初め、ということ。

物事を始めるときに、
「 ○○ 初め  」
といい現わすことがある。

「 初め 」という言葉は、
「 染め 」とも通じるものがあるようで、
少しずつ、新しいことが、自分の身体に染まっていく様が想像できていいなと思う。

最近、ヨガを始めた。
多分、3 ヵ月で辞めると思う。
ただ、動かすことをあきらめていた筋肉たちが、
ヨガのポーズを通じてごりっと動かされていくような感覚は、
今までの自分の生活では味わえなかった部類の出来事なので、
いい体験をしたなあと思っている。

たまたま、私には水泳のほうが向いているな
( 最近、区民プールにも通っている )
というだけで、
ヨガを始めることで、自分の身体や軸を大切にしている人たちと
毎週言葉は交わさずともすれ違うことは、
私が私でなくなる日に向けても、
きっと意義のあることなのだと思う。

プールの方は、
私の唯一できるスポーツということもあり、
ブランクが 10 年ほどあろうと、
なんなく 25 mクロールで泳ぐことができた。

幼稚園、小学校 6 年間と、
スイミングスクールに通わせてもらったり、
海に触れやすい日々だったこと、
夏休みの間に、ほぼ毎日小学校のプール開放で泳いでいたことは無駄ではなかったらしい。

小学生のころから、
中二病を患っていたためか、
「 速く泳ぐために 」
「 自分の形を 」
と人の言うことを聞かなかったフォームを、
いまさらながら思い出しながらゆっくり修正しているところが、
『 水泳 』というひとつの動作を通じて
自分自身の人間性が見えて面白いやら恥ずかしいやらで首をかしげつつ、私は、身体を今のところ 7 月から、様々な方法で 『 初め 』なおしている。

周りの環境の悪意を被害妄想してしまいやすい私は、
いつも、最悪な展開を、過去の経験から推測する。

安心した時に起きる展開に、
心臓が痛い思いをすることも多々あるため、
常に頭の片隅に、
心配事を置いてしまう。

元々、リセット癖もあるくらいなので、
「 落ち着いてきれいな状態で始めよう 」
としてしまう私は、この状態では何も手につかない状況になる。

よって、寝る。
寝ている最中もいろいろ夢に出てくる。

そうすると、私の人生の軸は、
心配事 ( お金儲け ) に寄ってしまい、
逃げ場がどんどん無くなっていくような気持ちに陥る。

その状況を打破すべく、
ようやく重い腰をあげて、
身体を無理やり動かすという別の軸を作ってみることにした。

ヨガに行きたくない時もある。
というか、はじめて 2 回目からすでに行きたくなかった。
私は背骨が側弯しているので、
ヨガに限らず、「 背中をまっすぐ 」と手を添えられてしまうことがある。
「 背骨曲がってるんです。ごめんなさい 」と口にする機会が増えたため、
「 やっぱり自分は変なんだな 」と
がっくりきてしまうタイミングも多くなる。
( とはいえ、ヨガを始めて治ってきた気もする )

走馬灯のように頭に流れる心配事を目にしながら、
身体を自分の意志でない指示に従いながら動かすというのは、
天邪鬼の私には多分合ってない。

でも、ほんの少しだけ、
心配事から追い詰められることはなくなったような感覚もある。

先にも述べたが、
この感覚は、より長く私が生きることをあきらめないために、
必要な『 染め 』なのかもしれない。

日々、同じコミュニティで生活をしていると、
その環境の中で、争いが起きる。
私たちは自分の意志を伝えあうという方法で、
共存できるはずなのだけれど、
損得の感覚をもって人に接してしまうとそうもいかない。

足元に罠がないかと心をすり減らしていくうちに、
自分の色がわからないくらい、
煤だらけになっているような気持ちになる。

少し堅苦しいアウトプットになったけれど、
煤だらけの自分に気づくには、
誰かに教えてもらわないといけない時もあるけれど、
煤の上からでも、
新しい色で染めることは、自分で初めることができる。

煤に気づかないまま、
新しい自分になっているのかもしれないと思うと、
過去の自分に何だか申し訳ない気もするけれど、
執着や呪いを解いて前に進むことができるなら、
素敵なことなのだと思う。

私は最近、
恐怖におぼれて、今が適切に自分を自身の手で終わらせるタイミングなのではないかと思う時が多い。
そのため、できれば明日の私が、そのようにしてくれて、適切に生き続けてほしいと思っている次第である。


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