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君と僕と『ノルウェイの森』

君は僕に延々と何の脈絡もない、とりとめもない、そんな話をし続けている。この話にはきっと終わりなんてなくて、例えるならBGMに近い。快適でも不快でもない、ただの世間話。


君から電話があったのは3日前だっただろうか。僕の家に遊びに来るという。僕は白紙の予定帳を眺めてから、いいよとだけ伝えた。電話越しでの君は疲れた様子で、それでもつらつらと愚痴をこぼしている。僕は淡々と相槌をうつ。僕たちの関係性はその距離間で担保されている。


そういえば以前に2人で話をしていた時に不意に『ノルウェイの森』の話をしたことがある。登場人物である緑の

私が求めているのは単なるわがままなの。完璧なわがまま。たとえば今私があなたに向って苺のショート・ケーキが食べたいって言うわね、するとあなたは何もかも放りだして走ってそれを買いに行くのよ。そしてはあはあ言いながら帰ってきて「はいミドリ、苺のショート・ケーキだよ」ってさしだすでしょ、すると私は「ふん、こんなのもう食べたくなくなっちゃったわよ」って言ってそれを窓からぽいと放り投げるの。私が求めているのはそういうものなの

私は相手の男の人にこう言ってほしいのよ。「わかったよ、ミドリ。僕がわるかった。君が苺のショート・ケーキを食べたくなくなることくらい推察するべきだった。僕はロバのウンコみたいに馬鹿で無神経だった。おわびにもう一度何かべつのものを買いに行ってきてあげよう。何がいい?チョコレート・ムース、それともチーズ・ケーキ?」
私、そうしてもらったぶんきちんと相手を愛するの

という有名なセリフについてだ。


すると君は「そんなのあたりまえじゃない、当然のことでしょ?」と僕に言った。僕は、考えた末にやっぱり、「そうだね」と相槌をうった。


その時から僕たちの関係性は不条理な主従関係に則って運用されている。詰まる所、僕には反論の余地なんて最初からないのだ。君の言うことは絶対で、この世界のすべてだ。僕の意見なんて存在してはならない。それが、君の世界のすべてだ。


僕は君のことを否定も肯定もしない。僕からは決して連絡もしない。ただ、本質的な事象である「事実」ではなく君の主観に脚色された「真実」を受け止めて、相槌をうつ。君が必要な時に必要な分だけ相槌をうつ。それが僕たちの世界のすべてだ。


この関係は長くはないだろう。2人で最初からやり直すなんて美しい結末はきっと待ってない。ただ鈍足に、破滅に向かって行くだろう。


ひとしきり話し終えると君はお茶を口に含んだ。ひと呼吸おいて、けらけらと笑いながら次の話が始まる。他愛のない、どうしようもない話だ。それでもやっぱり僕が相槌をうつ限り、終わりのない話は続くのだ。






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