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🔲 紫式部、昔物語への挑戦「若紫の巻」1

「わかむらさき(若紫)」という言葉を耳にしたとき、平安時代の貴族や知識人階層の人なら「伊勢物語」を脳裏に浮かべたはずです。この美しい詞は、「伊勢物語」の最初のお話に出てきます。

むかし、おとこ、うゐかうぶりして、平城の京、春日の里にしるよしして、狩に往にけり。その里に、いとなまめいたる女はらから住みけり。このおとこ、かいまみてけり。おもほえすふるさとに、いとはしたなけてありければ、心地まどひにけり。おとこ著たりける狩衣の裾を切りて、歌を書きてやる。そのおとこ、しのぶずりの狩衣をなむ著たりける。
   かすが野の若紫のすり衣しのぶのみだれ限り知られず
となむをいつきていひやりける。

古典文学大系「伊勢物語」

この「伊勢物語」の冒頭の部分を暗記している方も沢山いらっしゃるのではないでしょうか。

「源氏物語」54帖のそれぞれの巻名がどのようにして付けられたかについては諸説あります。しかし、「源氏物語評釈」で玉上琢弥氏が述べているように紫式部が命名したと考えるのだが妥当だと思われます。

紫式部が命名した「若紫の巻」と聞いたとき、当時の姫君や女房達は、「伊勢物語」最初のお話を思い出していたはずです。元服したばかりの青年が郊外へ狩に出かけて、美しい姉妹を見初めてラブレターを送るという実に健康で健全な恋物語です。

このお話を下敷きにして、紫式部は、新しい恋物語を語り始めるのです。元服したばかりの健康そのものの昔男が、狩に行くというのに対して、「わらは病」という病気に悩まされた源氏が、その治療のために山寺に行くというのです。しかも、その先で見かけた人は、「伊勢物語」とは全く違う女二人。一人は、今にも死にそうな年取った尼で、もう一人は、十歳にもならない少女だったのです。こんなに落差の激しい恋物語をどのように語るのか興味津々ではなかったのでしょうか。

紫式部という物語作者、恋物語の常識に対する激しい挑戦がそこにはあります。人物・場所・状況が厳しければ厳しいほど、物語は、様々な光を放ち魅力あふれるものとなる事を作者は認識していたはずです。しかし、常識に挑戦することの困難さや孤立からの恐怖と戦わねばなりません。そういう緊張感の中での生活に耐える日々だったのではないでしょうか。

「紫式部日記」寛弘五年十一月一日の記事に藤原公任が「あなかしこ、このわたりにわかむらさきやさぶらふ」と酔った勢いで紫式部にふざけかけたとあります。こんな人なんて相手にするはずないですよね。

ところで、紫式部の挑戦ってどこまで続くのでしょうか。




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