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汚れた自画像に、好きな背景を描きたして行く

——人生の応援歌

そう言ったら少し大げさかもしれないけど、
聴くと勇気をもらえる歌が、僕にはある。

Mr.Childrenの「Any」って曲。
曲中のこの言葉に、いつも勇気をもらっていた。

今 僕のいる場所が
探してたのと違っても
間違いじゃない
いつも答えはひとつじゃない

本当に人生の節目やふんばりどころで、聴いていたと思う。

慶應に落ちた時とか、
就職浪人してた時とか、

博報堂でキャリアに悩んでた時とか。

————

大学3年生の時、コピーライターという仕事を知った。
人の心を動かす仕事と聞いて、面白そうと思った。なりたいと思った。
でも、就職浪人までして入社した博報堂で配属されたのは、
残念ながら(そして予想通り)営業だった。

営業の仕事は嫌いじゃなかったし、それなりに達成感もあったけど
クライアントとスタッフの間の板挟みにむかつくこともあったし、
何より望んだ生き方ではなかった。

「いつかきっとコピーライターになる。」
「いつかこの経験も活きる。」
そう自分に言い聞かせるように、
毎日、家から会社へ向かう途中、
「Any」を聴いていたのを覚えている。

もしもこの時代にタイムマシーンがあって
ドラえもんの世界のように
過去に戻ることができるなら、
あの頃の自分に教えてあげたい。

7年かかったけど、
ちゃんとコピーライターになったよって。

博報堂でなることは叶わなかったけれど、
NEWPEACEでプロデューサー/コピーライターとして働いて、
そして2019年10月、Wunderman Thompson Tokyoで
僕はコピーライターになった。

年収は下がってるし、心は折れかけたし、
いいことばかりじゃなかったけれど、

でも「コピーライターになる」その一点においては、
宣伝会議賞でシルバー受賞できたし、TVCMだってつくれたし、
認めてくれる人も少しずつ増えてきた。

そしてなにより、
ひとりのコピーライターとして、人間として
何を書きたいかが明確になって、

学生時代に目指したキャリア・生き方、
そのスタートラインに、今 僕は立っている。
ここからだ。

スタートラインに立ったばかりだけど、僕には決めていることがある。
それは、恐怖や不安や怒りの感情を煽って人を動かさないこと。
誰かを悪者にして担当ブランドを広告しないこと。

SNSが普及して、バズという概念が生まれてから
どことなく言葉が荒々しくなった気がしていて、僕はそれが苦手だ。

例えばこれとか。

狙いはわかるし、実際に賛否両論というバズを生んだ。
ただ、僕はどうしてもこの広告を「好き」になれない。

学生生活を謳歌する方法なんて人それぞれなのに映画や音楽、ビジネスをつくる人が偉いみたいな言い方が、むしろ大学生の選択肢を狭めているように感じるし、なにより大学生を馬鹿にしているように見えてしまう。(これを書いたコピーライターも大学生の頃は、遊んでたんじゃないかなあ、、想像だけど。)

もちろん広告はアートじゃない。ビジネス。だから、クライアントの売上につなげないと意味はないことは理解している。
それでも広告が「同時多発的に、無差別に、大多数に向けて、大声で、言葉を発信するもの」だということは絶対に忘れてはいけないと思う。それを見て傷つく人がいるかもしれない、ということを忘れてはいけないと思う。

広告、とりわけコピーというものは「刺さる」みたいな言葉で評価されがちなのだけど、僕はナイフのようなコピーよりも、まっさらな布のようなコピーを書きたい。

時には、前に進むための勇気や希望やワクワクを与える旗印に、時には、傷ついた人を守るための包帯になれるような、そんなコピーを書きたいと思う。

嬉しいことに、さっそく自分と相性が良さそうなクライアントを担当することになったし、理想論、綺麗事、絵空事も言い続けていれば、いつかはそうじゃなくなると信じて、言い続けていくよ。自分がどこまでやれるか、ワクワクする。

いつの日か、「優しいコピーなら松村」と言ってもらえるまでになれたらいい。
そんなコピーライターを目指して、経験と実績を積み重ねていきたい。


——ちなみに冒頭に書いた「Any」の歌詞は、後にこう続いている。

何度も手を加えた
汚れた自画像に ほら
また12色の心で
好きな背景を描きたして行く

「今 僕がいる場所」は間違いじゃない。
でも、多分ゴールでもない。きっと通過点。

この仕事を続けていれば、
いつかまた、違う場所に行きたいと思う時がくると思う。

その時に、自分の背後に好きな景色を描けるように
心とスキルを磨いていけたらと思う。





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