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寂しさを抱きしめて

いつからこの時をイメージしていただろう。

その厚く温かい手を解く日のことを。


何度もシミュレーションした日が訪れて

一晩経って、次の夜が来て。


今、連絡をしたら

昨日のやりとりは取り消せるのではないかと思う夜。

この気持ちを何と整理したらいいのだろう。


少しはわかっている。

これは後悔からじゃなく

数年の「日常」が変わることへの違和感。

あえて自分から決めなくてもよかったのではないかとか

「今」である理由はあったのだろうかとか。




昨日私たちは、繋いでいた手を離してハグをして

「またね」と言ってそれぞれの相手が待つ方向へと向かった。

そして、出会って5回目の夏を一緒に迎えることはなくなった。





これまで私たちは幾度かの分岐で立ち止まり

別々の道を選択するか迷ってきた。

相手が手を放そうとした時にはその手を引き寄せ

もう無理だと自分から手を離したときには腕をつかまれ

私たちは何度もそのタイミングを逸した。


いつでも分岐する道はあるし

それも待てないなら

道ではない道を渡って行けばいいのだから

「今」決めなくていいよねと互いに言い聞かせながら

私たちは同じ道を歩むことはないという行き先を知りながら歩いていた。


私は自分からその手を外すことはできなくて

握るでもなく離すでもなく、その手をそこに置いていた。


離れがたいからではなくて

離れた後の寂しさや起こるかもしれない後悔に向き合いたくなかったから。

それに嫌いになったわけじゃないから。



きっかけにした理由は都合のよい話。

相手にも少し苦みを残すもの。

少しのイジワル。それは最後の甘えと知りながら。


本当の理由は伝えていない。

ただただ、ご機嫌気分で会えなくなったからだと。

でも気づいているでしょう。

言葉で嘘はつけても自分の心に嘘はつけない。

心は瞳に映る。

伝わっている。




さよなら。

ご機嫌で過ごせた前半の幸せ気分をありがとう。

後半の不機嫌な私に付き合ってくれてありがとう。

今度会うときは、もうとびっきりというわけにはいかないけれど

ご機嫌顔で会いたいよ。


今はこの寂しさを抱きしめて朝が来るのをまとう。

そして新しい日々を

前を向いて光のある方へ歩いていこう。






Keiko








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