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【Story of Life 私の人生】 第27話:六年生 Part 1 〜 鼓笛隊

こんにちは、木原啓子です。
Story of Life 私の人生 
前回の記事は、 第26話:我が家の年中行事 事始め のお話をしました。
今日から、六年生の頃の思い出のお話を数回に分けてしようと思います。

五年生からは、新しく「家庭科」が加わり、委員会活動もスタート。
学校行事も、宿泊を伴う「移動教室」が加わり、新たなチャレンジの連続!
移動教室、遠足、運動会、学芸会など「グループ単位」で行動することも多くなり、先生から与えられた課題を、クラス単位やクラス内のグループ単位で「いかに成功させるか」ということを、自分達で話し合ってまとめていくことが、だんだん多くなっていきました。
一人一人に役割が与られ、各自「責任を果たす」ことの大切さを、みっちり叩き込まれることの始まりでもありました。
そんな新しいチャレンジに挑みながら、あっという間に五年生の1年間が終了。
1975年4月に六年生に進級、小学校最後の1年がスタートしました。

六年生は最上級生ということもあり、運動会では鼓笛隊と組体操という大きな役割を担うことになっていました。
鼓笛隊は4クラス全員で、組体操はクラス毎のチームワークが最重要となりました。
当時、運動会といえば10月10日の「体育の日」前後でしたが、鼓笛隊も組体操も、練習のスタートは六年生になってからすぐ始まりました。
まず、鼓笛隊のお話をしようと思います。

4月になるとすぐ、各クラスでそれぞれの担当を決めることになりました。
総指揮者は学年で1人だけだから、各クラスから1人づつ候補者を出し、オーディションで決定(笑)
大太鼓4人、中太鼓4人、小太鼓6人、ベルリラ4人、シンバル2人は、各クラスで選抜して出し、それ以外全員は縦笛ということになっていました。
まず、自分のやりたい楽器に立候補。
応募人数が多い場合は、オーディションとなり、音楽の先生が決定することになりました。

女子に大人気だったのは、華やかな「ベルリラ」だったけど、私はどうしても小太鼓が叩きたくて(笑)
立候補が9人だったので、オーディションとなりました。
太鼓系はリズムの要なので、オーディションでは、鼓笛隊マーチで使う全曲を叩くことになりました。
1週間で全部覚えて叩けなければならないけど、太鼓は貸してもらえないし…
ということで、思いついたのが「漬物石」でした(笑)
何せ、紙の鍵盤でピアノを練習していた位だから、漬物石は代用品としては最高でした。

太鼓の練習は漬物石だった

学校から帰ると、暗くなるまで、外で漬物石を叩いて猛練習しました。
「絶対に小太鼓を叩くんだ」という気持ちがとても強く、今思えば「完璧に覚えてやる!」という気迫が凄かったと思います。
猛練習の甲斐もあり、オーディションでは全曲ノーミスでクリアしました。
ノーミスは、学年全体で2人だけだったので、とても嬉しかったです。
合格発表の時は、嬉し泣きしましたっけ。
実は「かなりの負けず嫌い」という一面を大きく持っているのだなと思います。

ゴールデンウイークに入る前に、学年全員の担当が決まり、5月に入ると、音楽の授業は、運動会までの間ずっと、鼓笛隊の曲の練習になりました。
総指揮者以外は、各クラスとも全パートが揃っているので、まずはクラス毎で纏まることが最大の課題となりました。
誰かが間違えると、即座に罵倒大会スタート(笑)
誰も人から「罵倒されたくない」し、他のクラスにも負けたくない。
だから、みんな一生懸命練習する。
家でもしっかり練習していました。
私も、毎日漬物石を叩く生活が半年くらい続きましたっけ。
余談ですが、今でも小太鼓のパートは身体と耳に染み付いていて、リズムを全部覚えています。
まだ小太鼓が叩けるかも知れません(笑)
そんな感じで、私のクラスのパフォーマンスは、だんだん上手くなっていきました。
他のクラスも、多分同じような感じではなかったかと思います。
今思えば、完全に「昭和マインド」ですね。

7月からは、週1日の学年の全体練習が始まりました。
クラス毎では纏まっていても、4クラス合わせると、どこかしらバラつきが出てしまい…今度はクラス単位で「罵倒大会」が勃発して(笑)
夏休みは、プール教室が学年単位だったので、プールの後に全体練習をすることになりました。
水着に楽器(私は太鼓のスティック)を持って学校に行くという、何とも不思議な感じでしたが、誰もが「自分のクラスが失敗したと罵倒されたくない」と思っていたから、サボる子は誰もいませんでした。
夏休みの間に、全体のパフォーマンスも纏まり、完成形に近づいていました。

9月からは、学年全体で、行進しながら演奏する練習がスタート。
演奏そのものは完璧に覚えたものの、歩きながらの演奏は結構難しくて。
歩くだけではなく、フォーメーションも覚えなくてはならず…
これには全員苦戦しました。
本来の全体練習は週1日となっていたけれど、さすがに危機感が募り…
学級委員会で、放課後に毎日1曲づつ練習することが決まり、6時間目が終わると体操着に着替えて、学年160人全員が校庭に集合して練習する日々がスタート。
そんな日々が1ヶ月間続きました。

10月になると、全曲通しての練習を運動会前日まで、毎日夕方5時半位まで頑張り、いよいよ運動会当日を迎えました。

演奏は、開会式直後の競技開始前と、閉会式直前の2回。
朝一番は、緊張でお腹が痛くなったことを覚えています。
みんなの緊張も伝わってきて、誰も無駄話することもなく、無口でした。
でも、演奏が始まると、今まで練習してきたことが自信となっていたから、緊張もほぐれてきて、ほぼノーミスで最後までパフォーマンス出来ました。
朝のマーチが終わり拍手喝采を浴びた時、みんなで嬉し泣き。
閉会式前は、朝ほど緊張することもなく、こちらも大成功でした。
閉会式で、校長先生の講評で「今年の鼓笛隊は、過去最高に素晴らしかった」と言っていただき、六年生全員泣きました。

クラスを超えて、半年間団結して、本当によく頑張った…
一度も同じクラスになったことが無かったけど、一緒に小太鼓チームになった子達とも、強い絆が生まれ、クラス、男女関係なく、とても仲良くなりました。
六年生の1年間は「鼓笛隊」のお陰で、「仲間と一致団結」し、力を合わせるということの大切さを教えてくれました。
全体的に良い思い出が少ない小学生時代でしたが、これは良い思い出のトップ3に入ると思います。

次回は、組体操のお話をしようと思います。

〜続く。

今日はここまでです。
次回は、第28話:六年生 Part 2 〜 組体操 に続きます。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
またお会いしましょう♪

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