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小説「ぼくと ぱく しらいし」2

2  ぱく しらいしとぼく


 ぼくのバイトは、著名な本屋さんでお客さんが手に取って置く時に生じる本の乱れを整理する仕事。dodaだったかtownworkだったかバイトルだったか忘れたけど、バイトを探すアプリの中でたまたまその仕事を大学の仲間といる時に見つけて気になっていた。ちょっと変わった仕事だなぁ、でも面白いかもという興味があったから仲間に伝えておいた。実際に申し込んだのは大学の3人の仲間の一人で、大きめのスマホを持っていた吉田だった。遅まきながらメールの部分をLINEで送ってくれ、お前これどう?面白いと思わない?と見せてぼくの感興を引こうとした。実際ぼくはそのタイプの仕事を探していたし仕事の中身も興味を持っていたけれど、友人が勝手に登録して、次に会った時に興奮顔の吉田が「おい決まったぜ、見てみろや」とバイトが決まったことを告げてきた。もちろん喜んだのは彼だった。他人の名前をどうやってと思うが早いかニヤリして、してやったりの顔をしてぼくを見つめる。ぼくは気持ち悪いの顔を作って顔を遠ざける。友人はお人好しというよりも、何でも自分で決定して世界を動かしたい人間なのだった。

 最初の面談は総務課の年配の女性だったから、その大手の書店の店長と話すのは店に入って三ヶ月くらいしてからだった。店長がぼくが店内を回っている時に呼び止めた。ぼくは文庫本コーナーで、平積みになった本、それから棚に収めてある本で直線の本のラインが歪んでいるところを直していく。ひと月も経てば手際よく片手で出来るようになっていた。それも素早く直して移動する。どっからこの単行本を持ってきたんだろうと思えるようなとんでもないところに移動している本もある。いろんなタイプの人が書店にはやってくる。独り言を言いながら本を選んでいる人も複数いるのに気付いた。相当甲高い(当人は気づかないのか、それがいいと思っているかだ)音を立てて歩く若い女性もいる。おそらくパンプスの底に何か仕掛けがしてあって音を鳴らすようにしているんだろう。最近同じ人を2回も見たが、周りで立ち読みする人が振り返る程だった。寒い時なら特にそうだけど常連客は大体似たような格好をしているものだ。カラフルなリュックを下げている40代くらいな男性。サンダル履きの割と高齢の男性もいて決まって脳障害の本を専門書コーナーからわざわざ運んできて木の椅子に座って見ていたりする。その人もひと月もすれば見なくなった。また別の人がやってくる。ぼくだけかも知れないけど、本屋さんでは自分が何をするか選んでいると、何かそこだけ光って見えるような、うまく言い表すことが出来ないけど、手にとってみなけりゃいけないような、そしてその本を必ず買うようになるという経験をする。

 「防犯対策としていわゆる私服のGメンも起用していますけど、それだけではなく学生でいいから本をきちんと整理するというのもある程度効果があると思い付いたんですよ」ということだった。そういった対策を大人が考えているのをぼくは知らなかった。そしてぼくは図らずもその仕事に就くことになったのだけれど、その店長がぼくに「叔父さんがニューヨーク行ってた時に、当時ね治安が乱れててガラスがあっちでもこっちでも割れていて警察の力だけでは治らないっていう情勢だったんですよね。そこで当時の市長が提唱したのがa theory of brokend windowsだけど、それにヒントを得て、私もこの店を万引きとか盗撮とかから守ろうと思って考えたのがこの作戦なんですよ。だから吉高君にもそれなりに期待しているんですよ」と説明してくれた。

 特に今注目されている丁寧に文庫本の平積みされた本や新刊本も客が一々手に取って見てみる、そして戻すという動作で生じる乱れをぼくが整理していくのだけれど、棚に並べられた文庫本や新刊ものも、出版社ごとに色分けしていたり数字が入っていたりしているヤツもいつの間にか混乱している。違う棚に押し込まれていたり、そのうちのどれかが棚から降ろされて下の横一列に並べられた別の本の上に無造作で置かれている。本が泣いている、とまでは考えないけど、それらを一々ぼくは修正していく。ぼくが離れて一時間や二時間もすればまた乱れていることもしばしばだ。それを面倒くさいと思えばこの仕事は出来ないだろう。愚直にやるしかないのだ。誰が何と言おうと愚直にやる、それに尽きる。なんてもう一人のぼくが内心ぼくに言い聞かせている。ある日大学で吉田が尋ねてきた、本のバイトについて。説明しても、ふーんとか首を振ったりするだけで今一つピンときてないみたいで、Seeing is believing.と言っておいた。


 それにしてもこの一年は取り分けぼくにとって目まぐるしいものになっていた。白石さんとはデートと言っていいものはあの1日だけだった。それだけに特に思い出に残っているし、「再会」という二文字がそれからぼくの心に刻まれたのも同じだった。彼女が立派な医師になってもらってぼくが食わせてもらわなけりゃいけないからだし、何か食い逃げした犯人を追いかけるつもりもないし、いや第一食い逃げしたのはぼくなのだから。ただ変化は確かにあった。あのぱくがぼくの前に現れたのだった。そのことについては、白石さんとの初めてのデートを克明に伝えてからにしたいと思う。あのぼくらのスペースからの帰りに彼女がぼくに初めて食事を奢ってくれたのはまだデートにはカウントしていなかった。そしてぼくは彼女に大学がどこを志望かなんて聞いたことがなかった。東京医科大学だったら西新宿、慶應大学医学部ならJR総武線(中央線)の信濃町駅になる。でもそれを知ってどうする、ストーカーじゃないんだから。最初の(最後の?)デートを彼女が新宿御苑と選んだのも医学部と関係があるんじゃないかと推測していた。初めてのデートはその新宿御苑だった。関西育ちのぼくはその辺の土地勘はないし、行き方も知らない。近くには国立競技場とか名のある場所はある。その時はもしそこが気に入れば、次は神宮の森というのも有りだなと勝手に頭の中で想像を巡らしていた。でもぼくの勘は滅多に当たらないのを知っている。実際にそのどちらでもなかったのだから。


 待ち合わせは、メトロの新宿御苑前駅の改札を出たところ。ぼくは白石さんに待ち合わせの15分前に、今タリーズコーヒーにいる旨を告げていた。白石さんはLINEは利用していない。実際には珈琲店には一時間前には着いていた。大体ぼくは昔から集合場所には大体一時間前には着いて用意する人間だ。その時もそうだった。第一そこは知らない行ったことのない場所だったから特にそうだった。

 白石さんは、何と言ったら良いんだろうか「申し合わせたように」集合時間の10時きっかりに(1秒の狂いもなく)店に入って来たのだった。「ごめんね待たせて」そう言ってぼくを見つけた白石さんは、ぼくが座っている椅子の向かい側に座り、同じものを注文した。ちょうど夏の終わりの時期で公園の樹々も色づく季節に変わろうと準備しているようだった。カフェを出て公園に入ると白石さんはまず大きな伸びと深呼吸をした。「こんな一日の始まりがあるなんて…」という言葉ともため息ともつかない言葉を口から吐いた。その言葉の後にはincredible という単語が隠されていた。渋谷のドコモタワーをバックに見えるところで白石さんは写メを要求した。初めてだった、写真を撮ってくれとせがんだのは。きっとそれがインスタで映えるのだろうと思った。いやそんなSNSもしていないか….。桜の時期でもなく、秋の紅葉には少し早かった。それでも満足な顔をして、公園では寝そべったり、普段見せたことのない白石さんがそこにいた。今から思えば、次の日にはまた新たな自分自身の挑戦的な日々が始まることへの区切りのようなものをその時には設定していたのかも知れない。実際にデートはその日一日だったのだから。

 その日は普段ぼくに見せたことがない表情なり姿体を惜しげもなく見せていたのを今更ながらに思い出す。母と子の森の中に入ってラクウショウという今まで見たことのない外来種の植物を見て感動したりしているうちに、デートが一時的なものであっても何か永遠な時間を感じることが出来たのはなぜなんだろう。午前中公園の中を散策した僕たちは、白石さんの提案で「この後東京タワーに行こう」ということになった。今では観光名所としては東京タワーよりスカイツリーの方が有名になってしまったけれど、正式名称を日本電波塔という東京タワーはどこから見ても東京の象徴のような存在だ。例えば六本木ヒルズのライブラリーから眺めた図もいい。それでもぼくは遠くから眺めたことはあっても登ったことはなかった。白石さんも同じだった。都営地下鉄の大江戸線で赤羽橋に行きそこから歩くことになった。メトロの車内で見るからに同年代だけど定職にはついていないような、穴空きGパンにナイキのスニーカーを履いた男が持て余した膝を大きく揺すりながら耳に当てた大きめのヘッドフォンで音楽を聴いていたが、明らかに音が漏れていた。大きな体躯はしゃがんで頭が床につきそうだった。聴いていたその曲はKYOGOの東京という曲だった。遠目に見ても彼のそばには誰も座らず敬遠している風だった。おそらく大麻かなんかやっていると思われているんだろう。その曲が夕方彼女と別れてからもずっと耳の奥のどっかで鳴っていた。メトロの駅から地上に上がるとタワーが見えた時感動したのは、自分だけが見ているんじゃないという思いもあるんだろう。でもいつもすぐそこに見えていたはずの東京タワーも結構遠くにあった気がする。登れば展望台では65周年の催しをやっていた。だけど比較的そんなに並ばなくて良かったのは付いていたということなのだろう。タワーの上でも何枚か白石さんを撮ったりした。でも今から思えば知らない間に白石さんがぼくの写メを撮っていたとしか思えない。というのはずっと後でやっぱり「ぱく」という存在がぼくの生活圏の中に入ってきたことから思い起こすとそういう結論に達したのだった。白石さんの後で「すれ違いに」ぱくが現れたことで大袈裟に言えば人生が違う方向に進んでいるように思えた。それにしても白石さんは急にいなくなってしまった。あのタワーの下で彼女と別れた時に、「じゃあまたね」と言い残して彼女が去って行ったのは、明日またあの場所でねという意味に解釈できるし、帰る方向が日比谷線の神谷町駅だったにしても、あまりに突然のことでもし付き合っていたのなら捜索願いを出してもおかしくない事柄と言えなくもない。


 ぱくは言ってみれば、文系と理系の狭間にいるような男だった。ぼくと同学年の大学生であるのに20いくつかの資格を既に持っていた。ハム無線4級とか小型船舶、危険物乙種とか誰しも持っているような資格に混じって主にPC関係のセキュリティや情報管理、OFFICEとかだった。今新たに宅建に挑戦していると言っていた。ちょうど白石さんがいなくなった空白を埋めるようにぼくの前に現れたのがぱくだった。

 ぼくはそもそもぱくを知らないし、会ったこともない。そのぱくがぼくを知っているなんておかしな事があっては堪らない。それがあるなどしたらこの世は何でも有りだろう、などと思っていたのは事実だ。彼女が大学に入れたかどうかも知れない。実際には彼女は既に外科医の入り口に立っていた。

 ぼくは考えていた。ひょっとして白石さんはぼくの持ち物のどこかにそっとAir-Tagなるものを忍ばせたんじゃないかということを。そう言えばいつか二人で確か便利なアイテムの話になって、エアタグについて話したことがあるのを思い出した。そして二人が出会ったあのスペースをもう一度利用したら、もしかしてそこに白石さんが戻ってくれるような気がした。白石さんがスペースに来なくなってひと月が経ってぼくは、アルバイトを始めてからスペースを利用しなくなっていた。それからぼくはバイトも定着してスペースのことも忘れかかっていたある日「二人の」スペースに戻ることにした。利用を止めてから半年が過ぎていた。今度はぼくがi-Padを利用する番だった。確かに世の中にはタブレットを自分所有にしている人はたくさんいるに違いない。でもそれはでぼくには出来ない理由があったのだった。彼女がもしぼくが戻って一人でデスクワークをしているならきっと気づくはずだ。ぼくはそのあるかないか知れないエアタグを探すことすらしなかった。彼女と再会して見つかっても万事OKだし、それに自分の持ち物の中にそんなものを見つけることが怖かった。その頃にはぼくはi-Phoneを借りずに手に入れていた。番号は「機種変更」で行い、手に収まるサイズがいい、と大きなスマホは手に負えないからバイト料をもらうと真っ先にそれを買った。
 それから言い忘れていたけど、そう本屋さんで「事件」が起きたのだった。


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