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遺言書を作成する

オーストラリアでは、Willと言って遺書を書いておくことを推奨されています。
遺書がない場合、法定相続人のところへ最終的には割り振りされるのですが遺書がある場合と比べて時間がとてもかかるらしいので。

遺言書を作成するとき、自ずから死と向き合います。
どのようにお葬式をしてほしいか、財産をどうするか、など具体的な内容を遺しておくと、後に遺された人にとって後片付けがしやすい、というだけでなく、実際の自分の死を考えることで、どのように生きていくかということも併せて考える機会にもなります。

何を残したいか、を考えると、結局そこに残るのは自分の生きた足跡になるのかな、と思います。

そう書くと、何か立派な業績とか、わかりやすい指標を上げられる方も多いかと思います。が、死んでいく人にとってそれは、さほど重要でないかもしれません。

いかに自分の人生が幸せであったか、感謝できたか、よく笑ったか、楽しかったか。死ぬ間際の自分は、生きてきたことへの感謝をして死んでいく。
私の場合は、そんな死に際であるといいなと思うし、そうあるように生きたいと思います。

明日は私の友人の旦那さんの3回忌であり、先日はまた、知り合いの旦那さんのお葬式に行きました。また、クライアントさんの中には、近しい人が不治の病になり、数か月後に亡くなってしまったり、ご家族が末期癌の、ステージ4、だったりと、心が痛くなる環境に置かれている方もおられます。幸せいっぱいにお付き合いしてたのに、突然の別れ話になったり。突然会社を解雇されたり、人生には不測の出来事が起こります。

遺書は不測の出来事のためなんですが、必ず私もいつかは死にます。

生きるのが辛いと思った若かりしころ、思考をめぐらし気が付いたことは、

パニックアタックの元は恐怖なんだけど、究極の恐怖は自分が死ぬことだったということ。孤独の恐怖、恥の恐怖、恐怖にもいろいろあるけど、「死ぬわけじゃないし」と思うと立ち直れていることにも気が付きました。

遺書を書いて、益々、どう生きるかを意識できる昨今です。
ご家族に不幸があった方、悲しみに打ちひしがれている方、感情に蓋をせずその痛みと共にいるしかない時間をすぎて、自分の足でやっと立って、やっと上を向いて生きていこうと思えた時に、さあ、どう私は生きようか?と問いかけてみてください。どんな自分でありたいですか?

どう、生きたいですか?




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