適量の新年のあいさつ

新年、いかがお過ごしでしょうか。

年末にぽつらぽつらと書いていた内容が、
そぐわないような大きな出来事が日本でたくさん起こっています。
私の身うちにも起きたようです。

そのため、内容を変更してお送りすることにいたします。

何でもない話をします。

去年の暮、相変わらず、
西荻窪しんこぺでおせち詰めを手伝い、
重箱を抱えて鹿児島に三が日帰っておりました。
※私の出身 ( 故郷 ) は、あくまで福岡なのだが、
 父が引退したため、現在実家は鹿児島にあるのだ。

神社に詣でました。
指宿の枚聞神社、谷山の塩釜神社、天之御中神社 ( 妙見神社 ) …
知識というのはいいものだなあと深く思ったのは、
どこにいっても、自分なりの考察 ( 物語 ) を作ることができるので、
ワクワクできるなということです。
※どの神社がどういった神様で、
 土地柄的にこういう文化圏内で生まれたことなのだろうとか考える。

最後の日、と言っても昨日のことなのですが、
串木野の冠獄神社に詣でました。

串木野は、私の父の出身
( ということは、一族先祖はそこがルーツ ) なのですが、
ここの神社は、その地名の発祥の場ということです。

「 始めてきた 」

父もそういっていたので、
地元の人も知らない人が多いのではないだろうか。

去年、修験道とかの本を読んでいた人に
英彦山や鹿児島のことを、話された気がするなあ、
というか、めちゃくちゃ私のルーツやったんかい!
と思いながら、手を合わせてまいったのでありました。
※英彦山ともつながりがあるらしいね。
 私たち家族は、福岡にいる間、
 毎年英彦山神社を詣でてたのでありました。
 今はなくなったしゃくなげ荘という国民宿舎の露天風呂が最高でした。
 億万長者になったら復活させてやるんだ

蘇我馬子さんが、
熊野大権現様をお祀りされたことから始まる由緒ということです。
※徐福伝説もあるよ

この一帯の神社やお寺のある地域は、
薬草が多い場所と一致しているため、
「 ここに来れば、病怪怪我が払われる 」
といった文化から派生した祈りだったのかなあとも思います。

去年は、割と西や北のほうは旅したと思うのですが、
やっぱり、自分のルーツの土地
( 鹿児島や福岡、唐津、天草、宮崎あたりかしら ) を回ると、
経験と知識を勝るフィーリングで
いろんな考察 ( 妄想かもしれない ) を
組み立てることができて楽しいなと思います。

私が一番幸福だと思うのは、
普通の人が「 何言ってんの 」と鼻で笑うようなその想像を、
父は「 そうかもしれないね 」と、
いい歳になっても言ってくれることだなと思います。

水木しげる先生のような父でよかった。
( 水木しげる先生とは面識がないので、
 これまた、想像上の水木しげるである )

生きてきた中で、
一番クリスマス感も年末年始感も、
正月感もなかった今年は、どんな日々になるのだろう。

とりあえず、大学生活が春から始まるから、
ピンク色のハッピーきゃぴきゃぴな私が爆誕するかもしれない。

まあ、前厄なので、お祓いに行こうとも思うのだが、
去年の10月から12月にかけて、
寺社問わずお祓いに行っていたから、どうしようかなとも思う。
( とはいえ、舐めてはならぬので、しっかりと行かねばならない )

また、人の気分であれやこれやされるのではないかという、
虐待を受けた猫のようなびくびくした心も抱えている。
( 鹿児島では、しっぽを切られて捨てられた猫を飼っているのだが、
 やはり最初のほうは、手の匂いを嗅いだ後でも威嚇してきたし、
 ずっとびくびくと人間のほうをうかがっていたので、
 そういった心地なのだと思う )

でも、丁寧な人たちと接すれば、
うるさいくらいに優しい人たちと暮らすことができれば、
もしかすると、その警戒心もほどけていくのかもしれない。

今年は、猫もなでることを許してくれたし。

執着をせず、
どこにでも行けるように、
自分の知識やできることの懐を広げつつ、
持っているものを人に無垢に渡してみたりして、
厄や欲をため込まずに過ごすことができればいい。

世の中で起きている、
大きな出来事は、私の手に負えるはずがない。
そういうときほど、人や世界に目を凝らすのではなく、
今自分が何ができて、その範囲で、
どれだけの人間と無理なく繋がり、
与えすぎない適量の言葉を渡すことが大切だ。

人生は暖かい。

結婚報告をしてくれた尊敬する先輩が、
私に向けて選んでくれた言葉だ。

私が一番つらいとき、
今の旦那さんからその内容を聞いた後のお仕事で、
何も聞かずに
「 魔よけのブレスレットしてるから 」
と、ぺっぺっと、その手で背中をたたいてくれた人だから、
きっと、この言葉は、この1年の厄祓いと縁を繋ぐお守りになってくれると思う。

どんな人にも、暖かい一瞬があってほしい。
できる限り多く。

私からは、適量なその祈りを、
2024年はじめに、すべての人々にお送りしたい。

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