキャラクターで恐縮ですが、一言で言えば良寛さんは『寛容』で、一休さんは『苛烈』です。仏と鬼、と形容することもできます。この二つのキャラクターに引き裂かれながら、両極を行ったり来たりしています。最近の私は、もっぱら良寛さん寄りであります。良寛さんは優しいです。好きな詩(辞世の句とされています)があるので、勝手ながら紹介させてください。

形見とて何残すらむ春は花夏ほととぎす秋はもみぢ葉

形見といっても、何を残すものがあるでしょうか。春は花。夏はほととぎす。秋はもみじ葉。日本の美しい自然の中に、また、私の心もあるのです。と、そんな感じの短歌になります。この句を初めて読んだとき、私は「めっちゃ素敵やん」と思いました。自分の功績を誇るというような態度はまるでなく、ただ、自分が生きて感じたこの星の美しさこそが、自分の形見であるのだと。この句を思い出すたびに、私は「俺が、俺が」となっていた自分を恥じ入ります。そして、頑張りすぎなくてもいい、なにかを成し遂げようと思わなくてもいい、生きているだけで充分、私たちは幸せであるのだという感覚を取り戻します。それに対して、一休さんのそれは違います。一休さんの名前の由来にもなったと言われている有名な句をご紹介させてください。

有漏路より無漏路へ帰る一休み雨ふらばふれ風ふかば吹け

有漏路というのは「煩悩にまみれた世界(この世)」ということで、無漏路というのは「煩悩のなくなった世界(あの世)」を意味しています。いまという瞬間は、この世からあの世に向かう一休みであるに過ぎない。よろこびもかなしみも永遠に続くことはない。だから、なるようになればいいのだ、と。どうにでもなればいいのだ、と。雨が降るなら降りやがれ。風が吹くなら吹きやがれ。全部こい。かかってこい。全部、俺は受けて立ってやるぜ。と。一休さんは、比較的パンクです。こういった血もまた自分の中に流れていることを感じます。どうせ最後には死ぬんだから、どん底だろうがなんだろうが血を流しながらニッコリ笑ってやろうぜ。そんなお誘いを受けているような気持ちになり、私の血はたぎるのであります。穏やかな人生を望む自分と、穏やかな人生なんてあるわけがないじゃないかと思う自分と、どちらもいるのです。この両極に引き裂かれながら、今日も生きている俺です!!

俺、こういう人に怒っています。怒ってるんですほんとうに。これからは変わる、と言いながらいつまでも変わらないで「自分は駄目だから」と逃げている人は、愚痴る資格も嘆く資格もないのだと思います。そういう人は、今のその人がクッシャクシャに壊れるほどの破壊を経験したほうがいいと思います。本気を出して、駄目だった、を味わうと新生の自分になりますよね。だから、その御大層に抱えて守っている本気を出してしまえば脱皮が始まるのだと思います。わたしは誰かに対してそう思ったときには、自分が嫌われるだろうけれどもその破壊の方に加担しようと思います。じゃないと自分もモヤモヤするし、相手もウジウジしたままだからです。誰かとついつい「モヤ&ウジ」のユニットを組まないように気をつけなくてはなりません!!

全文引用させてください!!心が晴れやかになる道を!!心が晴れやかになる道を歩きたいと思います!!清々しくなくっちゃ!!潔くなくっちゃ!!晴れやかに生きていられないならドブ人間です!!本気を出さないことはいろいろなものに失礼です!!まず、自分に失礼です!!そして、自分を感動させてくれたものたちに対して失礼です!!誰だって一度は漫画や映画に感動したことがあるはずです!!そして「俺もこうありてえ」と思ったはずです!!なにかに感動した人間は、それを自分も引き継ぐ責任があると思います!!口先だけで「感動した」とかいってる奴は偽物です!!それはただ消費しただけです!!本当に感動をしたならば、生き方が変わっていなければ嘘です!!そんな人間が「俺はこれが好きだ」とか言う資格はねえと思います!!人間なめてんじゃねえぞって話です!!本当にいいと思うならそう生きてみやがれって話です!!負けてんじゃねえよ、世間に!!ごるぁ!!生きているのはいまだけなんだよ!!なのに何を待ってんだよ!!ごるぁ!!パンチ!!パンチ!!パンチ!!目を覚ませって話です!!パーーンチ!!

それから、もう誰も近寄りたくないと思われるであろうことをどんどん告白していきます!!わたしは心のブスを見つける能力もが常人の6万倍くらいあります!!心のブスというのは、己を卑下することを己に許している人のことを言いますが、見ると即、即、即時それを見抜きます!!なぜかって、それは自分がそうだったからです!!今も卑下と戦っています!!だからわかるんです。人に会って1秒で、こいつがおべっかとお世辞使ってんのは自分を卑下してるからなんだなこのブス!!と思っています!!『ロリエ朝までブロック多い夜用羽つき』の高吸収ポリマー3倍配合の、すき間ゼロ設計の、変形ピタッと吸収体よりも敏感に、あなたの心の出血に反応します!!それをごまかそうとするとブスがますますブスになりますから、そんなに心がブスなら表面の顔にメイクしても意味ねえじゃん、表面が可愛くても俺の目にはどうせクソブスだぞと思っています!!それよりも心の出血止めたほうがかわいいぜベイベーと思ってしまうんです!!あたいがあんたの親ならな!!自分の子が自分を卑下してんの見たら、目から涙の代わりに血が出るわい!!わかるか卑下ブスども!!と思っています!!自分はそんな夜用ナプキンのような人間です。なぜそこに着地したかわからなくなりましたが、それよりも終わりましたね俺。終わりです。皆さん俺は終わりました!!嫌ってください!!どうぞわたしを嫌ってください!!(死)

壇珠さんひとりを死なせるわけにはいかねっす!!わたしはわたしを裁きます!!生きているだけでいいとか言っているそこの俺!!腑抜けたこと言ってんじゃねえよ!!最低条件にあぐらをかいている35歳無職!!敗北的な言葉に慰めを見出してんじゃねえよ!!生きているだけじゃ悔しいだろうが!!「心」に「毎(日)」って書いて悔しいと書きます。俺は毎日悔しいのですこれが坂爪圭吾ってもんだろうがごるぁ!!本当は悔しいって思ってることを打ち消そうとしてんじゃねえよターコ!!お前の本心は生きているだけでいいじゃなくて「もっと活躍させてくれ」とか「俺にもなにかやらせてくれ」だろうがごるぁ!!もっと生きたいが本心だろうがごるぁ!!それなのに自分ごまかしてんじゃねえよ!!心臓の鼓動を自分の手柄にしてんじゃねえよ!!偉いのは心臓であってお前じゃねえんだよこの金髪豚野郎!!豚野郎のくせに悟った気になってんじゃねえよ!!悶えろ悶えろもっと悶えろお前には苦しみが足りないこれが正解だろうがごるぁ!!全部を失ってからが本当の人生だろうが!!お前はまだなんにもはじまっちゃいねえんだよ!!うわあああああああああああああああああああああああ!!(発狂)

やっぱりあれですよね、自分の中から湧き上がる感情を打ち消そうとすることが諸問題の根源ですよね。さみしいならさみしいと叫ぶ。悔しいなら悔しいと叫ぶ。理解してほしいなら理解してほしいと叫ぶ。別の言葉に置き換えないで、自分の感情そのまんまをどストレートに表現すると、なにかこうスッキリする部分があります。時折、読者様から「坂爪さんは、王様は裸だって叫ぶ少年みたいですね」と言っていただくことがあります。これは正直とても光栄なことなので、あ、ありがとうございますとか思いながら照れます。あの物語では、王様は裸だと叫ぶ少年は英雄として、偉そうに威張っている王様は悪役として描かれます。しかし、私はここで一言申し上げたい。あの物語で出てくる一番の悪役は「おかしいと思っていることを、おかしいと言わない群衆ひとりひとり」だと思うのです。おかしいことをおかしいと言えなくなるとき、世の中はおかしくなるのだと思います。いまだに百貨店などでは「自然な笑顔の作り方」みたいな新人研修が行われていると聞きます。これ、冷静に考えると世界で一番不自然なことだと思います。やる側もやる側なら、聞く側も聞く側だと思います。自然な笑顔ってなんだよ。バカにするのも大概にせえよ。そう思ってしまう自分は、ご覧の通りロクでもない生き方に着地をすることしかできませんでした。でも楽しい。でも嬉しい。レールを外れても楽しいと思えることが毎日あるこの人生が好きです。

感情を全出ししたあと、一番最後に残る感覚は『愛』だと思います。全部はあいらぶゆーの裏返しで、愛しているから嫉妬をするのであり、愛しているから悔しいのであり、愛しているから拗ねてみたりするのだと思います。全然まとまりのない文章になってしまいましたが、自分が自分を嫌いだと思う、自分が自分を許せないと思う時でさえ、一番奥の奥の方には「愛しているよ」の煌きがあると思います。だからこそ、我々に残された道は実は二つしかないんじゃないのかと思います。一番目は自分の感情を全出しにすること。悔しいなら悔しいのだと、綺麗な感情に置き換えようとしないで自分ど真ん中をそのまま真っ直ぐ表現すること。醜いとされている部分も恥ずかしがらないで醜いまま全出しをすること。二番目は、手っ取り早く最初っから「愛しているよ」と言っちゃうこと。俺はお前が大好きなんだよと、好きであること、愛していることを認めて降参するように伝えちゃうこと。私は単純な人間なので、あ、こいつ嫌いだなと思う人に対しても愛してるよと心のなかで囁くことで実際にちょっと愛せちゃったりすることがあります。あとはもうこの技を自分に使うだけなんだなと思います!!先手必勝!!今日もあいがとうございます!!愛しています!!愛していますざ・わーるど!!

バッチ来い人類!うおおおおお〜!