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[小説]愛しき名前~ある特定失踪者少女の運命(2)

第二章(一)
 その日の東方学院大学の講堂は、いつになく満席だった。同校では、定期的に一般市民を対象とした講演を行っているが、内容が地味な上、宣伝にもあまり力を入れていないせいか、人が集まらなかった。定員の1/3の参加者があれば上出来だった。
 だが、今回は違っていた。講師が“有名人”だったためだ。だが、その知名度も学問の業績によるものではない。彼が帰国した北朝鮮拉致被害者であるためだ。彼は帰国後、母校に復学し、大学院まで進学して学問に専念した。その甲斐あって彼は一人前の研究者となり、評価されるようになった。それはあくまで学問の世界でのことであり、一般には拉致被害者の一人としてのみ知られている。
 今回の講演内容は、彼の研究成果を一般向けに分かりやすく解説したもので、拉致問題とも北朝鮮とも関係が無い。にもかかわらず、これだけの人が集まるのは、彼の知名度が衰えていない証拠であろう。
 講演後はサイン会が行なわれたが、これも珍しいことである。参加者の大半がサインを求めたようで長蛇の列をなした。列は順調に減っていき、最後の一人となった。
「山田五十鈴はお好きですか?」
という女性の声と共に著書が差し出された。その指には見覚えのあるビーズの指輪が嵌められていた。この指輪の持ち主は一人しかいないはずだ。彼は顔を上げた。
「五十鈴ちゃん?!」
 彼が“五十鈴ちゃん”と出会ったのは、北朝鮮にいた時で平壌の某所だった。そこがどこであるか、今も分からない。木々に囲まれた集合住宅のような建物の中で、当初は日本人の大工さん夫妻、ママさん、ドナちゃんと朝鮮人の家政婦のおばさんと部長と呼ばれる中年男と暮らしていた。共に生活している間、互いのプライバシーについて話すことは禁じられていた。そのため、彼ら(といっても日本人だけだが)の本名を知ったのは、帰国してからだった。しかし、毎日顔を合わしているのだから、おのずとプロフィールや嗜好が分かってくる。いつしか、日本にいたときの職業や行動が互いの呼び名となった。もちろん朝鮮式の名前も付けられていたが、自分たちだけで日本語で会話する際はその名で呼びあう気分になれなかったのだった。当時、東方学院大学に在学中だった彼は冗談半分に「東大生」と呼ばれ、彼の妻は「店員」、大工さんの奥さんは「おかみさん」、ママさんは水商売をしていたため、最年少のドナちゃんはいつも“ドナ、ドナ”と歌っていたのでこう呼ばれるようになった。彼と妻、大工さん夫妻は、夫婦同室で、一人きりのドナちゃんは同じく独身のママさんと同じ部屋に住んでいいた。
 彼らは毎日、この国に適応させる教育を受けていた。既に抵抗しても無駄であることを悟った彼らは内心はともかく、表面上は従順な態度をとっていた。
 五十鈴ちゃんが現われたのは、彼と妻がここに来てからしばらくしてからだった。
 ある朝、突然、人民服姿の中年女性が二十歳前後の娘を連れて来た。これからここで暮らすことになったとだけ告げられたが、彼女も自分たち同様、日本の何処かから拉致されてきた人間であることは明らかだった。
 五十鈴ちゃんは、ママさんたちの部屋に住むことになった。彼女は、ドナちゃんと同室になったことをとても喜んだ。今まで同年齢の人と接する機会が全くなかったためだ。
 彼女が来たことは、ここの雰囲気を変えた。明るく陽気な彼女は退屈な日常を楽しくしてくれたのである。ギャグや冗談を言ったり、時には日本の人気コメディアンの物真似をしたりした。ここに住む日本人が皆、知っている人気者だったので、一同大爆笑した。大工さんの通訳で内容を知った家政婦さんも部長も大笑いした。
 彼女のお陰でいつも寂しそうにしていたドナちゃんも少しづつ笑顔を取り戻した。
 彼女が来て間もない頃、こう言ったことがあった。
「東大生さん、私、女優になるのが夢なんです」
「女優っていっても、俺が知っているのは山田五十鈴くらいかな」
 彼が応えると
「山田五十鈴って大女優じゃないですか!」
と彼女は大げさに言う。
「じゃあ、君は第二の山田五十鈴になればいい」
 ここにいて将来の夢など語るだけ無駄に思えた。しかし、彼女は
「そうね、私は大女優になるわ」
と宣言するように言った。この時から彼女は“五十鈴ちゃん”と呼ばれるようになった。
 明るく円満な性格の五十鈴ちゃんは家政婦さんや部長を含めたここにいる全ての人に愛された。こんな状況の中でも健気に生きる彼女だが、これも演技なのではと感じることがあった。時々、ほんの一瞬、ひどく悲しげな表情を覗かせるのである。
 さて、五十鈴ちゃんが来て一年くらい経った頃だろうか。
 その日は祭日とかで“適応教育”は休みだった。天気が良かったこともあり、代わりに庭で昼食会をすることになった。家政婦さんが料理を庭に運んでくれた。皆で地面に座って遠足のようだった。酒こそなかったが、楽しく食べ、喋ったり、歌ったりした。
 そんななか、五十鈴ちゃんが一人芝居を披露してくれた。この国を批判したりする内容でなかったため、部長も何も言わなかった。というより上手いものだと誉めていた。
 それから数日後、来客があった。五十鈴ちゃんに面会に来たそうだ。客と部長、五十鈴ちゃんの三人がしばらく何かを話し合っていたようだ。
 客が帰り、部長が席を外した時、五十鈴ちゃんがこう言った。
「芸術団にスカウトされました。」
 後日、知ったことだが、彼女の一人芝居を親愛なる指導者同志すなわちこの国の2番目の権力者が偶然目にし、この国の最高峰の芸術団に入るよう命じたのだった。
 1週間後、迎えに来た黒塗りの乗用車にのって五十鈴ちゃんは去って行った。その際、彼の妻は手作りのビーズの指輪をプレゼントした。自分のセーターについていたビーズをはずして作ったものだ。五十鈴ちゃんは喜んでその場で指に嵌めた。直接、五十鈴ちゃんと接したのは、この時が最後だった。

 そして更に1年ぐらい経った頃だろうか。集合住宅にいたメンバーは、それぞれの“仕事”を得て外部に出ていった。
 といっても、そこも日本人ばかりが集まって住んでいて、近くにある職場も役付きの数名が朝鮮人で大部分が日本人という場所だった。それゆえ、各自、独立した家屋に暮らすようになったものの、毎日、顔を合わせていた。
 とある休日、彼が自宅の居間でTVを眺めていたところ、聞き覚えのある歌声が聞こえてきた。演劇の中継をしていたようだが、何とそこに五十鈴ちゃんが登場していたのである。
「おい、五十鈴ちゃんがTVに出ているぞ」
 彼は台所にいた妻を呼んだ。
「五十鈴ちゃん……」
 妻は画面に見いっていた。
 それは、僅か一シーンだった。村娘姿の彼女は民謡風の歌を歌いながら舞台中央に出てきて主人公に花束を渡した。たったこれだけなのに夫婦は画面に釘付けになってしまった。
 翌日、彼は退勤後、時間を作って、大工さん夫妻とママさんとドナちゃんに会い、五十鈴ちゃんのことを話した。皆、TVを見ていた。
「いい舞台だったね」
「うん、彼女は本当に第二の山田五十鈴になれるかも知れないね」
 各自感想を言い合いながら、彼女が元気でいることを喜んだ。
 それからというもの、集合住宅の面々はTVの演劇番組に注意するようになった。五十鈴ちゃんが出演するものを見逃さないようにするためだ。ビデオデッキなどというものが普及していないこの地のこと、一度見逃してしまうと次にいつ見られるか分からなかった。まして直接劇場に行って観覧などということは考えられなかったので尚更であった。
 当初は、その他大勢の一人として舞台に立っていた五十鈴ちゃんだが、出演するたびに出番が増えて行き、ついに主役を張るようになった。彼女の芸名は金輝星〈キムヒソン〉といった。
 金輝星の初の主演舞台は「金剛山のこだま」というこの国の定番作品だった。朝鮮戦争の時、活躍した女性戦士を描いた内容で、五十鈴ちゃんは主人公の女性兵士を演じた。ストーリー自体は、この国ではありきたりの自国の軍隊を讃えるものであったが、金輝星の存在が惹きつけられるのである。彼女の演技、アップで映された時の表情、台詞回し等々、どれも見逃せなかった。
 彼女の演劇が放映された翌日は、皆、必ず会って、その感想を言い合った。そして、彼女の成功を祈るのだった。
 女優・金輝星は、ここに住む他の日本人の間でも評判になった。だが、彼らに、この女優は拉致されて連れてこられた日本人で、以前自分たちと共に暮らしていたということは言わなかった。口にしてはいけないような気がしたのである。
 金輝星の主演舞台は、その後も次々TVに登場した。活躍の場も広がり、映画やTVの連続ドラマにまで出演した。その内容も現代物から時代劇、役柄も現代娘から兵士、新妻、妓女、深窓の令嬢や少年役まで多種多様だった。
 そして遂に、女優として初の単独コンサートも開いた。これまで声楽家で独唱会を開いた人間は何人もいたが、非専門の歌手は前代未聞のことだった。
 集合住宅のメンバーは、TVを通じてそのコンサートを見たが、皆、懐かしさを感じていた。
 軍服や民族服、ワンピースや少しフリルの付いたブラウス姿で五十鈴ちゃんが歌ったのはこの国の定番ソング~軍歌や党や国家を讃えたものや民謡、彼女の出演したドラマの主題歌だが、曲のアレンジと振り付けがこれまでにないスタイルだった。この国の歌は唱歌や歌曲風で学校の音楽の時間で習うような退屈なスタイルだったが、それを彼女は歌謡曲風に歌ったのである。また、歌っている時の振り付けは日本の歌手たちを彷彿させた。
 五十鈴ちゃんの歌唱力は今一つだった。この国の専門の声楽家たちに比べると見劣りならぬ聴き劣りがする。だが、その歌声を聴き、姿を見ていると心が弾んでくるのであった。
 TVでは中継されなかったが、アンコールの際は観客も共に歌い会場は大盛り上がりだったそうだ。
 コンサートを見終えた後、彼は不安にかられた。この国が否定している資本主義国家のような独唱会を行なって五十鈴ちゃんは大丈夫なのだろうかと。何事であれ検閲されるこの国で五十鈴ちゃんたちが勝手な内容で公演など行えるはず無いのだが…。
 このコンサートを最後に五十鈴ちゃんは姿を消してしまった。
 やはり、あのコンサートが拙かったのだろうか。だが、ゲストとして出た俳優たちは相変わらずTVに出ていた。もしかすると、金輝星は実は日本人であるということが露出してしまったのかも知れない。この国で日本人が表立って活動するのは難しいのだろう。何しろ人々に日本を憎むように仕向けている国なのだから。
 集合住宅の仲間たちは、ただ五十鈴ちゃんの無事を祈るばかりだった。      

 講演の翌日、彼は大学のカフェで五十鈴ちゃんと向かい合っていた。店内は、学生や大学の職員たちで賑わっていた。静かな場所よりもこうした人が大勢いるところの方が意外と話の内容を聞かれないものである。
 服装・髪型のせいか今日の五十鈴ちゃんは、昨日よりもだいぶ年長に見えた。それでも彼女の実年齢を思えば随分若く見えるだろう。
 本当に昨日の彼女は平壌にいた頃と全く変わらなかった。一瞬、時が遡ったように感じたのだ。その事を彼女に言うと、
「女優は年齢を取らないんですよ」
と笑顔で答えた。日本の有名俳優だか女優が言った名言らしいが、彼女に相応しい言葉だと彼は思った。
「飲み物はコーヒーでいいかな」
 セルフサービスなので、彼がカウンターに飲み物を取りに行った。
 その間、彼女はぼんやりと周囲を見た。大学関係者以外も利用可能の店なのか、スーツ姿のサラリーマン風の中年男性や主婦らしき女性もいた。
 間もなく戻ってきた彼が持つトレーにはコーヒーカップ二つとケーキが載せられていた。
「女子学生たちがここのケーキが美味しいと言っていたんで…」
と五十鈴ちゃんの前にケーキ皿とコーヒーを置いた。
 頂きますと言って五十鈴ちゃんはケーキを口にした。シンプルなチーズケーキだった。
「美味しい」
「だろ」
 彼は笑顔で答えた。
「今の日本は美味しい物がたくさんありますね」
 五十鈴ちゃんはしみじみとした口調で言うと
「まったく」
と彼は苦笑混じりに応じた。
 二人は雑談をしながら、少しづつ本題に入っていった。
「…“独唱会”の後、37号室に移りました」
「37号室って、あの…」
「はい、外では悦楽組とか呼ばれているところです。でも世間で言われているようなハレムのようなものとは少し違います。確かに娼婦のようなことをするグループもありますけど、他に指導者同志やその親族、上層階級や外国のVIP向けのショーみたいなことをするグループもあるのです。私はここで歌ったりお芝居をしていたのです」
 この答えに彼はほっとした。娼婦のようなことをさせられたのでは堪らなかった。だが、安心するにはまだ早かった。
「ここには長くいませんでした。まもなく、工作員教育を受けるようになりました」
 集合住宅を去ってから工作員になって各国で活動するまでの経緯を五十鈴ちゃんは淡々と語った。
 彼は応える言葉が出てこなかった。
 コーヒーを一口飲み、彼女は話を続けた。
「工作員として最初に行ったのは西欧でした。その後、韓国、米国、南米、中東やアフリカ、ソ連や中国、東欧にも行きました」
―ソ連や中国のような友邦国にも工作員を送っているのか。
 彼は訝しく感じた。
「私は命じられる通りに行動しました。その結果がどうなるのかは考えもしませんでした」
 五十鈴ちゃんは具体的に何をしたのかについては語らなかった。
「…日本に来るようになったのは、最近です。母国に戻っても逃げ出すことはないだろうと判断したのでしょう」
 彼が何も言わないので五十鈴ちゃんは話を進めた。
「日本に来た当初は相変わらず言われるままに行動していました。しかし、今回は違ったのです」
 彼女の声が震え始めた。
 今回の任務は拉致問題担当大臣の自宅の家政婦になって大臣を陥れる工作の補助活動をすることだった。
 海外での人質事件の解決に実績を持つ大臣は、拉致事件でもその手腕を遺憾なく発揮していた。それゆえ北当局にとっては嫌な交渉相手だった。出来ることなら除去したいと考えたのだろう。
 だが、万事きちんとしている大臣には“スキャンダルのネタ”が見付からなかった。周辺の人物たち~配偶者、秘書官等にも問題が見当たらなかった。それでも彼女の上司たちはまさに無理矢理でっち上げて、大臣をその役職から引きずり降ろすことに成功した。
 マスコミが面白おかしく報じたこの事件は、後味の悪いものだった。
「大臣も秘書官も立派な人でした……」
 秘書官の親族も特定失踪者の一人だった。親族の少女は高校生の時、買い物に出掛けたきり帰って来なかった。警察の必死の捜査にも拘わらず、その子の足取りはつかめなかった。数年後、この娘を平壌で見たとある脱北者が証言したのである。これを知った秘書官は、親族を救うために奔走し、その結果、担当大臣の秘書官になったそうだ。彼女は、ずっとその娘のことを忘れず、そして他の被害者も救うために働いてきたのだった。
「北にいる人たちのことを忘れず、助けようとしている人を私は……。」
 ようやく話し終えた五十鈴ちゃんは涙を流した。これは決して演技ではないと彼は確信した。
「ずいぶん苦しんできたんだね。でも、もう大丈夫だよ。後のことは我々が何とかしよう。五十鈴ちゃんは、これからは自分のことを考えるようにすればいい」
 北の政権は一介の女性の人生を破壊してしまった。彼は怒りが沸き起こった。と同時に彼女を北の軛から解き放たなくては、と思った。今後の人生を自分自身のために生きられるように。
 それが帰国した自分の使命の一つだと彼は考えていた。

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