泣きたい理由

カーテンから光が差し込んでいるのを見て、そうか、もう朝かと気づいた。何をしていたわけでもないのに時間は過ぎ、また明日が今日になってしまう。昨日になってしまった今日を引きずったまま、やはり今日が始まる。

重い気分を何とかして切り替えようと思い、朝食を買いに行くついでに散歩でもしてみることにした。コンビニまでは少し距離がある。往復で20分はかかるだろう。外はまだ少し肌寒い。用意するのは上着と小銭入れと、iPod。いつものようにドアを開けた。

朝方はまだ冷えるもので、外で吐く息は白い。まるで自分が蒸気機関で動く機械人形にでもなったんじゃないかと思った。冷たい空気が頬を伝う。そういえば去年の今頃は派遣社員をやっていて、今頃は通勤電車に揺られていたっけ。

毎朝電車に揺られるたび、僕は何をしているんだろうと泣きたい気分だった。1時間の通勤が永遠のようだったし、帰りは疲れ果てて、やっぱり泣きたい気分だった。

理由は今でもわからない。なぜあの時はそんなに泣きたい気分だったのだろう。わからないまま今に至るが、やはり今も泣きたい気分なのだ。

わけもなく泣きたい気分になるのかと思った時、感情という得体のしれない機能が実装されている人間は不便だと思った。どうせなら機械人形のように決められたことに疑問を持たずに生きていたかった。そう考えて、僕はその考えが間違っていることに気づいた。きっと疑問を持てなくなったらもうそれは生きているとは言えない。限りなく死んでいる状態だ。

つまり僕は、僕たち人間は、不便なまま生きていかなきゃならない。あがき、もがき、苦しくなるような矛盾を抱えて、それでも生きなきゃいけない。これはいったい何という感情なのだろう。

風がふいた。不意に春のにおいがした。

これから僕はどうなるんだろう。期待でも不安でもない、知らない感情があふれた。この感情になんと名前を付けようか少し考えて、やめた。これがきっと今の僕の気持ちなのだ。むき出しの、まっさらなままの僕の感情なのだ。きっと名前なんて付ける必要はない。泣きたい理由だってわからないままでいい。涙が出たときにきっと答えは見える。それまで大事にとっておこう。今はきっと、それでいいんだ。

いつか涙を流す僕が答えを見つけられるように、今はまるごしの自分でいよう。僕はやっぱり泣きたい気分のまま、白いため息を吐いた。

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