俯瞰を宙に浮かした私が祈る

誰に届けばいいと思うでもなく、
唐突に、洗いざらいを、書いてみる。

婚活をしている。
結婚相談所に通っている。

こんなところで発表するなと思われるだろうが、
その前提情報がないと文章に深みが出ない。

嘘も建前も、
どちらも、私の文章にはあまりうまみを出してくれないから、
ありのままを吐き出した次第。

いろんな人と出会ってきた2023年暮れから2024年のはじまり。
相応に、時間を取られた気もするけれど、
一生のうちにこれだけの人たちの
人生の瞬間に立ち会うこともないと思うと、
私自身のコミュニティで培ってしまった偏った心を洗うためには、
必要なことだったのかなと思う。

婚活には、お見合い→仮交際→真剣交際という流れがある。

昨今、オンライン形式もある。

いろんな相談所があると思うので、ここはぼかしを入れるのだが、
私の場合は、お見合いしていただく数が非常に多いようだった。

気分屋のところがあるから、
「今日は無理」
と言いたいときもあったが、
違約金が発生するからそれはできない。

そうなると、ミュージシャンの血が騒いで、
「目の前の人を一瞬でも楽しいと思わせるぞ!」
という、謎の気概が発生する。

元営業という側面もあるから、
非常に執着もない。

「相手の人生で、いつかあんな子いたなって、
エネルギーになるような一瞬にしよう」

そんな気持ちで配布されたお見合いの
マニュアルから反れた対応を試みるから、
まあ、人間として今までにない方向で
成長できているのではないだろうかと思う。

今まで、仕事とプライベート、
分離していた性格が重なっていって、
私が大人になって強くなっていっている気がする。

そもそも、棺桶に借金も貯金も名誉も入らないし、
私自身は周りの大人が優秀だから、
多分きっとどうにか健全に死んでいける。

なんで結婚したいのかと言われたら、

「運命の人に出会ってみたいから」

なんて、抽象的なことしか返せない。

いつまで夢見る乙女なのかと
突っ込んでもらってしかるべきだと思うけれど、
それくらい、アホみたいな夢見心地のほうが、
多分、一生懸命になりすぎずに執着せずでよいと思っている。

嫁に行くことができたら
「なんかいいなあ」
って日々が続くような、ふわっとした気持ちくらいで生きていたい。

だから、世の中、男女ともに、
失敗したくないって人たちを目の前にすると、
大丈夫だよって声をかけたくなる。

私も何度も、
恋人だけじゃなく、仕事でも家族でも、
人が離れていくことがあったけれど、
それはたぶん、失敗じゃないんだと思う。

そういう経験だっただけなのだと思う。

人を選ぶのも選ばれるのも労力を使う。

だから、何度も何度もそういう目に合うお見合いは、
とてつもなくつらい世界だと思う。

いろんな人がいる。
そして、その数だけ、経験があって視点がある。

そういう人生の縛りがない自由な世界のほうが、
きっともうちょっと息をしやすいのになって思う人もいれば、
誰かと一緒にいたほうが、
ブルドーザーのように世界が広がりそうな人もいる。

そういう人たちと相向かって、
私ができることは、
見守るとか、相手の好きな物事や人生の楽しい側面を拾って
広げて最大値化する言葉をかけることだけだ。

その先に、私とは別の道を歩くことになっても、
きっと、どこかで、その最大値化された記憶は、
「大丈夫」
っていうお守りになってくれると思う。

だから、大丈夫。
皆、それなりに、いろんな方法で幸せに健やかに生きていくことができる。

そういう希望を基に、
執着なく、俯瞰的に、そういう祈りを思い描く。

ひとりの夜。

自分のことを差し置く私にとっては、
結婚相談所は、有用な手段じゃないなあと、
それでも、一瞬でも、笑顔になってくれた人たちを思い出して、
無意味ではないかと文を締める。

選んでくれる変わった人間がいたとすれば、
それはやっぱり運命なのだろう。

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