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卒論を書こう!

 卒論を書きたい! という人は少ない。それは当然、1年弱にも渡って学術研究に取り組む事への忌避感と面倒くささがあるからだ。しかし入念に準備をし、強大で巨大な壁を毎日少しずつ崩してゆけば、マホメド・アライJr.をアッサリと下した範馬刃牙のように、あっという間に執筆を終える事が出来る。
 何もかもが忙しく、忙しなく、一年なんてすぐに過ぎてしまうからこそ、将来の事と卒論を両立させるには困難が伴う。筆者も一人ではそれを乗り越える事は不可能だっただろう。そういう経験をしたからこそ、ささやかな経験談としてこの記事を執筆した。
 卒論を書く前、そして書いている途中、書き終わった時にそれぞれ必要な箇所だけこの記事を参照し、是非とも役に立てて頂きたい。
※なお、この記事は完全無料で、最後の寄付のお願いも設定していない。また、記事の内容は2024.3.8現在のものであり、今後質問等を頂いた場合「Q&A」を更新する可能性がある事を付記する。


・ご案内

・忙しい貴方の為に

 ・卒論を意識する学年じゃない!/卒論なんて知らない!
→「はじめに」、「先行研究の探し方」を中心に読まれたい。
 ・そろそろ卒論についてちゃんと、考えなくちゃ……..。
→書き始めるまでは、「卒論を書こう!」、「卒論を書き終えたら」以外を読まれたい。
 ・いえ、私はもう卒論書き始めていますが笑
→「卒論を書こう!」、「卒論を書き終えたら」を中心に読まれたい。
 ・もうどうしようもないです!無理です!救ってください!
→通読をおススメする。何が分からないか分からない場合は、筆者/指導教官に直接問い合わせて頂きたい。

・はじめに

・卒論とは何か?

 卒論とは、端的に言えば「学士学位を請求する為の論文」である。もっと簡単に言えば、まさに「学部を卒業する(=学士を取る)為の論文」である。
 ただし名前は色々あって、明確に単位として「卒業論文」が設定されているものと、単にゼミを卒業する為の論文―この場合はゼミ論などと呼ばれる―がある。
 なお、筆者の所属していた学部では、「卒業論文」が通年・8単位の必修科目として4年次に設定されている。こう聞くと重いようだが、大事なのは単位の多少に関わらずきちんと取り組んで期限内に提出する、これに尽きる。普段は提出期限と戦って、ギリギリ勝ったり、戦闘を放棄したりするような人でも、流石に1年前からふんわりと知らされる期限には勝たざるを得まい。
 明確に単位として設定されているのといないのとでは何が異なるのかと言えば、基準の確認等のしやすさが異なる程度、後は心理的な影響(8単位…….おっも……)くらいである。指導教官による設定がどれだけ比重を占めるかというのは、後々色々な基準(ページ設定とか)を確認する上でやや異なる。が、いずれにせよ指導教官の話をメモしておけば大丈夫である。

・卒論の字数について

 はじめに記しておくが、卒論の大まかな字数は学科によって丸っきり異なる。筆者の知っている限りの字数を以下に示しておこう。
・12,000字以上(地理学)
・16,000字程度(社会学系)
・20,000字以上/程度(詳細は学科ごとに異なる、文学部系)
・32,000字以上(歴史学)
 筆者はこの4つしか知らないが、それでもこれだけの差がある。
 これはやや蛇足だが、字数については取り扱う資料/史料の性質によって大きく異なる。筆者の所属する学科では地理学/歴史学の学位どちらかを取得できるが、
・地理学:設定字数は少ないが、その分地図・グラフ・各種統計データを整理し表現する。
・歴史学:設定字数は多いが、その分一次史料・文献を用いた議論の必要がある(嫌でも字数を稼ぐことになる)
 というように、そんなに適当にザックリと設定されている訳でもない。しかし、字数の話を懇々としておいてなんだが、大事なのは、自分の書く字数の「目安」として受け取っておく事である。普段のレポートと違って、「大体こんな字数配分でいけばいいや」と思っていても、時間が進み、読み解く先行研究/各種資料が増えていくと、その構成を変えなければならなくなる事もしばしばあるからだ。

・指導教官について

 これをいつ書こうか悩んでいて、結局ここで書くことにした。指導教官とは、まさに卒論/ゼミ論(以下では、どちらにしても卒論に相当するものだとして、「卒論」という呼称で統一する)を指導してくれる先生を指す。基本的に、この指導教官のゼミに所属し、学期中に何度か卒論構想を発表し、それに対して指導教官から指導・添削・指摘・助言をもらう。
 記憶の限りでは、ゼミに入らず独自に指導を受けるという方法で卒論を執筆する枠組みも存在するようだが、ゼミの有無に関わらず、指導教官とは積極的に交流した方が良い。これについては後述するが、指導教官との関係は卒論を執筆する上で重要である。
 但し、指導教官に言われたからといって何でも受け止めるのではなく、人格否定発言や、単に暴言一般、セクハラ・パワハラ・アカハラを受けた場合にはしっかりと行動しよう。いないように見えて、守ってくれる人や組織はちゃんと存在している。

・卒論を書く前に―テーマ設定・ゼミでの活動・スケジュール―

・テーマ設定

 さて、卒論について理解したところで、ここからは本筋へと迫ってゆこう。
 勿体ぶった書き方をしても仕方がないので、以降は筆者の執筆した卒業論文を基に簡潔に、話を進めてゆく。
 どの学術論文にも、それを書く理由と、書いた事がどのような意味を持つのか(論文の意義)が必要不可欠である。授業のレポート課題では、基本的に前者を持ってきちんと論を組み立てていれば良いが、学術論文には学術的な意義を持たせる事も必要になる。ざっくり簡単に言えば、「なぜ書くのか?/書く意味は何なのか?」をちゃんと意識し、それを前提にする必要がある。よく言われる、「問題意識」というものである。
 さて、以下では筆者の卒業論文の概要を説明する事としよう。
・タイトル:中世海上交通と地域権力―『兵庫北関入船納帳』を中心に―
・字数:約48,000字
 この論文の問題意識については、偉大な日本史研究者の矢田俊文氏の文言を借りる形で、本文中に示している。

筆者(筆者注:私)の問題意識は、以下の矢田氏の文言に示されている。

"「兵庫北関入船納帳」にもたれて瀬戸内地域の分析を行うと、解明されるべき課題が後回しになってしまう危険がありはしまいか。日本海側や他の地域には、「兵庫北関入船納帳」のような史料はない。瀬戸内地域も「兵庫北関入船納帳」のような史料がないと仮定して分析を行うことも必要ではなかろうか。"

矢田俊文「中世の物資流通研究と瀬戸内地域」(柴垣勇夫編『中世瀬戸内の流通と交通』塙書房、二〇〇五年所収)。

 この内容について理解する必要はあまり無いが、大事なのは、
①1文目でこれまでの研究で見過ごされてきた点を述べている。
②2文目で現状で可能な研究の限界を示している。
③3文目で新たな視座を提示している。

 この3点である。

 何をどうするにしても、何を書くにしても、卒論にはこの「問題意識」が必ず必要となる。なぜこの論文が必要か?この論文にどのような意味があるのか?これについてじっくりと考える必要がある。
 問題意識には、無論その中身に違いがあっても、それ自体の違いはどの学問にも無い。先行研究がスルーしてきた問題、先行研究の間違い、更には先行研究が一切触れていないフィールドに対して切り込む事など、大抵の学問が抱える「ちょっとそこまだ触れられてないですね……」というポイントにこそ、問題意識は芽生えるのである。
 

・ゼミでの活動

 さて、では先の指導教官によるものを含め、卒論指導に関わるゼミではどのように活動しているのだろうか。これは学部・専攻、そして先生によって異なる要素の方が多いが、経験と、知る限りの情報では以下のように大別できる。
 ・論文講読:ゼミでの共通項(歴史学、社会学、文学など)、それぞれの分野における論文の書き方や構成方法を、読むことによって学ぶ。
 ・構想発表:それぞれのゼミ生が、自分の卒論の構想を発表し、主に先生、そしてゼミ生から批評を受ける。ゼミ生の人数にもよるが、最低でも1学期に2回は行われる(事が多い)。
 ・個別面談:発表という形ではなく、先生と個別に、現在の進捗や構想(ここでは特に論文自体の構成・展開について聞かれやすい)、そしてそれを受けて今後の課題やスケジュールについて話し合う。
 ・中間発表、卒論発表:卒論構想が概ね固まり、さあ執筆だ!/間もなく執筆だ! という時に行われがちなのが中間発表で、卒論完成・提出後に行われるのが、まさに卒論の内容を発表する卒論発表。

 勿論、この他にも細かに活動はあるだろうが、それについては割愛させていただく。
 さて、上記の活動は最早これ以上語るまでも無い。中間発表/卒論発表会は言わずもがな、構想発表については否が応でもやる必要があるものだ。
 しかし、日々のゼミ活動で筆者が最も重要で、かつ「毎回出席して!」と思う理由は、当たり前の事だが、「指導教官/それに相当する先生と会える」これに尽きる。
 授業は形を見れば、14回出席し、話を聞いて、レポート/試験に立ち向かい、単位を取得するものである。だが、ゼミはそうもいかない。幾ら自分と関心分野が同じだからと言って、全員と話が合う訳ではない(※卒論について)し、特に秋学期に差し掛かると、あんまり良く分からないゼミ発表を聞くくらいならば図書館なり自宅なりに籠って論文読むわ! と思う事もしばしばだろう。
 けれども、では実際図書館/自宅で論文を読み、構想を練っている時、はたと、「そういえばここの論拠ってこういう感じで良いのか……?」というように卒論に対して不安になる時が多かれ少なかれ必ず訪れる。だが、その時貴方がゼミの教室にいなければ、そこでメールを打つか、電話対応/研究室訪問のアポを取る必要が生じる。
 しかし。しかし、ゼミの教室に行き、そこで先生が欠席でなければ、メールの返信を待つ必要も、アポの為の手間も省いて、しかも直接先生と会話する事が出来るのである。
 実際、筆者はB4の1年間、14(回)×2(ゼミ)×2(学期)=56回、それぞれ28回ずつ、二人の専任教授に会う機会があった(加えて、潜りの地理ゼミに行った概ね16回、三人目の専任教授とも会う機会があった)。これならば、しんどい卒論構想発表ほどの規模でなくても、「今ここで悩んでて……」とか、「ここの先行研究/史料が見つからなくて……」という相談をすぐに出来るし、更にこれは体感だが、直接話す方が、会話しながら研究室での(ゼミ以外の時間で)指導を受ける依頼もしやすい。
 とにかく卒論では、慎重さと加速が求められる。スケジュールの箇所で詳述するが、院試対策にしろ、就活にしろ、そういうものは瞬く間に卒論のための時間を奪い去ってしまう。だからこそ、独自に時間を設けるよりも、卒論の事はゼミの時間に専念して、それ以外で将来について、という方が楽だし合理的であるように筆者は考える。
 ゼミを単なるゼミというだけでなく、大学側が先生と会う機会を学期中に14回設定してくれた、と捉えて可能な限り出席するようにしよう。

・スケジュール

 さて、ここからは具体的なスケジュールの例として、筆者自身を例として説明していこう。なお、筆者の卒論提出締切は1月11日である。
 1~3月:先行研究探し→読書→先行研究探し→読書
 4~6月:読んだ先行研究を基に、構想を少しずつ検討(この期間だけで、2度卒論の軸が変わっている)
 7~9月:基礎作業(文献講読、史料整理)のみ、後は院試勉強に注力(この時のゼミで卒論構成が変わっている)
 10~11月:院試も落ち着き、本腰を入れて卒論内容を確定させる(ここでも卒論構想がまた変わっている)
 11月末~:本論の執筆開始
 12月下旬(クリスマス前):初稿執筆完了
 1月8日:最終稿(提出稿)完成→提出

 これを見てお分かりかと思うが、実は初稿に執筆自体には一か月弱くらいしか費やしていない。筆者は遅筆な事で同期・後輩に幾度も迷惑をかけているが、そんな筆者でも時間的にはこれくらいで執筆が出来ている。
 それは(自画自賛ではなく、事実として)それまでの準備に多大な時間を費やした事が大きな要因である。何度も言うが、卒論は簡単にササっと終えられるものではなく、じっくりと腰を据えて取り組むものであり、執筆はその最終段階に過ぎない(個人的な感覚として、書き始めてから論旨に悩むより、ある程度論旨に悩む/変更する、をした後で書き始めた方が楽である)。
 また、多くの皆さんにとって就活があり、また筆者のように大学院入試を控えている方も少ないだろう。実際筆者も7月~試験のあった9月までは「卒論の論旨が!」とか言ってる暇は無く、ひたすら院試勉強を続けていた。これが就活をしている方には面接やインターン等が春・夏を中心にあるのだと思う。それはもうそういう構造になっていて、自分の力では中々どうしようもないから、その為の「仕方ない」期間を設けておく事としよう。そしてその期間は、筆者のように史料調査や先行研究を読み続けるなど、とにかくインプットを行う期間にするのがおススメだ。

・先行研究の探し方

・概説

 これもどこに書くか迷ったが、書き方の前提として先行研究の探し方をここで述べておく事としよう。
 先行研究は、誇張ではなく本当に星の数ほどあり、どれが必要でどれが不要なのかを冷静に、丁寧に見極める必要がある。
 以下では、筆者の経験を基に説明を行うので参考にしてほしい。
 まず筆者は、所属する早稲田大学の検索窓口「WINE」で本(論文集)を探した。試みに、筆者の関心分野である「中世 海上交通」と入力し、その検索結果を示そう。

検索画面

 このWINE(慶応義塾大学では、殆ど共通のUIのKOSMOS)では、「基本的に」本・雑誌が結果に表示される。一部、大学で契約しているリポジトリ(後述)の論文が表示される事もある。
 ここで探した本を、大学で借りる。この時、見つけた本だけでなく、その棚にある他の本にも目を向けてみよう。検索に全ての本が、しかも自分の関心が高い順に引っかかる訳ではないから、実際に本棚に足を運ぶ事で初めて出会う本も存在する。そのように本棚全体に目を向けるのは、卒論に対しても、後学に対しても有効である。
 しかしこのWINE、というか検索エンジンに共通する事だが、こっちは一単語だと思っていても向こうはそう思ってくれない事の方が多い。実際、↑の検索結果でも、「海上交通」が「海上」と「交通」で個別に認識されている。
 こういう場合には、 "海上交通" というように入力すると、「海上交通」を一単語として認識される。
 一方、このような本(論文集)だけではなく、雑誌論文について、しかもWINEのような検索サービスよりももっと大量の論文を検索したい時には、以下のサイトがおススメ出来る。
 ・Google Scholar:とにかくまず、論文を調べるという意味ではここがおススメ。PDF等電子データで無料閲覧できる論文から、図書館等で(紙媒体でのみ)閲覧できる論文まで全てがヒットする。
 ・CiNii:学術書を中心に、研究データから研究プロジェクト等、学術的データを検索する事が出来る。こちらも無料閲覧できる論文から図書館等での紙媒体公開まで様々にヒットする。
 ※なお、早稲田大学の学内Wifiに接続した状態でCiNiiでの検索を行うと、先のWINEと連携した検索(CiNiiでクリック→WINEに接続し、所蔵されている場合には収蔵箇所が表示される)が可能となる。
 この他、Jstageというサイトも存在するが、こちらは「雑誌(論文集)のタイトルが既知のもので、過去何十年分に渡ってその雑誌の論文を漁りたい」時には無類の強さを発揮するので、使い分けよう。
 そして、そのようなインターネット検索でなくとも、各種学術論文の末尾に注目すると効果的に先行研究を収集する事が出来る。
 殆どの学術論文には、脚注/引用注―「この部分の論拠として挙げる先行研究」が付けられていて、各章、或いは論文の最後にそれらが纏めて掲載されている。自分の関心に近い論文であればあるほど、その脚注に必要な先行研究が列挙されている可能性が高い。
 ※脚注等、何かしらの先行研究を記していない学術論文については、極めて慎重に取り扱わなければならない。脚注が無い以上、それが学術論文を基にしたか、Wikipediaを基にしたか判断できないからだ。
 そのように脚注から"芋づる式"に先行研究を収集する事で効果的に講読数を増やしていける。
 また分野にもよるが、勿論指導教官は我々よりも研究に触れているから、指導教官を頼って本を(1冊だけでも)紹介してもらうのは重要な一歩である。
 纏めると、以下のようになる。
 ・まずは指導教官/WINEから、とにかく1冊(最終的には、学術書は3冊程度の読了が必須である)でも必要な本を得る。
 ・その本の脚注などから芋づる式に先行研究を収集する。
 ・他にも読む必要がある場合には、Google Scholar や CiNii、Jstage等を駆使して先行研究を捜索する。

 ここで紹介した方法を基に、先行研究を深堀りしていってほしい。

・答えみたいな論文が見つかった時の対応策

 以上のような方法で論文を探していくと、低確率で「答えみたいな論文」が見つかる。答えみたいな論文とはまさに読んで字の如く、自分が取り掛かろうとしている論文で言いたい事/やりたい事の一部か大部分に言及した論文の事、換言すれば問題意識の似通った論文を指す。
 答えみたいな論文が見つかった時、最初に驚き、感心、そして「見つけなきゃ良かった……..」或いは「見なかった事にしておこう……」という気持ちが芽生えるかもしれない。筆者も口では「おっ! これはいい論文ですなあ」と言いながら、脳内はパニック状態だった事が何度となくある。筆者の場合は星の数ほどある論文の中から、答えみたいな論文が12本ほど見つかった。そしてそれらの大半を有効活用した(全部脚注等に掲載はしている)。答えみたいな論文は、地を固める為の雨のようなものなのである。
 大事なのは、ひとしきり焦った後、何度でも、批判点が見つかるまで読み返す事だ。似たような研究を行っているという事は、そのやり方を踏襲しつつ発展させる可能性がある事を示している。似たような論旨であるという事はそれだけ、自分の持つ新たな視点から(先行研究全体に向けて)批判する可能性がある事を意味する。
 そうしてその研究に圧倒されるだけでなく、利活用しようと思う事が肝要だ。そしてまた、そういう答えみたいな論文には早く出会っておいた方が良い。良いと言うのは、早めに自分の考えを変え、或いは固めるのに都合が良い。遅いと本当に「見なかったことに…….」を実行せざるを得ず、そして口頭試問や発表の場において、その見なかった事にしておいた論文で刺される可能性が多分にある。
 だからこそ、卒論は「じっくり」なのである。全く利用しない論文、一部使えそうな論文、答えみたいな論文を丁寧に、時間をかけて選り分ける必要があるのだ。

・卒論を書こう! 

 右手に問題意識、左手に大まかなスケジュール、そして指導教官の研究室という救済施設を用意出来たら、いよいよ卒論を書き始めよう。

・どこから書き始めるか?

 いやいや、普通に頭から…….と言いたい所だが、実際はどこからでも良い。ただし、筆者の中の一般的な理解(そして実際に行った)としての書き順は、
 ・はじめに(初稿)→本論→はじめに(第二稿)→付論→おわりに
 である。
 「はじめに」は、正直に言って幾らでも書けてしまう。この先の本論につながる話や、自分の問題意識をはじめ、執筆の動機など書くべき事は大量にある。しかしそれでは、当たり前だが論の構成が壊れてしまう。だからこそ、最初に書くだけ書いておいて、本論に一通りの目途を付けてから改めてスッキリと、過不足の無い「はじめに」を書くのがよい。
 本論、付論(必要な方のみ書こう!)、おわりにについては以下で章ごとに述べてゆこう。なお、小見出しにパーセンテージを付けているが、これは筆者が実際に書いた卒論におけるそれぞれのパートの割合である(脚注等の文字数を含む)。
 はじめには、5%(2,584文字/48,381文字)である(以降の割合を合計しても98くらいになるが、端数切捨てのためだ)。

・書く―研究史の整理― 19%(9,392文字/48,381文字)

 研究史、或いはそれまでの先行研究を概観するというのは、卒論の限られた枠・時間の中では簡単な事ではない。実際筆者も、指導教官B(サブゼミの指導教官)からは特に、「学部生の内に(ちゃんとした、正確な)研究史の整理が出来る事は期待していない」という言葉を頂いたほどである。それは何も、指導教官が学部生を舐めているのではない。研究史を知る、というのが一朝一夕に成し得るものではないからだ。
 この「研究史」執筆にドハマリしてしまうのは、知る限り文学・哲学・社会学・歴史学・地理学等が該当するかと思うが、他分野の学生でも知っているようなビッグネーム(網野善彦など)が多くいる学問で特に陥りやすい。
 このような状況下では、特に、可能な限り「先行研究の列挙」を避ける努力が求められる。完全に回避出来なくても、例えば歴史学では、先行研究が行われた当時の社会情勢(「地方の時代」!など)を考えてみるとか、研究者の派閥などに目を向けてみるのもありかもしれない。
 また、全ての学術論文がそうという訳では無いが、冒頭で関係する先行研究を整理・検討(そして批判)を行っているものが時たま見つかる。筆者も、問丸研究で著名な宇佐見隆之氏の研究整理に強烈に助けられた。自分の手だけで何とかしようとするのではなく、指導教官からのアドバイス、そしてそういった「先行研究を整理した先行研究」にも積極的に頼っていこう(※)。

※:これを推奨する理由は、各年代の研究の潮流等を完全に理解しないまま研究の推移を論じてしまう事に対する批判を回避するためである。先行研究に守られながら、先行研究を整理し、批判してゆこう。
 

・書く―本論― 59%(28,619文字/48,381文字)

 さて、ここでは本論について見ていこう。本論は当然、卒論の核になる重要な部分だ。
 これまでのレポート課題では大抵、何らかの課題が与えられ、それに対して1つ・或いは2つの章を用いて説明を行っていたと思うが、卒論の構造に関してもそれとさほど変わりはない。
 重要なのは、「一つの論文としての纏まり」である。卒論(というより学術論文)は、急なサプライズや、驚くべき事実の羅列によって構成するのではなく、一つの一貫したテーマ・軸を基にしながら、冷静・客観的に論じていくものである。書き手である貴方がどう思っているのかではなく、史料/原典/先行研究/アンケート調査/フィールドワークを、それぞれに補強・引用しながら論を導いていかなければならない。
 本論を書く上では、先行研究と自分の考えを行き来する事が求められて、どうしても一度筆を止めて考える時間が生まれてしまう。こういう時には、Word等卒論ファイルを作成するようなソフトではなく、メモ帳(紙でもPCでも)にちょろっと書き残しておくのが良い。
 筆者が実際に残したメモ帳の一例をあげよう(一例と言うのは、本論が完成するまで毎日、明日の自分にメモを残しておいていたのだ)。

2023/11/26記
(中略、各地の小データを記載)
・兵庫南関について
 明確に兵庫関を分けたと言及される史料は管見の限りでは確認出来ない
 ただし、広橋仲光の書状によれば(これは年不詳だが、応永三年~十三年の間だと考えられる(兵庫県史))、兵庫の問丸右衛門大夫の船が「南都管領之関所」において抑留されている事について、事実ならばすぐに「違乱」を止めるよう御教書が下されている。この事から、まだこの時点では兵庫両関が一体的に扱われていた事が分かる。一方、応永二十九年の史料に「兵庫両関」と確認出来るし、応永三十年の史料(東大寺207)に「兵庫南北両関」と書かれて以降、実質的にそれを初見として、「兵庫関」、「兵庫北関」、「兵庫南関」と現れる
→基本的に「兵庫関」と現れる史料の多くは東大寺が主体であるため、わざわざ南関と区別する必要もなかった?
→とにもかくにも、それ以降南北の関が区別して記されるようになるのは間違いない。

・みんなが欲しがった兵庫関だけど、という記述を追加
・嶋修固代金については具体例を引っ張ってこようね。
・どこかにあの熊野那智大社文書を引っ張ってきたい。やはり瀬戸内海の領域を想定する上では必要じゃね?

・まず野原―方本をしっかりとやる。しっかりと。
・宇多津―平山、三本松―引田については、最悪次章に持ち越しても良い(あまりにも過書船と関わっている為)
「準備的にこれをやって、残り2つのペアは次章でより過書船に注目するよ!」みたいな......

筆者のメモファイル:2023/11/26記 より

 このようなメモをほぼ毎日残し、少しずつ本論の足場を固めていった。そこには、論旨に関わるようなメモもあれば、各種史料・データの集計結果/現代語訳等のみを載せている事もある。
 また、本論は(原則として)2章以上で構成されるのが望ましい。これは、自分の言いたい事を、複数の根拠・理由・データ等から言う事で客観性や実証性が高まる為である。そしてそれらの論は、一つの「本論」として纏まっていなければならない。論文①、論文②、論文③を纏めて本論にしました! と言うのは、テーマがより広く、深くなった論文(例えば、博士論文など)で、かつそれぞれの内容が関連している場合にのみ許容されるものである。
 つまり、分かりやすく言うとこのようなものである。

 ・「江戸時代だけでなく、室町時代の海上交通も盛んだった事を伝えたい」
 ↓
 本論①:瀬戸内海の海上交通に関する史料を読み解くと、かなり盛んだった事が分かります。
 本論②:特に讃岐国(現在の香川県)に注目すると、港同士で連携して、大量の積荷を送っていた事が分かります。
 本論③:讃岐国や越中国(現在の富山県)では、権力者が変わるに伴って、その国の主要な港も変わっている事を読み取れます。
 ↓
 結論:以上の事から、室町時代の海上交通が盛んで、それを権力者も重要視していた事が分かります。

 これは筆者の卒論を可能な限り抽象化したものである。本論①~③の内容は勿論それぞれに細分化されるが、全てが最初に提示した問題意識の元、室町時代の海上交通が盛んだった事を示すために述べたものである。
 ここまで述べてきた事は全て当たり前のような思われるかもしれないが、何故これほど文字数を費やして書いているかと言えば、筆者の卒論構想転換の要因がこの「論の纏まり」に関するものだったからに他ならない。
 書きたい事が多いのも、それぞれの内容を充実させるのも良い事だし、大事だ。しかし、この論の纏まりについては最後まで注意してほしい。

・書く―付論― 11%(5,680文字/48,381文字)

  付論については、書く必要があるかと言われると決してそうではない。今回筆者は約3,000字の付論①で、海上の関所に関する補足を、約2,000字の付論②で讃岐国の「方本」という地域の塩に注目した論を述べた。これらはいずれも、「本論に加えると議論が拡散するが、かと言って欠かすわけにはいかない」論である。
 筆者の場合は指導教官に相談した上で付論として掲載したが、卒論の体裁や指導教官の指導方針などと相談しながら決定しよう。

・書く―結論など― 4%(1,963文字/48,381文字)

 さて、本論まで書けたらもう後は実質自動出力だ。それまで書いてきた論を纏めるような形で書き始めよう。
 大事なのは、簡潔に、過不足なく本論で得られた「成果」と「課題」の両方を述べる事だ。この簡潔に、過不足なく、と言うのはかなり難しい。言葉は増やす方が容易いからだ。だからこそ、これまで残してきたメモ帳や、各章の結論部をしっかりと読み返し、内容を改めて理解し直す事が肝要だ。
 筆者の結論は、以下の文章で閉じられている。

 "ただし当然、本論では重要でありながら述べられなかった事項も数多存在する。『納帳』を扱っていながら本州側、特に注目すべき尾道港等に全く触れる事が出来なかった。また、第三章についてもやはり、強引だという誹りは免れないであろう。特に宗教史に対しての言及は殆ど行う事が出来なかった。そのような積み残しを今後の研究課題に据える事として、本論を閉じる。"

筆者卒論 「おわりに」より

  ただしの直前までは、これまでの研究で明らかにされなかった事を見ながら、改めて各章での論述による成果を挙げている。
 また、最後の一文では「今後の研究課題に~」と言っているが、これはあくまでも筆者の個人的な考えとして、学術論文はこれで閉じるのが適当(原義)であるように思う。
 筆者は大学院進学も念頭にこの一文を記したが、別に就職するからと言って「今後の研究課題」に据えてはならない、という事はないと思う。筆者だって、こんな風に書いておいて修士論文では急激に路線転換(近世堕ち!?)するかもしれないのだから。そしてまた、就職の道を選んだ貴方が、後々大学に戻って来た時の研究テーマにしても良いのである。
 最後に、指導教官/専攻する分野によっては、論文の冒頭に要旨(Abstract/アブスト)を書くことになるかと思う。筆者は書かなかったが、実際に書く事を想定して、以下に記してみる。

本論文では、日本中世における海上交通について、特に瀬戸内海地域に注目して分析を行った。まず研究史を整理し、『納帳』自体に対する再検討の必要性や、地域越境的な研究が乏しい事を示した。その上で、これまでも研究で使用されていた『兵庫北関入船納帳』には時代的価値がある事を再検討した。その中でも讃岐国の各港に着目して『納帳』のデータを検討すると、年間約1,900艘という大量輸送の中でも、塩や米がその比重を占め、特定の近隣地域が連携してそれらの輸送に携わっていた事を明らかにした。また特に『納帳』の備考的記述や「過書船/国料船」の記録から、港湾管理という点で時の地域権力者が都度海上輸送に関わっていた事が明らかとなった。他方、越中国に目を向けると、各種の地域権力とその「外港」という点で地域を越えた共通項が見出せ、今後の地域越境的研究の新たな枠組みの一端を示す事が出来た。以上の2論から、中世における海上交通の隆盛と、地域権力による港湾管理の実態について、一定程度の考察を行う事が出来た。

 ↑の要旨は440文字。筆者が地理学ゼミ(潜り)から提示された要旨の文字数が400字程度なので、それを参考とした。この要旨は、筆者の卒論をそのまま要約したものであり、内容を理解する必要は全くない。重要なのは太字で示している各部である。
・端的に何をしたか示す(本論文では、~行った。)
・問題意識につながる箇所を簡潔に示す(まず~研究が乏しい事を示した。/再検討した。)
・本論について、概ね2~3文程度で概説する(~を明らかにした。/~明らかとなった。)
・最後に一文で、この論文による成果を示す(一定程度の考察を行う事が出来た。)
 この構造は、まさに論文の組み立てをほぼそのまま示している。無論卒論段階では、要旨が必須でない場合の方が多いとは思うが、これをちゃんと書いて意味が通っていれば、実際の本文も意味の通ったものであるだろう。

・卒論を書き終えたら……

 ここからは文章の校正等、提出に向けた準備を進めてゆく。ここで大事なのは、バックアップ取りも兼ねて、各修正バージョンの卒論ファイルを「修正するごとに」作成する事だ。そうすれば、仮に最終調整が間に合わなくても、その直前のファイルを提出できる。バックアップは幾つあっても良いとされているから、作れるだけ作り、各地に収めておこう。筆者の場合、Googleドライブ2アカウント、メールの下書き等へのアップロードを行い、PC内にも複数ファイルを用意していた。また、第二稿の段階で一旦提出し、仮に最終稿がダメでも問題ないようにしていた。参考にされたい。

・校正

 さて、遂に貴方の卒論、その初稿が完成した。しかし今の貴方の卒論は、未だ真の輝きを知らぬ宝石のように、完成度を高くする余地が残されている。貴方のその「宝石」を磨くために、まずは校正を行ってゆこう。
 校正とは、文章を読み、その誤字脱字・おかしい表現等が無いかをチェックする事である。誤字脱字については、「1個見つかれば100個見つかる」とまことしやかに囁かれていて、実際その通りである。しかし、可能な限り0を目指して、章ごとに休憩を挟みながら丁寧にチェックしてゆこう。この時、Word/PDF(Adobe Acrobat)/或いはウェブサイトで「Ctrl+F」コマンド(Macではcommand + F)を押すと、特定の単語を検索してくれる。例えば、「私」と「筆者」という一人称が重複していないか、「~と推測できる。」のような文末ばかりになっていないか、などを探索するのに効果的だ。

筆者が本noteを校正中、「Ctrl+F」で実際に「私」を検索し、「筆者」に直す場面

特に歴史学や文学(前近代)では専門用語を多用し、そしてそれらは往々にして自動変換が上手くいかないので、その点を修正するのにも利用できる。
 

・表現あれこれ

 校正が終わった事で、貴方の論文は輝きを増しつつある。しかしまだ完成度を高められるだろう。ここでは、網羅的とまでは言わないが、学術論文での文章表現について見てゆこう。但し、これは蛇足であるという感も否めない。このnoteが学術論文だとすれば真っ先に批判されそうな箇所である事は付言しておく。
 大抵の状況でも同じ事が言えるが、文章は長短織り交ぜてリズムを作っていくのが良い。短い文章だらけだと論が小間切れているような印象を与え、長い文章だらけだと論が冗長である印象を覚えるだろう、実際にこの文章も段々長くなり始め、重要な事を書いているはずなのに少しずつ冗長に見えてきているのではないだろうか。これではいけない。
 特に先行研究の紹介や史料読解の直後の文章が長くなりがちである。書いていた時は何も感じなくても、今になって読み返してみるとほら、文章が冗長に見えたり、逆に言葉足らずな文章が幾つか潜んでいそうだ。
 そのような所を意識しつつ、次へゆこう。
 学術論文では「断言を避ける」事が意外と求められる。「マジで本当に分かったんだけど、これってこうに違いないんだよね。」みたいなのはあまり好まれない。いや、やるのは自由だが、後年になってそれを覆す研究成果が現れた時に貴方が赤面してしまう事を筆者は望んでいない。学術論文においては、「理由なき断言」は回避しなくてはならない。大抵の研究者達は常に、「本当にそうでござるか~?」と思いながら/言いながら他の人の論文を読んでいる。これは一見性格が悪そうに見えるが、反証可能性が担保された学術論文には当たり前に向けるべき眼差しで、寧ろ無条件に研究成果を飲み込む方が危険な姿勢である。その為に、
・~(という事)が示唆される。
・~が推測される/出来る。
・~(示して)いよう/(示す)だろう。
  などの表現を用いると良い。筆者の感覚では、「絶対こうに違いない」と思ったときには「~が強く示唆される」と述べている。
 勿論、史料が正しく読めていたり、既にある先行研究を紹介するなど、単純事実として述べる場合には断言「~である」系を用いても構わない。文章が自分の考え/解釈に近づけば近づくほど文末を柔らかくしていく事が重要である。

・体裁等

 表現との終わりが無さそうな戦いに辛くも勝利した今、貴方の卒論はまばゆく輝き、何人もその輝きを損なう事が出来ない境地へと達しつつある。  しかしその輝きはただ強ければ良いのではなく、正しく・強くなければならない。そこで、最後に必要なのが体裁の調整である。  
 早稲田大学教育学部のように、卒業論文の提出方法・ファイル形式・文章のレイアウト設定等を提示する所もあれば、恐らくそうでない学部・研究科もあるだろう。既にあちこちで登場させているが、やはりここでもしっかり、早めに、指導教官に連絡を取り(或いは指導教官の方から連絡を下さる事もある)、頭に留めておこう。勿論学部/指導教官に指定された書式に改めるだけなので特に問題はないが、縦書き→横書き、或いはその逆の場合、数字の横倒れ等が発生するのでくれぐれも注意されたい。
 また図版を使用している場合、レイアウトの変化に応じて位置・サイズを変える必要が生じかねないので、その点についても注意してほしい。
 大抵、提出形式はPDFファイルだが、その変換も早めにやっておくのが良い(過去にはそこで失敗して、…….という例も存在するようである)。 
 それも済んだら後は提出するだけだ。ここまで根気強く読んできた読者にはわざわざ言うまでもないが、直前の提出は避け、しっかり前日、最低でもその日の午前中に提出を済ませよう。よく言われる「回線/PCのトラブル」が起こった際に猶予が必要だからだ。「そんな古典的なトラブルが起きるわけないだろ笑」と笑い飛ばし、「トラブルがあった経験なんて全然聞かないよ笑」と思う方もいらっしゃるだろうが、果たして卒論提出ミスで卒業を逃してしまった方の内、どれだけがその経験を話せるだろうか? 生存バイアスという言葉を思い出してほしい。
 どんなに論文のクオリティを上げても、期限までに提出しなければ読まれる事は無いのだ。

・Q&A

 さて、ここまであれこれと述べてきたが、補足的にQ&Aを掲載しておく。万が一の事があった時、そしてここまでの記述が長ったらしい! と思われた方はお読み頂きたい。
Q.指導教官が怖い/指導が親身でないのですが……。
A.とりあえず卒業のためだと思って、積極的な対立はしないようにしましょう(しかし、例えば人格否定発言/パワハラ・セクハラ・アカハラ/暴力/ゼミや指導に関する不当な扱いを受けている場合には、容赦なく所属学部に通告して下さい。学部の別なく、早稲田の方であれば筆者も相談に乗ります)。
 ただし、(卒論単位が厳密であるほど)指導を受ける必要はどうしても生じますから、その場合には、例えば同じ学科/専攻/コースの別の先生に相談するなどして、とにかく教授・講師の方からの助言を仰ぐ環境を無くさないようにしましょう。

Q.紹介された方法でも先行研究が見つかりません。どうしてくれるんですか?
A.ご迷惑をおかけして大変申し訳ございません。考えられる対応策としては、
①指導教官等、先達から、まず1冊で良いので紹介してもらう。

②その本を基に、関連する本を図書館の「レファレンスカウンター」で探してもらう。

③-Aこれで本が見つかったら、紹介した方法で先行研究を収集する。
③-B本が見つからない場合、①で得た本の著者、引用文献などを当たり、それらの本からまた②へ立ち返る。

以上の方法で本を探してみてください。レファレンスカウンターの方はプロですので、何か1冊は候補を見つけてくださると思います。

Q.うちの大学/学部/ゼミでは特に体裁の指定がありませんが、自由にやって良いですか?
A.基本的には、自由です。しかし、初稿を先にチェックしてもらうなど、体裁面の確認は念のため指導教官と行いましょう。

Q.問題意識がそう簡単に芽生えるとは思えないのですが?
A.はい、仰る通りです。だからこそ、「スケジュール」項でお話した通り、先行研究に触れ、指導教官と相談する時間が重要なのです。ゼミの時間だけでも、本を読んでいる時間だけでも良いから、不断に卒論について考えると良いでしょう。

 この欄については、仮に公開後新たに質問が来た際に、随時更新していきたいと考えている。

・さいごに

 以上ここまで、「卒論自体の概説」、「卒論を書く前の準備」、「卒論を書く」、「卒論を書いたら」を中心に、「先行研究の探し方」等も付しながら述べてきた。
 あれこれ偉そうに述べてきたが、実際の所筆者は4度に渡って卒論の内容/構成を変更し、時には卒論について一切考えない日を設け、更には四国・新潟等旅先に文献とPCを持ち込んで執筆する事もあった。
 ただでさえ進路について考える必要があり、その上で巨大な論文を書くのだからその負担は計り知れない。だからこそ、いつでも始められる卒論は早めに準備するのが大事なのだ。既に3月に入ってしまったが、まだまだ焦る事は無い。就活する貴方はまず就活を、院進する貴方は入試要項等をしっかり確認し、何となくで良いからスケジュールを立てよう。
 ここに書いてある事のうち、貴方達の役に立つ事がどれだけあるかは分からない。ここに書いてない事で気になる事があれば、筆者か指導教官に直接聞いてほしい。とにかく、「遠慮しない」事が最も重要だ。
 それではここで論を閉じる。貴方達の未来に神のご加護がありますように。


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