ケイスケ

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最近の記事

7月28日の記録

夏になった。蝉がデカい声をほうぼうに発するようになった。僕は昆虫が好きなので蝉やらクワガタ、カブトを探したりもする。17歳にもなって小学生の時となんら変わらない。ダサかっこ悪いまま生きていくのだろう。それでも何かを楽しく行えるのならそれでいい。 僕はカッコいいものが嫌いだ。カッコいい物は絶えず嘘を孕んでいる。カッコいいものよりも生々しいものが好きだ。カッコいい奴は全員くたばっちまえ(古風な言い回しを使ってみた)。生々しく本気で物事を行えば汗もかくだろう。そして、鼻水も垂れる

    • shimomuuさんへ

      まず僕たちはもともと狂っているのだ。そこから始めたい。狂っている僕は、狂っている世界から離れた路上生活者たちの所有をしない世界を見て、自分が狂っていた事を確認した。でも彼らはこの世から見たら無法者であるらしい。そうやって見ると、いろいろと発見があった。違法ってなんだろうと思った。(坂口恭平著『独立国家のつくりかた』第二章1,土地は誰のものか 普通に考えたらおかしいp62より引用) こんにちはshimomuuさん。恐らく六月の下旬ぐらいに手紙を書くと言ったのですが、忙しい上精

      • 音楽と向き合う

        小学五年生の時はじめてロックを聴いた。僕はその時音楽独自の世界を味わった。その波動は忘れもしない秋の頃。僕は親父に教えてもらってクイーンのアルバムを聴いた。このアルバムは親父が大学生の頃バイトをして買ったものらしい。そのアルバムを二歳の妹が傷だらけにして二度と聴けないアルバムにしてくれたのはいい思い出だ。そこからエレファントカシマシにはまり、ローリングストーンズにはまり、ビートルズにはまり、エリッククラプトン、ジミーヘンドリックス、セックスピストルズにはまっていった。アナーキ

        • 目の前の世界

          記憶はただ流れていく。時には力を失う事もある。何も知らない事へ日々飛ぶ込むような日々の疲労感と雑音。僕はそれだけで疲弊する。僕にとって世界はうるさすぎるのだ。 何も起こらない日々のように感じていた。でも、それは違った。日々少しずつ色々な物が変化していた。クリエイティブなものに憧れる自分と小さな変化で喜ぶような自分。代わる代わる自分の考えは目まぐるしいほど変わる。この社会では一貫性のある人間の方が好かれる。一貫性のある人間なんて何処にもいないのに。僕は家事が好きだ。家事をして

        7月28日の記録

          学生定例会ギリギリアナウンス

          1.ケイスケ懺悔覚書今日は宿題に追われている。溜め込んでた自分が悪いのは分かってる。クソ、マジ学校最悪と何回思った事か。でも、そんな気持ちを吐き出せる場所なんて世の中そうそう多くはない。友達にも分かって貰えない感情はいっぱいある。僕はクラスタは嫌いだが、コモンの感情は好きだ。共有出来る感覚。 さて、本題へ。本日6月27日20時から学生定例会を音声アプリDabelで開催しますいつも司会をしてくれるきっし〜君はきてくれないかもしれない。でも、一応やる事に今日決めた。本当にルーズ

          学生定例会ギリギリアナウンス

          音楽を忘れた私達へ

          私は音楽の事を忘れていた。とにかくヌルい物を作りたくないと足掻く事に夢中になる余り本質を少し忘れかけていた。僕は心を取り戻した気がする。鹿児島の黎明館という施設に行った今日。僕は民謡の映像資料を観てとても感動した。カッコイイ物だけが正義ではないのだ。そこには優しさがあり、空間があり、人の歴史があり、身体の声が存在した。ただ僕は力を解放したいだけなのかも。意味はない。ただ迷いながら解放するだけ。死ぬ事を忘れてはいけない。音楽は常に死を前提とした歌だった。人間なんて存在しない。た

          音楽を忘れた私達へ

          多現実日記

          2021.5.28(金)朝9時に起きてスマホを開いてラジオを聴く。夢をみた感じはしなかった。ただこの文章は正確な記述とはいえない。勘違いと思い込みが含まれている。これだけはご容赦いただきたい。 本を読んで、学校へ。今日は三者面談だった。先生から言われた事は人と会いなさい、そして本を読みなさい。この二つである。去年赤点を取った高校生が大学に行きたいと言うと周りの人間の挙動はおかしくなる。当たり前ではある。三者面談が終わり買い物をして家に帰る。そして隣町へ。谷山地区は面白い場所で

          多現実日記

          視点、直感、世界。

          視点。それは切り口だ。切り口にしては豪華過ぎる程の世界でもある。世界にどのように眼を見開いて行くのか。それがその人間の態度であり、思考であり、そして視点である。 世界はそもそも存在している物なのだ。それは僕なんかでは動かせない。近くの風景を異世界へ。それが僕の創作に対する態度である。思考を与えるのではなく、見方を与える。これは僕なりのギフトである。存在している者へのギフト、他者へのギフト、そして貴方へのギフト。世界には見方があるのだ。 それを考えさせられるのが映画と写真である

          視点、直感、世界。

          1,『未来の地平線では』

          未来の地平線では、、、。 私は未来を知らない。でもこれだけは言いたい。僕は未来を明るく闊達に歩きたい。その為の言葉を紡ぐ事は無駄かもしれない。でも内なる戦いのある種の告白的な文章なら意味があるかもしれない。僕はこの文章を投げる。君へ、君達へ、世界へ、国家へ。 そして、、、未来の地平線へ。 1,内なる言葉とシステム僕は簡単にシステム批判は出来ないと思う。何故ならば助かる人間がシステムによって増えるかもしれないからである。その中にクズが増える(宮台真司)と言うのは否定は出来ない

          1,『未来の地平線では』

          内側の真実の言葉を聞く事。そして、学生定例会案内。

          反省点など言わなくて良い。ただ内側の真実の言葉を投げかけてくれれば良い。僕はその思いで音声アプリDabel内で、学生定例会を月に一回やってみようと企画してみた。前回は10人超えの参加者が来て頂いて、盛り上がった会となった。 ただ少し反省点がある。これは私が書きたいだけなので、案内の後に書こうと思っている。 1,学生定例会案内場所 Dabel 4/18(日) 時間 20:00〜1時間程 内容 1か月の振り返りを5分間にまとめて発表    する。繰り返し発表して、参加者が発表

          内側の真実の言葉を聞く事。そして、学生定例会案内。

          燃焼の果てに僕は飛び込んでみたい。

          僕は燃焼の果てに飛び込んでみたい。僕にとって燃焼とは何か。それは少しだけ答えは出てる。それはやりたい事を全部やる事。それが僕にとっての燃焼である。失敗しても楽しそうな物。これが僕がやってみたい事である。 このnoteはエッセイでもあり、批評でもあり、文学論でもあり、映画論でもあるので長くなる。ゆっくりと楽しめる物となってると思うので、楽しんでいって欲しい。 僕は今燃焼をしてるのか。僕は今全く燃焼してないと思う。理由を作りたくないが理由らしき物はある。僕の親が少しだけコントロ

          燃焼の果てに僕は飛び込んでみたい。

          21世紀の空間知覚論 

          僕は常に空間を知覚して生活している。この文章は家事をしながら、学校に行きながら、風呂に入りながら、今まで生きて来た空間知覚の試みを形にしたいと思って書き始めている。何も意味はない。ただ言葉とイメージだけが並んでいる文章である。読まれるかどうかは勝負ではない。形にする体験だけが勝負なのだ。つまりこれは自分との戦いの文章である。いざ行け吾輩。春の地上の空間をとにかく知覚せよ! 1、常に妄想が存在している。今やってる行為に現実味が合った試しが一度もない気がする。これは常に妄想が存

          21世紀の空間知覚論 

          僕の遊び場構想

          現代は閉塞の時代とも言える。確かに人との繋がりが希薄で、共同体が存在してないのも理由と言えるが、苦しみの原因が可視化されても僕の終わりなき日常は続く。それは旅とも言える。 そこで閉塞感のある現代を楽しく生き抜く為に遊び場について考えてみた。それは元々セルフカルチャーラボと言う名前で起業してお金を稼ぐ予定だったが現時点での僕はもっと自由な仕事が良いなと思ってるので、セルフカルチャーラボ構想は保留にしてある。 企画書のつもりで遊び場構想を書き留めて置きたいと思っている。 それでは

          僕の遊び場構想

          それぞれの青春論 16歳最後に語る青春とは何かの一論考

          それぞれの青春。この言葉を意識するようになったのは、僕が住んでる場所ではない校区の中学生をよく見かけて、それぞれの青春ってあるんだなと思ってから、この言葉を意識するようになった。 1、僕が通ってた中学校の校区外の中学生は、僕にとって完全に他者である。僕がたまたま住んでた校区で行く中学校は決まる。そんなに変わる事はないかもしれないが、でも人それぞれに個別性は何かしらあると思う。 だから、僕が住んでる校区外の中学生は完全に他者であると言える。学校の雰囲気も分からないし、先生も知

          それぞれの青春論 16歳最後に語る青春とは何かの一論考

          学生定例会を終えて。そして学生定例会は何処へいくのか。

          僕達はまだ途中だ。(又吉直樹) その言葉を力強く言う為に、学生定例会を音声アプリDabelで開いた。僕達は未完成である。この社会では未完成な人間を排除する。でも、僕達は僕達の事を未完成だとしか言いようがない。でも、手を繋いで一緒に叫んでみたら怖さは半減するはずだ。 『僕達はまだ途中だ。』と。手を合わせて、肩を叩き合いながら、その言葉を叫べば良い。 1、この世界には無限の刺激があるはずだこの世界には無限の刺激があるはずだ。決まりきったルールではなく、僕がまだ知らない場所がある

          学生定例会を終えて。そして学生定例会は何処へいくのか。