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第59弾「ラブコール」

ハーイ!みんな元気?あたしけいご。

59曲目はこれ。ラブコール。熱海の家(逢初庵)の無料開放をやめておきながら、家にいると、ついつい「誰か来ないかな」って玄関の方を見てしまう。これ、多分、誰かから連絡こないかなって、ついついスマホを見てしまう心境と似ている。そんな連絡来るはずないのに、もしかしたらって思う気持ちが、視線をそちらに向けてしまう。思わず「期待」してしまうのよね。

「ラブコール」 作詞・作曲 坂爪圭吾

みっともない 記憶(こと)ばかり 蘇る 夜
大事なものは目には見えない だから時々夢に見るんだ

ひとりで生きる強さなんて ひとといられない弱さだと
つよがりながら 軋む むねは つながりを 求めてる 

自分でカギをかけたくせに 開かない扉 ばかり見てる
何か 起きてはくれないかと 誰か 壊してくれないかと
待ちたくないとか言いながら 本当はずっと待っている
鳴らない ラブコール 待っている

意気地もない 過去(こと)ばかり 蘇る 夜
ひとりじゃできないことがある ハグだとか ××だとか

遠くに行ける強さなんて ここにいられない弱さだと
臆病ものは ひざをかかえ 宛名もない 手紙書く

空に描いた青い星に 生きた証を 刻みつける
誰か 見つけてくれないかと 君も ここで生きているかと
待ちたくないとか言いながら 本当はずっと待っている
消えない ラブコール 待っている

自分でカギをかけたくせに 開かない扉 ばかり見てる
何か 起きてはくれないかと 誰か 壊してくれないかと
待ちたくないとか言いながら 本当はずっと待っている
鳴らない ラブコール 待っている

空に描いた青い星に 君に届けと 祈り込める
誰か 見つけてくれないかと 俺も ここで生きているよと
待ちたくないとか言いながら 本当はずっと待っている
消えない ラブコール 待っている

自分の中に矛盾を感じる。誰かに会いたいと思いながら、誰にも会いたくないと思う自分。何処かに行きたいと思いながら、何処にも行きたくないと思う自分。なにかをやりたいと思いながら、なにもやりたくないと思う自分。家の無料開放をやめておきながら、誰か来ないかなと玄関を見てしまう自分。そして、誰か来たら来たで、「お前ではない」なんてことを思っちゃう自分。誰かに会いたいと思いながら、その『誰か』が誰なのか、わからない自分。

前に、介護施設で働くひとから話を聞いたの。あるおばあちゃんがね、毎日、毎日、施設の入り口のベンチに腰掛けて、玄関ばかりを見ているんだって。それはね、誰か、自分に会いに来てくれるひとがいないだろうかって、毎日、毎日、そこに座りながら待っているの。でも、誰も、おばあちゃんに会いに来ない。それでも、おばあちゃんは、毎日、毎日、ベンチに座りながら誰かが来るのを待っているんだって。これ、なんだか、胸にグッと来るものがありました。決して「他人事じゃない」と思わせる、なにか、人間の根源的なさみしさというか、切なさというか、希望をもたずにはいられない愚かさと、その、愛しさ。そういう全部が、なんだか凝縮されているみたい。

あたし、待つのはあまり得意じゃないから、「待つな」とか「求めるな」とか「誰かになにかをしてもらおうと思うな」とか「欲しいものは自分で取りに行け」とか、そういう考え方を採用しているつもりだった。でもね、長い時間をひとりで過ごすと、やっぱり「なにかを待っている」自分の存在を、強く感じるのよ。それは、人間、ひとりでは絶対に感じることができないよろこびがあるってことを、本能的に、わかっているからなのだと思う。わかりやすい例で言えば、ハグとか、そうよね。誰かと抱き合うよろこびは、自分ひとりでは味わえない。自分が自分を抱きしめると、結果、膝小僧を抱えるような、なんだかちょっぴりもの悲しい感じの、雰囲気が出ちゃうから。

いろいろなものを『ラブコール』だと仮定して、考えてみる。たとえば、孤独という感情。表面的にはネガティブなもので、孤独を感じるくらいなら、テレビを見てごまかしたり、誰かと電話でもして気晴らしをした方が、有意義な時間を過ごせそうでは、ある。でも、もし、孤独が『魂からのラブコール』だとしたら、ごまかすことが、とてももったいないことに思えてくる。あたし、孤独なときこそ、みんなとつながるチャンスだと思う。孤独を通じて、あたしは、あたしになる。そして、孤独を通じて、孤独を掘って、掘って、掘り進めた先に、人間全員がいるような、そういう予感を感じるのよ。

嫉妬も、似ていると思う。嫉妬も『ラブコール』だとしたら、嫉妬を覚える対象に、自分が本当はこうありたいと思える要素が、あるのだと思う。だから、表面的にはマイナスに見えるものも、打ち消そうとするのではなく、耳を傾けた方が、結果的にいいことがあるってこと、あると思うの。憎しみも、怒りも、悲しみも、全部『魂からのラブコール』だと仮定して、考えてみる。ラブコールって、自分の中にあるものを引き出してくれるもの。そして、自分を『外側の世界に』連れ出してくれるものだと、あたしは、思う。

こうして音楽を作って、みんなが聞ける場所に置くってことも、あたしなりのラブコールなのだと思う。自分自身に対するラブコールでもあり、あなたに対するラブコールでもある。これは、乱暴な言葉でまとめると「俺はあなたを見ているぞ」って、ことなんだと思う。あたしは生きている。あなたも生きている。遠く離れていても、同じ時代を、一緒に生きている。この『生きていることを確認し合っている』ってことが、あたしには、ラブコールに思える。逆に言えば、誰にも、自分の存在を確認してもらえないとき、そのひとは『生きていることを実感することが難しくなる』のだと、思うのよ。

ひとつひとつの感情が生きていて、その、ひとつひとつの感情が『自分』という人間を構成しているのよね。喜怒哀楽で言えば、喜びとか楽しいって感情は歓迎されがちだけど、怒りも、哀しみもあってこその、人間なのよね。だから、まるごとひっくるめての自分を受け入れることができたときに、よし、これで生きていこうって思える力が、湧き出してくる。ネガティブな感情がなくなったから生きていけるのではなく、自分が、自分であることを受け入れたときに「これで生きていこう」っていう、前向きな力が自然と湧き出るのだと思う。そのためにも、たとえネガティブとされているものであっても、「ひとつひとつを、見ているよ」というまなざしは、大事だと思う。

一蓮托生。これ、あたしの好きな言葉。あたしは好き嫌いがすごいあるから、この人は好き、この人は嫌い、みたいなことをすぐに感じちゃう。でも、同時に、相手が誰であれ「これはもうひとりの自分なんだ」って感じる自分が、同時に存在する。だから、本当の意味で、誰かを憎むことは、できないような気がする。なにかをされて「やめて!」とか「それをされるのはすごい嫌だ」とかは言えるのだけど、相手の存在そのものを、否定することが自分にはできないの。だって、自分だって、たまたまた色々な環境が自分を作っただけで、なにかがちょっとでも違えば「そのひとみたいになり得た」可能性って、充分にあったと思うのよ。そう思うと、もう、誰のことも責められなくなる。逆に言えば、誰かを否定することは、めぐりめぐって、自分を否定することになる。これは、避けられないことな気がするのよ。

5月26日(日)、横浜のごちゃまぜの家で『定期演奏会』が開催されます。この日はわたり食堂【0円食堂】も同時開催されるんだけど、あたし、いまものすごいお金がやばいからドネーションボックスとか設置しようと思う。音楽を聞いて、いいなと思ってくれたひとだけでいいから、いいなと思ってくれたその気持ちを、日本銀行券でもクオカードでもなんでも用意した箱に投げ入れてくれたら、あたし、すごい、嬉しい。でね、ドネーションボックスを用意しようって考えた時に、毎回「あたしよりもお金に困っているひとが絶対にいるはずだ」みたいなことを、どうしても考えてしまうのよ。

だからね、もし、いまものすごいお金に困っているけれど定期演奏会には行きたい!みたいなひとがいたら、このドネーションボックスにはいったお金を交通費に使ってもいいから、片道だけはどうにか頑張ってごちゃまぜの家まで来てちょーだい。どうにかこうにか家まで着けば、帰りの交通費は、多分、どうにかなるから。お金がないと、行動が制限されるでしょう。そうなると、ひとりきりの時間が増えるでしょう。そうなると、思考がどうしても狭く限定的なものになって、息苦しさを覚えたり、するでしょう???これはとてもよくないループ。人混みの中に飛び込むことで、思わぬ風が吹いてきたり、思ってもいなかった巡り合わせに出会えることが、人生にはある。

ただね、あたし、思うのよ。どれだけ人混みに飛び込んだって、結局『受け身』の姿勢を続けていては、入ってくるものも入ってこない。誰かに合わせて話をするんじゃなくて、自分が言いたいことを、たとえ、空気を壊してしまったとしても、勇気を出して言葉にすることだと思う。自分を出して、はじめて、人混みに飛び込む意味があるのだって、そう思う。人がたくさんいる場所で疲れてしまうことがあるのは、あたしも、同じ。でも、冷静に考えると、疲れる原因は「言いたいことを言えなかった」ことが、とても多いと思うのよ。だから、停滞感を感じる時こそ、人混みにダイブ!!そして、少なくともこれだけは言いたいと思うことを、勇気を出して、言う。「なんとなく来ました」とか中途半端な言葉で濁さないで、自分のなかにある思いを、精一杯言葉にして、それを人前に出す。そういう、ちょっとした勇気が、次のステージに自分を連れ出してくれる、きっかけになると思うのよ。「察してもらおう」とか、ダメ。自分から言わないと、わからないから。でもね、言ってもらうことで、わかってもらえることだってあるのだと、あたしは思います。もちろん、全員は、無理よ。でもね、いる人は、いるのよ。

じゃあ、またね。愛してるわ。バイバイ。

坂爪圭吾 keigosakatsume@gmail.com

【イベント情報】

5月26日(日)15時~16時@神奈川県横浜市「ごちゃまぜの家」

6月2日(日)15時~17時@千葉県千葉市「N-HOTEL」

非常にありがたいことに、イベント出演のお誘いをいただきました。当日は、みなさまとお話をしながら数曲披露させていただくような、そんな感じで進みます。是非、生けいごちゃんの波動をリアルで感じてください。この前、過去に数回お会いした女性から「坂爪さんと会うと、必ずそのあとにいいことがあるから、私の中では『坂爪大明神』ということになってます!」くらいのことは、言われているのよ。とかなんとか、こういうことを書くと宗教っぽいから、やばいわね。まあ、いいや。だって、ホントなんだもん。

みんな、遊びに来てねー!ぴょえー!


バッチ来い人類!うおおおおお〜!