ひとり旅は貴族

旅は、ひとりでするに限るなと思うことが多々あります。

少し前、その意見に対して、
「さみしい人」
と、評した方もいました。

そういう雑音のおかげで、
しばらくひとりで旅立つことが恐怖になっていましたが、
ここ最近は、弾丸で様々な場所に行ってみるということをしています。

10月は、京都に行きました。
思い立って、夜行バスに乗って、伏見稲荷大社と安井金毘羅宮を目指したのです。
たまたまタイミングが合って、一番祈祷となった伏見稲荷大社。
伏見山を登りながら、いろんな人とすれ違ったり、
英語で「あと少しだよ!」とか調べながら声掛けをするのが、誰かのフィルムの中に入ったようでうれしいなあと思った。

安井金毘羅宮は、決死の覚悟で詣でました。
ご利益すごいなあと思ったのは、
行くと決めた瞬間に長年の友達とここ1年やり取りを多くしていた先輩と縁が切れたこと。

まあ、考えてみれば、
片方は、ちょくちょく連絡を途切れさせることがあったし、
もう片方も、あることないことあちらこちらで吹聴する節のあった人なので、
執着もなく、ぽやっと口を開けながら肩の荷が下りた気もします。

そして、お守りを買いました。
これもちょっと不思議なことがあって、
良縁結び守りと悪縁切り守りを買ったのですが、
悪縁のほうだけ2日後の夜切れまして。

最近、私は心がとても弱る出来事があったのですが、そうしたところに近寄ってきた人が2人いました。
ところが、お守りが切れた翌朝、どちらも詐欺まがいだったということが判明して、
「うおおおおお、すげええええええ」
と、節操のない言葉をあちらこちらにまき散らしておりました。
(なんかある前でよかったー!)

良縁守りのほうも切れたのですが、
これは、久しぶりに会う友人知人先輩たちとご縁をつないでもらったのかしらと。

追いお守りを郵送で受けて、
穴をくぐった際のお願いが叶ったかどうかはまだわからないけれど、
手を合わせてよかったなあと思います。

それから、豊川稲荷東京別院に詣でたりもしました。
夜に、思い立って。
ライトアップしていてきれいでした。
ダキニ天はもちろん、愛染明王もしっかりと詣でたのですが、
誰もいないことをいいことに、
めちゃくちゃ近くで手を合わせまくっていたら、心も軽くなりましたとさ。

仏像をじっと念を込めて見つめると、
こういうことたまにあるなって思いますって昔も書いた気がします。

その週末は、なぜかとても元気で、
土曜は朝から目黒大黒~目黒不動~大鳥神社~増上寺
日曜は朝から等々力不動で写経~高円寺で一生読書
というように、
「君はなにに憑かれていたんだい」という勢いであちこち詣でましたとさ。
(憑かれると疲れるって、元は一緒なのかもね)

写経会は、
前日時点で65人くらいいたのですが、
ご年配の方とさりげなく天気の話ができたり、
落雁もらえたり説法聴けたり、
何なら本堂でお参りできたり。
写経にお願い事書いたらお焚き上げもしてくれちゃう盛りだくさんなありがたや。
これで1000円は毎月通いたい私…!
等々力渓谷で季節の変化も味わえる…!
という心持です。朝早いのであるが。

私のこういうおひとり様行動を、
「さみしい」
と、からかった人は、きっと、誰かと一緒じゃないと不安なのかなと思います。

知識があれば、自分なりの学があれば。
誰と話さなくても、自分の形がしっかりと感じられる、
一人旅というのは、とても気持ちのいいものだと考えます。

スピってるとか後ろ指さす人もいるかもしれないけれど、
歴史とか寺社仏閣とか、
自分のDNAのどこかしらに眠っているルーツを旅することを否定しないでもらえたらいいなと思う。

いろんな人がいて、様々な考えがある。
認め合いながら、自分をしっかりと、お互いに持っていきながら、
いつかあなたの「自分」も教えてもらえたらうれしいな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?