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#13 打ちひしがれ先にあったモノ:スクーリング「文芸III-1(エッセイ)」

京都・瓜生山キャンパスでの対面授業からの帰路。
関空特急「はるか」の中。
「これほど、できないとは…」と打ちひしがれました。
 
 
時間をさかのぼって、授業前。教室には一番乗り。
初めての対面講義に心を躍らせていました。
Twitterでやりとりしていたスクールメイトとも実際に会えるし、京都での1泊で1人呑みも楽しんでやろうと意気込んでいました。
 
徐々に受講生も集まりだし、先生もお見えになった。
講義資料とワークシートが配られる。
目を通してみると、どうやらワークがたくさんあるらしい。
 
いざ、講義開始。
冒頭は、「文章を書くことの役割」や「エッセイと評論の違い」、「面白いエッセイとは?」といった説明が続きます。

「エッセイは、どんなふうに心が動いたのかを伝える文章」
「主観的に伝えるからこそ、読み手の心を動かすことができる」
「よいエッセイからは書き手の人柄が伝わってくる」
「エッセイのよさは、価値観の多様性を楽しむことができること」
                              などなど
 
その後、気持ちを表現するワードを書き出していくところから始まり、だんだんと手を動かすワークの比重が高くなっていきます。

そんな中、食べ物についてのエッセイを書いてみることに。
印象に残っている食事を思い浮かべ、食べている時の気持ち、食べる直前、食べた直後の気持ちを言葉にするよう、インストラクションを受けます。
「出張終わって、新大阪駅の串カツ屋さんに行ったことあったなー」と思い出す場面はあるけれども、そこから、筆が全然、進みません…
「何か書かなきゃ」と焦ったところで、大した言葉が出てこないまま…
時間切れ…

ファッションに関する描写も、世界で最も美しい図書館(アドモント修道院図書館)に関する描写も、まるっきりダメ。
対象を表しているだけで、感情が乗り移ってきませんでした。
講義中、いろいろとワークに取り組んだものの、一切の手応えを感じることなく、講義が終わる。
 
 
――悔しい。このままでは、終われない。
――努力しても、全然、報われないかもしれないけど、見返してやりたい。
心は打ちのめされましたが、前向きな気持ちがわいてきてくれました。
そんな前向きに気づかせてくれただけでも、貴重な機会だったと思います。

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