#5 「準備」
音と言葉の「準備」と言ったとき、
「準備」とは結局なにを意味しているのだろう。
もちろん「準備」されていたのだから、我々よりも先だって存在している、ということが言える。
そしてその「準備」の仕方が恣意的だということが言いたいのだろう。
つまり、違う「準備」でもよかったし、なんなら「準備」されてなくてもよかった。
それにも関わらず、ある一つの方法で「準備」されていた。
だから「準備」に疑念があるし、「準備」を信じきれない。
しかし「準備」された以外の音や言葉で、神的なものを顕現させたり、そういったものに触れたりするも難しい。
そこに苦しさがある。「準備」を疑いながらも、「準備」に頼らざるを得ない。
(ヨーロッパ的楽音と、本当の世界との距離。)
(ソシュール的差異的言語観の上に成り立つ言葉と、本当の世界との距離。)
恣意的なものが「準備」されている。
Triggered and Inspired by
『木村敏対談集1 臨床哲学対話 いのちの臨床』、青土社、2017年。
丸山圭三郎『丸山圭三郎著作集Ⅰ ソシュールの思想』、岩波書店、2014年。
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