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驚きの左官職人―挾土秀平―

私は左官といえば土間コンクリートの仕上げやモルタル塗りのイメージしかなかった。

ところがたまたま観たテレビで驚いてしまった。
そこには余りにもイメージとかけ離れたものがあったからだ。挟土秀平(はさどしゅうへい)さんの描く景色だ。

そこには見たことのない左官で仕上げた作品ばかりがあった。

例えばこれら。

JALファーストクラスラウンジ
(2020年4月)

official HPより

東京三田ゲストハウス
(2022年01月)

official HPより

この壁面。
これが左官なのか!!
というくらい、彫刻のようであり、ダイナミックで迫力がある。なのに繊細でもある。
私は一生目にすることはないだろう場所なのが残念だ。

面白いのはこんなに素敵な作品を創りつつ、私が思い描いていた左官工事もしていることだ。
挾土組の他の職人がするのだろうか?

天然の土から独創的な壁を生み出す、左官職人、挟土秀平。添加物や着色料を使わず、土という素材にこだわって仕事を続ける、現代の匠である。その仕事は大胆かつ繊細。しかし現場に立つ挟土は驚くほど慎重だ。土や天気といった予測不能な自然を相手にする限り、上手くいく保証はない、と挟土はいう。「臆病であれ」、「追い込まれたら一度逃げる」。カリスマ職人としては意外とも思える、その持論の奥にある体験に迫る。
NHK出版HPより

これを読んで思い出した。
そうだ、彼は雨の日のことを語っていた。
本当にたまたま観たものだったから、記憶は曖昧になっている。
プロフェッショナル10周年のナイナイの岡村さんが挟土を訪ねるものを観たのか、再放送があったのか。
ただこの作品群に対する驚きが大きく、今回noteにしてみようと思ったのだが、驚くほど記憶が欠けている自分にも驚いている。

挟土氏は挟土組の2代目だという。
だが「挾土秀平 父」と検索しても特に出てこない。
きっと、父は普通の左官職人だったのだろう。

この検索をしていたら、面白い記事を見つけた。

これによると、幼稚園児の頃から左官職人になりたかったという。
私は、今でこそなりたかったなという職業が出てきたが―時すでに遅し―小さい頃は本当になりたい、という夢がなかったから羨ましく思った。
と、同時に、挾土氏の父の背中は彼にとって憧れであり目標であっただろうことが想像できる。更に長男だったことにより父を助けなくてはとも思っもたと書かれている。この責任感はいつから生まれたのだろう?
いずれにせよ、幼子に左官になりたいと言われた彼の父も嬉しかったことだろう。

またこうも書かれている。

21歳で、「技能五輪」という職人の技を競う全国大会の左官部門で優勝した。高卒で、左官歴わずか2年で優勝するというのは初めてのことだった。
あかい新聞店HPより

若い上に経験歴も浅い。
そんな彼が優勝。
既にこの時から才能の片鱗を見せていたのだ。
それが結局あだとなるとここには書かれているが。

そして独立。
いろいろな人生の荒波を越えて、今があるのだ。
人は挫折で強くなる。
だが彼は臆病者と自分を評す。
こうした冷静な目が、自分が納得するまで作品を創り直すという行為に繋がるのだろう。

全くすごい職人だ。
正にプロフェッショナル。

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