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新入生入部理由 #19篠原琳香

こんにちは!
慶應義塾大学体育会ハンドボール部女子新1年の篠原琳香です。
拙い文章ですが、最後まで読んでいただけると幸いです。

まず初めに軽く自己紹介をさせていただきます。

名前:篠原琳香(しのはらりんか)
学部:商学部
出身校:大宮開成高等学校
ハンドボール歴:中学1年生~

 私は保育園に通っていたころから毎日のようにドッヂボールをして、負けるたびに泣いているような子で幼いころから運動や勝負が大好きでした。
そんな私がハンドボールに出会ったのは、小学校でのクラブ活動でした。
所属していた球技クラブでハンドボールをする日があり、私はその日にその後の学生生活が変わったといっても過言ではありません。
中学受験をするために塾に通う毎日でしたが、こういう学校に入りたいというような希望はありませんでした。
今でも覚えていますが、塾の帰りに迎えに来てくれた車の中で「ハンドボールがしたい。ハンドボール部がある中学校を受験したい。」と父に言いました。
私がハンドボールに出会ったこともそのスポーツに魅せられたことも知らなかった両親にとってはあまりにも急なことだったと思います。
そして私は突如ハンドボール部がある学校だけを受験校にしました。


受験を経て入学した大宮開成のハンド部は衝撃的なことだらけでした。
まず、私が球技クラブで魅せられたハンドボールとは全くルールが違い、あまりの違いにこれからの部活動に焦りを感じました。
ハンドボールで受験校を絞ったのに私はルールを調べたりもしていませんでした笑。
しかし、今思うとルールをちゃんと調べていたら私は自分の思っていったルールと違うことを知り、中学でハンドボールをすることをやめていたかもしれません。

次に、ハンド部のレベルです。
ここは当時の先輩方がお読みにならないことを祈っています。初めて見た試合は市大会だったと思います。
全部で5つの学校があり、その4、5位を決める試合でした。はっきりとは覚えていませんが、〇-3〇みたいな感じだったと思います。ついでに私の初出場・初退場の試合でもあったような気がします。
それからそこそこにみんなで練習しまして私の代の引退試合はコロナの影響で外での非公式の市大会ではありましたが、1位を取ることができました。
2年くらい後に部員がいなくなり中学女子ハンド部は廃部となりましたが、中高一貫校であったため高校も大宮開成でハンドボールを続けました。
またそこそこにみんなで練習しましてあまり勝てない高校からたまには勝つ高校になりました。
部活動において特に大きな功績は残せませんでしたし、内容が薄くなってしまいましたが、私の中高の学校生活は間違いなく、ハンドボールと部員のみんなの存在に支えられていましたし、部活があったから勉強も頑張ってこられたと思っています。
 
 運動が好きな私は大学でも運動系のサークルか部活に入りたいと漠然と考えていましたが、運動するならハンドボールがしたいと思ったので大学でも縁があればハンドボールを続けようかなと思っていました。
何よりもハンドボールは、初めて自分の意志で「やりたい」、「続けたい」と思えるものでした。
それなら大学受験でもハンド部がある大学だけを受けたのかと思われるかもしれませんが、そうではありませんでした。
第一志望を特に決めずに受かってから決めようと思っていました。

そして受かってから決めるための基準の一つとなったのが中学受験の時と同様、ハンドボールでした。
楽しんでハンドボールをし、自分が成長できる場所として慶應義塾大学のハンドボール部を選びました。
ハンドボールのルールと同様によく調べてはいなかったのですが。そして初めて行った体験会の日に入部届を書きました。
なかなか同期が入らず不安ではありましたが、今は気の合う同期も入って先輩方が本当に優しく、一緒に話してくださるのでこれからが楽しみです!

このままハンドボールと勉強だけの学生生活だとまた母に「やってること中学生のときと変わらないよー」と言われてしまいそうですが笑。
でも、中学校を探してくれて、毎回試合を見に来てくれて、応援してくれたおかげで中高大とハンドボールを続けられているので感謝しています。早くバイト見つけます。
 
 最後に、ハンドボール歴の数字は大きい私ですがこの部活で数字と実力が見合うようなプレイヤーになれるよう、チームの勝利に貢献できるよう、まだまだ微力ですが頑張っていこうと思います。長文失礼いたしました。


以上、いつも乗ろうと思っていた電車より一本遅い電車に乗ってしまう自分に悩んでいる篠原琳香でした!最後まで読んでいただきありがとうございました。

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