ひょうどう

九鬼周造研究

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最近の記事

#8 形式の役割

ひどくざっくり考えるならば 恣意的な差異の体系がある それにより後天的に実体かのように扱われる音や言葉がある そしてその音や言葉は我々の手元にある 我々はその音や言葉を積み上げるけど なんとなく我々を取り囲む世界には辿り着かなそうな予感がある こんな感じだろうか。 ふむふむ、せっかくだから羅針盤としての暴論を吐いてみよう。 なんとなくだけれども、 ヨーロッパは形式的、人工的、約束的な実体、単位を確実に「準備」して、それを組み立てることで、神的秩序へ辿り着こう

    • #7 音階と言語

      武満徹と木村敏の対談を読んで、なぜか思い出した先輩の修論の話から、ソシュールの話へと飛んでしまったけれど 偶然か必然か、こんな一節を見つけた。 丸山は言語が差異でしかないことを、音階のアナロジーを用いて説明している。 もちろん丸山が言いたかったことは、最初から世の中にドという音が存在した訳ではない、ということなのだろうが 「この音階を用いて作曲家が一つのメロディを生み出した場合に、はじめて作曲家の意味志向が分節されて一つの意味が生れる」 という部分に、武満はどんな反

      • #6 人間と言葉の位置関係

        武満が「あらかじめ準備された音」で表現することを「セルフィッシュ」と言っていた。 ここには、楽音とそれを扱う自分という、空間的位置関係が存在する。 はたしてソシュールの言語観において、人間と言葉の位置関係はどうなっているのだろうか。 言葉は我々の手元にあるのか、それとも「音の河」のように我々自身をも包み込むものなのか。 おそらく、言語の恣意性という時の恣意性が、人間による恣意性なのであれば、我々の手元にあるのであろう。 ただもし、この恣意性が自然的な、あるがままとか

        • #5 「準備」

          音と言葉の「準備」と言ったとき、 「準備」とは結局なにを意味しているのだろう。 もちろん「準備」されていたのだから、我々よりも先だって存在している、ということが言える。 そしてその「準備」の仕方が恣意的だということが言いたいのだろう。 つまり、違う「準備」でもよかったし、なんなら「準備」されてなくてもよかった。 それにも関わらず、ある一つの方法で「準備」されていた。 だから「準備」に疑念があるし、「準備」を信じきれない。 しかし「準備」された以外の音や言葉で、神

        #8 形式の役割

          #4 先輩の修論

          武満の対談でもう一つ思い出したのは、先輩の修論の話だった。 聞けば、その先輩はソシュールの言語観が恣意性を唱えているのに対し、 アラビア語、特にクルアーンは神の言葉であってそこに恣意性はない、というようなことを発表したらしい。 (なんだって?) おそらく事前の論文構想を、何人かの教授の前で発表したのだと思われるが 「そんなものは研究ではない」と総スカンを喰らったらしい。 (うーん、想像に難くない) しかしだ。この話は武満の苦悩に通ずるところがある気がする。 あ

          #4 先輩の修論

          #3 アラビア語のうた

          武満が「準備された音」について語ったとき、僕の頭に浮かんできたのは、夜道で熱唱するアラブ人だった。 就職直前の2月、僕はフランスのブザンソンに1か月滞在していた。 フランス語を勉強するためだったけれども、なぜか全く勉強する気になれなかった。 (猛反省。) ブザンソンはスイス国境近くの小さな街で、留学生がたくさんいた。 モンゴル人がチーズ作りを学びに来ていた。 (モンゴル人がチーズ職人になるためにフランスに留学している。大手企業の総合職を意図もなく片っ端から受けると

          #3 アラビア語のうた

          #2「音の河」武満徹

          つまるところ、ヨーロッパの人間が「準備」してくれた音というのは、自分の外にあるような音なのだ。 まるで白いテーブルクロスの上に銀製のフォークとナイフが並んでいるように、自分の目の前にドレミファソラシドが置かれている。 (さあどうぞ!ボナプティ!音符で遊びたまえ!) 武満には、仮に「あらかじめ準備された音」をどれだけ壮大に組み上げられたとしても、自分もその中にいるような「音の河」へは届かないという予感があるのだろう。 (まるで、砂浜で壮大な城を立てても、そこには入れない

          #2「音の河」武満徹

          #1「準備された音」武満徹

          木村敏と武満徹の対談を読んだ。 武満がドレミファソラシドを「あらかじめ準備された音」と言うときの その「準備」という言葉に込められた虚しさ、怒り、葛藤たるや。 (うむ。たしかにそうだ。僕は誰かにこのドレミファソラシドを「準備」しておいてくれなんて言った覚えはないぞ!気付いたら「準備」されていたのだ。) 武満の正直な葛藤が心に沁みる。 音楽に限らず、だれしも自分が生まれるよりも前に作られていた世界に後から参加せざるを得ない。 (5分前行動どころか、大遅刻。かつ自主的

          #1「準備された音」武満徹