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映画「麦秋」小津安二郎監督 1951年制作を観て

麦の秋とは、初夏の麦の刈り入れ時のことだそうだ。

そのように、実りの時を迎えた28歳の独身で丸の内の会社の秘書をしている紀子(原節子)を取り巻く家族と友人との日常と、紀子が結婚するまでを描く。紀子の家は別居しているおじいさん、同居しているのは両親夫婦、兄の夫婦とその子供二人の二世帯である。中流家庭なのだろうが、まだまだ貧しく、節約志向が強い。

そんな中でたまには、と言ってショートケーキが出てきたり、当時はそんなに高級ではなかったのかよくお寿司を食べに行っている。ものを食べるシーンが多く出てくるのは、焼け跡のひもじさから抜け出した嬉しさの表現なのかと思う。

そうして、兄と妹の間で男女のエチケットについての会話が印象的だった。兄、「エチケット、エチケットって、女はエチケットを多用してずうずうしくなってきた」。妹、「今までが男がずうずうしすぎたのよ」。

この会話は、現代なら「エチケット」を「ジェンダー平等」に置き換えることができそうだ。70年以上、日本は変わっていないんだなあと感慨を新たにした。

それは、この家庭の男児二人の育て方にも伺える。腕白小僧二人はわがままいっぱい育ち、憎まれ口をたたいても、大人は笑って済ませる。「生まれてはみたけれど」の腕白小僧が子供の社会の中で腕白で自由であるが家庭ではおとなしい良い子であったのとは対照的である。そんな風に男は特権を持っているのだという風に育てられたら、大人になってフェミニストになるのは難しいだろう。

そうこうして、会社の上司から結婚相手を紹介された紀子はまんざらでもなさそうで、周囲はすっかり縁談がまとまるのだと思っていた。ところが、紀子は戦争から帰ってこない兄の同級生で医学研究者の幼馴染との結婚を突然決心する。その人は幼い子供を持ち細君を亡くして三年経っているのだが、紀子は安心して信頼できる人だと突然思ったのだという。それはその人が新しい仕事に就くために秋田へ旅立つと聞いたからなのであった。

家族は初めは反対していたが、紀子の意志が固いことを知り、祝福するようになる。上司からの紹介の相手は上場会社の常務ということで、生活はその方が裕福なのだと皆が説得するが、紀子は節約に励むと皆を説得する。

そうして海岸の草むらに兄嫁と座って語り合うシーンはバックからでどこかアンドリュー・ワイエスの絵画を彷彿とさせる。東京丸の内も北鎌倉の実家のシーンも日常に埋もれてはいるが目を凝らすとこんなに新鮮で美しい光景がすぐそばにあるのだということを知らせてくれる。

そうやって家族写真を撮り、両親はおじいさんの家に戻り年寄りだけのひっそりとした生活に戻る。

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